中山美穂は長らく、「美人といえば中山美穂」というコンセンサスを取り付け続けている。今現在(執筆は2001年5月)も、これを脅かす後任が出てきていないというのもあるが「美人」の座は安泰である。
いつも化粧品のCMに出ていて、ドラマに出ればヒロイン然たる正統派ヒロイン。それが正当な立ち位置なのかどうかを考えさせない感じは、それが「風景」みたいになっているからだろうか。
ここ数年、中山美穂は「美人」という言葉(冠?)と戦っているように思える。「美人」というのは他の言葉に比べてかなりの強敵だし、御しにくい相手だ。
「かわいい」だの「いい女」だの「きれい」だのという言葉とは格が違う。そんな「美人」と、真っ向勝負。負けたら即引退。
いや、でも「変わらない」ことをいぶかしがりながらも、「変わりようのない」ことも承知しているのである。/
中山美穂VS美人という対決、当然オッズは年々「美人」に傾いていくだろうし、中山美穂の戦術も変化しているに違いない。
でも、もう世間にとってこの戦いは功なり名を遂げた「名人」によるエキシビションマッチとか、型の披露みたいなものである。
「美人」に勝つことではなく、その対決を続けることこそが大事なのである。いや、正面で向かい合って構えていることが一番大事か。リングか畳か知らないけど、そこに上がる権利を有しているということだけが、中山美穂の意味かもしれない。
その権利を奪取する新人でも出てこないと状況は変わらないのだが、今って「美人」とセメント勝負してもあんまりいいことないしな。伝統芸としてずっとやっててもらおうか、中山美穂に。