ちゅーばー ★5
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>>338
このアマガエル、右は男の子なんだね
https://global.honda/jp/philanthropy/hondawoods/forest/library/023/
アマガエルはその名前からも分かるように、雨と関係の深いカエルです。雨の前後になるとオスは「鳴のう(めいのう)」と呼ばれるアゴの下の袋を膨らませて鳴きます。
普通のカエルは繁殖期の夜に鳴きますが、アマガエルは雨が近いと繁殖期かどうかに関係なく、また昼間でも鳴くのが特徴です。こうした習性もあって比較的見つけやすいことから、昔から馴染み深いカエルとして知られているのです。 男の子と言えば、少し前からフクロモモンガをこねこねして寝付かせる特技がある人のチャンネル見てるんだけど、フクロモモンガの男の子は甘えモードになると自分のたまたまおしゃぶりする習性があるんだって
人間だったらとんでもなくキモい
フクロモモンガなら許せる
この人は飼い主に懐かなくて噛むとか、病気があって売りものにならないとか、繁殖引退したとかの訳ありモモンガを引き取ったり、一時預かりしてる
もう手が傷だらけ
モモンガこねてると飼い猫がやって来るんだけど、オシッコで濡れたモモンガを猫で拭いちゃうのには笑った
猫がモモンガを襲う気配はないし、モモンガが猫を怖がる様子もない
オシッコ効果かどうかは分からないw
https://x.com/wochiha_JW/status/1819696700262588625 41万いいね
https://x.com/tangesyazen/status/1847619292831109577
確かにいい写真だと思う
可愛いだけではなく切なくなる
三毛猫系だからお姉ちゃんと妹かな
親子にしては右の子が小さい
尻尾上げ上げの幼子
お姉ちゃんは外猫としての経験を積んだ分、そこまで無邪気にはなれない感じが伝わってくる
https://i.imgur.com/fXZWjzQ.jpeg >>350
某ボスちゃんはノルウェージャンが入ってると思ってたけどこれに比べると小ぶりだよね…w >>353
そう
このしろあんちゃんに比べたらボスちゃんはだいぶ小柄に感じます
しろあんちゃんは女の子
男の子の兄弟がいるでしょうからその子たちはもっと大きくなってるのかな
しかしこれだけ大きいと、「猫は上下運動できるスペースがあれば問題ないのでワンルームで飼える」なんて通用しない気がしますねw Instagramにブリちゃんに何かあったかのような予告あったんだね
大した事なかったらまた思わせぶりかよだし
本当に大変な事になってても、もうやらかしたの?だし
どっちにしても呆れられるだけなのになー(既に呆) プレート見えちゃうまでの傷って大丈夫なんかよ…
あの傷、短期間でああなったとしたら
動きすぎて相当擦れてるってことだよなー?
マメに外して見てあげてもいなかったんだろうし
何かもう呆れて言葉も出てこない感じ…
ただただブリちゃんが可哀想 どんな名医だろうが付きっきりで世話できるわけじゃないからね
やっぱり飼い主に次第
飼い主がどれだけ注意深く愛情を持ってケアできるかにかかってる サイボーグとかマシンガンとか嬉しそうに自慢してる場合じゃないっちゅーの おはようございますノシ
なんかブリちゃんが気の毒すぎて
ブツクサ言う気にもなれないんだけど
(亡くなった仔猫を配信した時感じた虚無感に似ている)
Pの言ってる事が全て偽りないと仮定すると
どうしても腑に落ちない事ばかりで
あーもうあーもうな気持ちになっているフッ おはようございます
ブリちゃんいつ入院するんだろ
Y先生は明日から土曜日まで出勤予定
タイムラグはどうなのか
>>356の1枚目見ると、昨日の午後1時頃にInstagramに投稿してる
可及的速やかに先生に診てもらわないとプレートに感染しちゃうでしょ
そうなったら今度は手術して取り出すことになるんだよね 日記はブリちゃんが可哀想なことになってるし、アイランドはアイランドでソランのハゲが目立ってる
ファンヒーターが稼働してるから最近の撮影だと思う
光や角度による黒猫あるあるならいいけど
https://i.imgur.com/I1LXWJ1.jpeg 動画見返してたんだけど
装具着けたまま1〜2日過ごしていたら擦れてしまってって言ってるよね
14日にこぬか先生の所に行った時に傷を発見(まだ酷くない)して
T病院に連絡→外して安静にして様子見と指示
これが守られず、装具したまま過ごして悪化とかもあるかも?
もしくは見た目良くなってたから勝手に着けて悪化とか…
>>361
感染症防止の処置ならY先生がいなくても大丈夫そうだし
取りあえず早急に連れて行った方がよさげな気はするけど
そういう気は回らなそうだし…
そもそもいつからあの状態なんだよ…と疑念しかない
今日出発→明日午後病院?
伊那に行って泊まって明日神奈川に向かうのかも?
実は先週の話で既に入院してるとかならいいんだけど Y病院のカレンダー見ると20、21日は整形外科の担当医は誰もいないんだね
電話したのはいつなんだーw >>363-364
タイピーの発信を纏めるとこんな感じになるのかな?
《タイピーとブリちゃんの動静、整形外科医の出勤予定など》
・10/09 佐渡⇒都内
・10/11 都内⇒藤沢⇒ブリ退院⇒伊那
・10/11 伊那⇒佐渡
https://i.imgur.com/0L87rV8.png
https://i.imgur.com/Tv8Tl4X.png
・10/12 2回直した装具が佐渡に届く
https://i.imgur.com/QYvXHV7.jpeg
・10/21
装具をつけて1日2日過していたら擦れてプレートが見える状態になったので、急いで病院に確認した
手術をしてもらった先生と話合った結果、また1週間ほど入院することになった
(Google文字起こしは2週間だが、私には1週間と聞こえる)
https://i.imgur.com/ATETCu0.jpeg
https://i.imgur.com/QmyyQ0n.jpeg
https://i.imgur.com/UxNVne2.jpeg
■2024/10/13 タイピー日記(リアルタイムでは10/11になる》
義足えっと
義足ですねブリちゃん専用の義足が
サポーターなんですけど
明日あたりに届くので修正してくれたやつを
それを1,2ヶ月間は装着して過ごします
骨がまだくっついてない
完全にくっついてないみたいなんで
■2024/10/21 タイピー日記(リアルタイムではいつになるのか不明)
装具をつけて1日2日過していたんですけど
ここが少し擦れてしまって
プレートが見えてる状態になってしまいました
で急いで今ね病院に確認したんですけど
ま簡単に行ける距離じゃないので
とりあえず装具外して
これ(エリカラ)をつけて安静にするようにって言われました
また先生のね指示を仰いで
どうするか
ちょっと話し合ってみようと思います
ということでブリちゃん今ね
先生にあの向こうの手術してもらった先生に
今の状態お伝えして聞いてみたんですけど
ブリちゃんまた入院することになりました
1週間ほどね
もう1回ぶりちゃん入院します 想定の範囲内とはいえ、まさかこんな短期間で爆弾を爆発させるとは思わなかった
ブリちゃんが心底可哀想で仕方ない
あんな飼い主に購入されなければ今ごろ元気で楽しい犬生を送っていただろうに
自分と何ら関わりのない犬なのにまた今回も泣けてきてしまった
今回、動物病院の方々がブリちゃんの治療以外ではどんな対応になるのか興味あります
Tの人間性も今までやってきた数々の所業も、犬の健康に向き合う姿勢も、指導や助言についての理解力の有無等さまざま把握しつつあるでしょうから >>365
いつもわかりやすくありがとうございます
正しく装着出来ているかどうかのテストを獣医さんの前でやってみて欲しいですわ
「やってるフリ」「やってるつもり」があまりにも多いように見える人の「本当の能力」を確かめて欲しいです >>365続き
・あんなに酷い状態になっていることに気づいたのがいつなのかは不明
・最初に藤沢の病院に電話で確認した時は担当医がいなかったが、取り敢えずの応急処置を指示された(傷口の消毒と剃毛をしてバンドエイドを貼る)
・後日、改めて担当医と電話で相談し、再度の入院決定
10/10退院、10/12装具届くなら
「装具をつけて1日2日過していた」は10/14の小糠病院の日になるのかな
でもあんなに酷い擦り傷なら小糠先生はもっと強い反応を示しているような気がする
小糠先生が見た時には、赤くなってる程度だったとかかなぁ >>367
お久しぶりです
正直、頭がシッチャカメッチャカですw
Hさんの指摘がとても良いヒントになりました >>360
>なんかブリちゃんが気の毒すぎて
ブツクサ言う気にもなれないんだけど
(亡くなった仔猫を配信した時感じた虚無感に似ている)
↑全く同じ心境ですわー
昨日先に爆サイを見て、動画上がったあとすぐ2つほど書き込んだけど
他にもここにいろいろ書きたいことがあったのに
なんか急にスンってなってしまった。。。
今は奴に対して何もいう気になれないな
とりあえず気づいたことを一つだけ
神奈川の病院にブリを連れていった例の動画の時も
お迎え動画と同じ車だったんだね
当時はこんなところまで見てなかったわ
確認できるシート部分とか、レザーかレザー調の黒に赤ステッチで一緒だった こぬか先生の振りかけてた薬って
昔転んで擦りむいた時とかに使われたような気がするやつかな−?
消毒と傷口を乾かすような?作用もあったような?
あれだとするとプレート見える程じゃなくても
擦りむけたような傷にはなってたんじゃないのかなぁ?
装具をしてると舐め防止にもなって
カラー付けるよりのびのび暮らせるとか言ってたし
ほぼ着けっぱなしだったんじゃないかね
それでもマメに外して見てあげてれば大丈夫なんだろうけど
凸もいない期間だったし
まともに世話出来てなかった結果。。な気がす ■■ここは癒し板スレだぞ
■■YouTube板スレに行け!!
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと思いますよ。 ■■ここは癒し板スレだ
■■YouTube板スレに行け!
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、
プロ入り直前の練習中に傷めて「ほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーは
プロになれない。各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科
専門医の診断でアウト。地元のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃
して貰える?発覚した段階で、ペンシルベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから
指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょう。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目
をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャーはプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、
ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして戦うことになりますが、最初のうちはペンシル
ベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数年に1回/州がそれぞれに規定)に
更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同時に1920年代初頭に
発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。そしてフレ
イジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち
自身のキャリアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分
の選手が踏ん切りをつけられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは
正式にチーフに就任しますが、そもそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違い
ない(ファッチはそれ以前からもフレイジャーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが
視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜
半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンスの認可に関わる利害関係者は、90年代には亡く
なっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関するドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、
アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュトークが原因で、2人の関係
が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会わせることが多く、
アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タイムズが
掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を
讃えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する
膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だった
ニューヨークで、失明した選手にライセンスを許可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなって
いたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。したがって、だからフレイジャーの失明ですが、有り得ないのです。
アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タイムズが
掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を
讃えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する
憎悪のみに殊更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちて
いたのかも知れませんが、失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網
膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だった
ニューヨークで、失明した選手にライセンスを許可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなって
いたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。したがって、だからフレイジャーの失明ですが、有り得ないのです。 ■■ここは癒し板スレだぞ
■■YouTube板スレに行け!!
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと思いますよ。 ■■ここは癒し板スレだ
■■YouTube板スレに行け!
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、
プロ入り直前の練習中に傷めて「ほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーは
プロになれない。各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科
専門医の診断でアウト。地元のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃
して貰える?発覚した段階で、ペンシルベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから
指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょう。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目
をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャーはプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、
ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして戦うことになりますが、最初のうちはペンシル
ベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数年に1回/州がそれぞれに規定)に
更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同時に1920年代初頭に
発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。そしてフレ
イジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち
自身のキャリアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分
の選手が踏ん切りをつけられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは
正式にチーフに就任しますが、そもそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違い
ない(ファッチはそれ以前からもフレイジャーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが
視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜
半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンスの認可に関わる利害関係者は、90年代には亡く
なっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関するドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、
アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュトークが原因で、2人の関係
が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会わせることが多く、
アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タイムズが
掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を
讃えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する
膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だった
ニューヨークで、失明した選手にライセンスを許可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなって
いたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。したがって、だからフレイジャーの失明ですが、有り得ないのです。
アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タイムズが
掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を
讃えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する
憎悪のみに殊更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちて
いたのかも知れませんが、失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網
膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だった
ニューヨークで、失明した選手にライセンスを許可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなって
いたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。したがって、だからフレイジャーの失明ですが、有り得ないのです。 ■■ここは癒し板スレだぞ
■■YouTube板スレに行け!!
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと思いますよ。 ■■ここは癒し板スレだ
■■YouTube板スレに行け!
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、
プロ入り直前の練習中に傷めて「ほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーは
プロになれない。各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科
専門医の診断でアウト。地元のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃
して貰える?発覚した段階で、ペンシルベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから
指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょう。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目
をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャーはプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、
ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして戦うことになりますが、最初のうちはペンシル
ベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数年に1回/州がそれぞれに規定)に
更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同時に1920年代初頭に
発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。そしてフレ
イジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち
自身のキャリアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分
の選手が踏ん切りをつけられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは
正式にチーフに就任しますが、そもそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違い
ない(ファッチはそれ以前からもフレイジャーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが
視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜
半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンスの認可に関わる利害関係者は、90年代には亡く
なっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関するドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、
アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュトークが原因で、2人の関係
が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会わせることが多く、
アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タイムズが
掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を
讃えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する
膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だった
ニューヨークで、失明した選手にライセンスを許可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなって
いたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。したがって、だからフレイジャーの失明ですが、有り得ないのです。
アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タイムズが
掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を
讃えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する
憎悪のみに殊更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちて
いたのかも知れませんが、失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網
膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だった
ニューヨークで、失明した選手にライセンスを許可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなって
いたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。したがって、だからフレイジャーの失明ですが、有り得ないのです。 ■■ここは癒し板スレだぞ
■■YouTube板スレに行け!!
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと思いますよ。 ■■ここは癒し板スレだ
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情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、
プロ入り直前の練習中に傷めて「ほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーは
プロになれない。各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科
専門医の診断でアウト。地元のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃
して貰える?発覚した段階で、ペンシルベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから
指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょう。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目
をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャーはプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、
ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして戦うことになりますが、最初のうちはペンシル
ベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数年に1回/州がそれぞれに規定)に
更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同時に1920年代初頭に
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イジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち
自身のキャリアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分
の選手が踏ん切りをつけられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは
正式にチーフに就任しますが、そもそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違い
ない(ファッチはそれ以前からもフレイジャーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが
視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜
半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンスの認可に関わる利害関係者は、90年代には亡く
なっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関するドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、
アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュトークが原因で、2人の関係
が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会わせることが多く、
アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タイムズが
掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を
讃えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する
膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だった
ニューヨークで、失明した選手にライセンスを許可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなって
いたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。したがって、だからフレイジャーの失明ですが、有り得ないのです。
アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タイムズが
掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を
讃えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する
憎悪のみに殊更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちて
いたのかも知れませんが、失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網
膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だった
ニューヨークで、失明した選手にライセンスを許可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなって
いたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。したがって、だからフレイジャーの失明ですが、有り得ないのです。 ■■ここは癒し板スレだぞ
■■YouTube板スレに行け!!
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だったニューヨークで、失明した選手にライセンスを許
可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと思いますよ。 ■■ここは癒し板スレだ
■■YouTube板スレに行け!
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、
プロ入り直前の練習中に傷めて「ほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーは
プロになれない。各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科
専門医の診断でアウト。地元のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃
して貰える?発覚した段階で、ペンシルベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから
指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょう。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目
をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャーはプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、
ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして戦うことになりますが、最初のうちはペンシル
ベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数年に1回/州がそれぞれに規定)に
更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同時に1920年代初頭に
発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。そしてフレ
イジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち
自身のキャリアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分
の選手が踏ん切りをつけられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは
正式にチーフに就任しますが、そもそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違い
ない(ファッチはそれ以前からもフレイジャーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが
視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜
半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンスの認可に関わる利害関係者は、90年代には亡く
なっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関するドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、
アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュトークが原因で、2人の関係
が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会わせることが多く、
アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タイムズが
掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を
讃えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する
膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だった
ニューヨークで、失明した選手にライセンスを許可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなって
いたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。したがって、だからフレイジャーの失明ですが、有り得ないのです。
アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タイムズが
掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を
讃えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する
憎悪のみに殊更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちて
いたのかも知れませんが、失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網
膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だった
ニューヨークで、失明した選手にライセンスを許可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなって
いたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。したがって、だからフレイジャーの失明ですが、有り得ないのです。 ■■ここは癒し板スレだぞ
■■YouTube板スレに行け!!
情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、プロ入り
直前の練習中に傷めて「実はほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーはプロになれない。
各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科専門医の診断でアウト。地元
のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃して貰える?発覚した段階で、ペンシル
ベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょ
う。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャー
はプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして
戦うことになりますが、最初のうちはペンシルベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数
年に1回/州がそれぞれに規定)に更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同
時に1920年代初頭に発足)のメディカル・チェックを受けたタイミングですべてが明るみとなり、大きなスキャンダルになる。
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンス
の認可に関わる利害関係者は、90年代には亡くなっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関す
るドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュ
トークが原因で、2人の関係が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会
わせることが多く、アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タ
イムズが掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を讃
えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する憎悪のみに殊
更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちていたのかも知れませんが、
そしてフレイジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち自身のキャ
リアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分の選手が踏ん切りをつ
けられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは正式にチーフに就任しますが、そ
もそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違いない(ファッチはそれ以前からもフレイジャ
ーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。
失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い
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可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなっていたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと思いますよ。 ■■ここは癒し板スレだ
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情報の出所は、2008年に製作されたドキュメンタリー「スリラ・イン・マニラ(スリラーと伸ばすのは間違い)」で、
プロ入り直前の練習中に傷めて「ほとんど見えない状態だった」というものですが、これが事実ならばフレイジャーは
プロになれない。各州に申請するプロライセンスの認可に際して、詳細なメディカル・チェックが行われるため、眼科
専門医の診断でアウト。地元のペンシルベニア州でライセンスを申請すれば、オリンピックの金メダリストだから見逃
して貰える?発覚した段階で、ペンシルベニアのボクシングコミッショナーの責任問題に発展する。コミッションから
指定を受けたドクターも、ただでは済まないでしょう。有り得ないことですが、仮にペンシルベニアが失明の事実に目
をつむり、ライセンスを発行したとしましょう。フレイジャーはプロ入り後に、短期間でメイン・イベンターとなって、
ニューヨークの殿堂マディソン・スクウェア・ガーデンを本拠地にして戦うことになりますが、最初のうちはペンシル
ベニアのライセンスで試合ができるからいい。しかし、ライセンスは一定期間(数年に1回/州がそれぞれに規定)に
更新が必要となり、ニューヨーク州アスレティック・コミッション(ボクシングの合法化と同時に1920年代初頭に
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イジャーのイジャーのトレーナーは、ベテランのヤンシー・ダーラムとエディ・ファッチです。この2人が選手の失明
に気がつかないわけがないし、失明した選手を戦わせる筈がない。隠し通すことなど不可能で、わかった時点で彼たち
自身のキャリアもジ・エンド。とりわけファッチは健康管理に厳しい人で、これ以上戦うべきではないと判断した自分
の選手が踏ん切りをつけられない場合、引退を勧告して関係を絶つ。1972年にダーラムが急逝した後、ファッチは
正式にチーフに就任しますが、そもそもダーラムからチーム入りを打診された1966年には要請を断っていたに違い
ない(ファッチはそれ以前からもフレイジャーを知っていた)。現役時代はもちろん引退してからも、フレイジャーが
視力の問題について触れてはなく、ファッチも同様です。あのドキュメンタリーで、唐突に出てきた。60年代前半〜
半ば当時のコミッショナーやコミッションドクターなど、ライセンスの認可に関わる利害関係者は、90年代には亡く
なっているか隠居していた筈で、話す機会はいくらでもあったのに。アリに関するドキュメンタリーは枚挙に暇がなく、
アリの物語に欠かせないフレイジャーは、常に名脇役に甘んじてきた。アリのトラッシュトークが原因で、2人の関係
が険悪だったのは確かですが、引退後に受けた様々な取材やパーティー、レセプションなどで顔を会わせることが多く、
アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タイムズが
掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を
讃えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する
膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だった
ニューヨークで、失明した選手にライセンスを許可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなって
いたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。したがって、だからフレイジャーの失明ですが、有り得ないのです。
アリは謝罪の言葉を何度も口にし、世紀の対決から30年の節目となった2001年には、ニューヨーク・タイムズが
掲載した記事の中で、正式に謝罪の弁を述べている。2003年にフィラデルフィアで開かれたフレイジャーの業績を
讃えるパーティーにアリも招かれていた。フレイジャーを主役にした数少ない長編ドキュメンタリーは、アリに対する
憎悪のみに殊更焦点を当て、2人の関係修復はあえて無視の姿勢を貫く。実際に目を傷めたのが事実で、視力も落ちて
いたのかも知れませんが、失明はあまりにも荒唐無稽。コミッション制度が全米規模で確立する30年代以前には、網
膜剥離や白内障で失明同然のまま戦い続けた実例もありますが、50年代以降のアメリカ、それも世界の中心地だった
ニューヨークで、失明した選手にライセンスを許可する筈がない。ファッチも含めた直接的な利害関係者が亡くなって
いたため、過剰な演出に付き合い過ぎただけかと。したがって、だからフレイジャーの失明ですが、有り得ないのです。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています