「さくら、もゆ」って自己犠牲第一主義の泣きゲーにみえるけれど、実は真逆で、希死念慮との対決の物語なんじゃないかな

姫織ルートではナナちゃんが、千和ルートではナハトが犠牲になって、自己犠牲というヤバイ思想を肯定していく
ハルルートでもクロちゃんが犠牲になり、一見ハッピーエンドを迎える

ところが、クロちゃんルートでは、この「代償をはらって願いをかなえる」という行為「魔法」を否定していく
少年の「魔法」を否定するために本物大雅が「魔法」を使う、という構造上わかりにくいけれど、
結局彼らがたどりついたのは、誰も「魔法」を使うことのない幸せな世界だ
これはかなり徹底していて、少年の魔法が否定された後は、クロの9つの命で見守る魔法も否定される
そして二人が平凡な存在となり、一緒に生きていくところで、物語はおわる

特別なヒーローとして、自己犠牲で誰かを幸せにする道(サブルート)以外にも、ハッピーエンドはきっとある(トゥルールート)
死ぬだけで思考停止しないでほしい

それが、この作品にこめられた想いなんだと思う