▼膳場貴子さんのマン毛を見たい(6本目)▼ [無断転載禁止]©bbspink.com
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子供を産んでますます熟女として色っぽくなった膳場貴子さん。
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https://phoebe.bbspink.com/test/read.cgi/hneta/1509575370/ 大阪歯科大学医療保健学部の濱島淑恵准教授が取り組む「ヤングケアラー(家族の介護やケアを担う子ども・若者)」に関する研究活動が、1月18日(木)の毎日新聞夕刊の一面トップに大きく掲載されました。
紙面では、濱島先生らのグループが一昨年に大阪府内の高校生を対象に実施した国内初の本格的な実態調査と結果が紹介されているほか、先生の指摘を踏まえた解説が掲載されています。
濱島先生によるヤングケアラーに関する調査研究については昨年12月に京都新聞で紹介され、今年に入りNHKの二つの番組でも取り上げられるなど、注目を集めています。
このことが先生が呼び掛けている『ヤングケアラーという言葉の普及と周知拡大』に繋がること、今後ますますの実態調査と支援が進むための一助となることを願います。 (声)娘の本読み聞いて誓う平和 高校教員 下川原真紀(大阪府 44)
「空見て思い出すあまんさん」(12月1日)の投稿を読みました。
今も小学3年生の国語教科書に、あまんきみこさんの「ちいちゃんのかげおくり」が載っています。娘の本読みで初めて作品を知りました。
娘は一字一字丁寧に一生懸命読むのですが、物語は切なくて悲しくて、聞くのがつらいような気持ちでした。
そんな時、あまんさんについて書かれた記事を読みました。
「ちいちゃんが生きる話を書くつもりだったのに、どうしてもダメなんです」「戦争は、筆で書いてもやっぱり生きる方向に向かない」とあり、そうだったのかと胸に染みました。
特定秘密保護法の成立など心配なことが次々と起こる昨今、ちいちゃんのような思いを二度と子どもたちにさせたくない。
させてはいけないと改めて感じています。 (声)東京五輪は祝福されるのか 無職 前田恭利(奈良県 77)
1944年、私は国民学校2年生だった。
軍事教育の一環として、ヒトラー政権下の36年に開かれたベルリン五輪の記録映画「民族の祭典」を学校で見た。
開会式で入場行進する選手の隊列に感嘆し、演説するヒトラーのカッコ良さに魅了される立派な軍国少年に「成長」していた。
このベルリン大会の次に40年東京、44年ロンドンの予定だったが、戦争で中止となった。
幻となった東京大会の年から3年後の43年10月21日、出陣学徒壮行会が、今の国立競技場の前身、明治神宮外苑競技場で行われた。
戦局の悪化で大学や高専の男子学生の徴兵猶予を停止、20歳以上の学生が戦場に駆り出された。
大雨の中、行進する男子学生約2万5千人を、雨と涙でずぶぬれの学生ら約5万人が、帰らぬ人と覚悟して見送ったのだ。 (声)どの宗教でも行ける施設こそ エッセイスト 野本一平(米国 81)
安倍晋三首相は仏教徒か、キリスト教徒か、それとも多くの日本人のようにクリスマスも神社のお祭りも祝い、死んだら仏式で葬式という重層信仰の持ち主であろうか。
祖国のために命を捧げた「英霊」をなぐさめ敬礼をするのは当然という言い分に、あえて反対はしない。
だが、靖国神社のみにこだわるのはどういう了見だろう。
軍国主義だったかつての政府は国民を戦争に駆り立てるため、戦死しても英霊として神となり靖国神社にまつられるということを強調した。
しかし、戦死した者が仏教徒なら、彼らはふるさとの菩提寺(ぼだいじ)に帰ったであろう。
靖国神社で英霊になってはいない。 (声)翼賛化した議員しっかりしろ 無職 桑野毅(東京都 77)
タカ派と言われた中曽根康弘元首相は、組閣にあたりハト派の有力者・後藤田正晴氏を官房長官に起用した。
権力者も自己抑制の必要性を理解していると思ったものだが、安倍晋三首相の人選にはそんな度量は見受けられない。
自民党内にも財政再建に取り組んできた議員、原発ゼロを信条とする議員、日中や日韓の友好に尽くしてきた議員など、多様な人材が存在しているはずだ。
だが、現内閣の公共事業への大盤振る舞いや、法律家なら欠陥法だと感じるはずの特定秘密保護法、原発の政策転換、中韓との関係改善策もないままの靖国神社参拝などに強く反対する者はなかった。
彼らは政治理念と良心との間で苦悩しながらも議員の地位を守ることに重きを置いたと思われる。
こうして抵抗勢力はなくなり自民党全体が翼賛会と化してしまった。 「土砂投入と沖縄県民の思い/ヤングケアラーが直面する現実」 沖縄県名護市辺野古に米 ...
新潟・南魚沼市でスクールソーシャルワーカーとして働く長田美智留は、研修会で病気の母..
報道特集見て私もヤングケアラーだから本当に辛いし誰にも相談出来ない子沢山いるだろうなと思った😢
このテーマは、支援のあり方なども含め、澁谷智子著『ヤングケアラー―介護を担う子ども・若者の現実』 ヤングケアラーについて良い特集だね。高齢化問題は若年層に対して経済的、肉体的、精神的負担を押し付けかねないと言う問題があるのだが、
対処する処方箋が殆どないのが実情。
いざ認知症になったら、なるべく早く天に召されるようにするしか対処法がないのではないか
ヤングケアラー問題で先生に他人事の対応された子のインタビュー。
日教組の先生は、沖縄来て工事妨害して歌うたって自己満足してる暇あるなら、助けを求めてる生徒を助けろよ。 学校生活に専念できないほど「ケア」に時間と労力をさき、
その上「介護の責任まで背負った子どもたちがいます。
周りにどう協力してもらったらいいのか、現状を話せないまま、
親や祖父母の介護や障がいを持つ兄弟姉妹のサポートや、家事全般などなど、
多岐にわたる「ケア」に、葛藤している高校生は20人に1人とも言われているそうです。
子どもが「子どもらしい時間を過ごす時間」「家族介護」について、改めて考えてみてはいかがでしょうか。
▶12月15日(土)6時10分頃〜 辺野古新基地建設に反対する人が抗議してから1620日が経った。
1995年に米軍少女暴行事件をきっかけに反基地感情が高まり、1996年に普天間基地返還合意となった。
基地の移転が辺野古に決まり、翁長雄志前知事の意志を継ぎ新基地建設に反対の玉城デニー知事が当選した。
しかし、政府側は土砂投入を決定し、前知事の妻の樹子さんは反対との意見を示した。民間企業の琉球セメントは建設にも関わっているという。
建設現場近くの桟橋にはカミソリの刃のようなものが使われた有刺鉄線が巻かれていた。 辺野古新基地建設の現場近くで用いられた有刺鉄線は軍事施設で使われることが多く、
今月始めまで歩道側にも張り巡らされていたが、周辺住民から危険性を指摘する声があがり、歩道に面した部分の有刺鉄線は撤去された。
管理していた琉球セメントは「当社の桟橋の管理上設置したもので海に面していることから、耐塩性の強いものを設置請負業者に発注したものです。
沖縄防衛局や防衛省の関与はありません」と説明した。辺野古のキャンプ・シュワブ前ではきょうも抗議が行われた。
辺野古の近くに住む渡具知さん一家は約20年前から新基地建設に反対してきたという。 辺野古近くで生まれ育った渡具知武龍さんは辺野古新基地建設の是非を問う県民投票を呼びかける活動をしている。
県民投票は来年2月24日に実施されるが、普天間基地がある宜野湾市・石垣市・宮古島市で反対の意見書が可決されており、全自治体での投票実施は不透明である。
きのう午前6時ごろには辺野古のキャンプ・シュワブで講義する市民が集っていた。
普久原朝日さんは県民投票の会のボランティアに携わっている。
土砂投入に抗議するカヌー隊も集まったが、きのう午前10時45分ごろに土砂が投入され始めた。
普久原さんは沖縄県民の反発はさらに増えるのではないかとした。 菅義偉官房長官は「日米同盟の抑止力の維持と普天間飛行場の危険除去。
これを合わせた時に辺野古移設が唯一の解決策」と話した。
玉城デニー知事は法治国家としての尊厳などが政府には見えないと述べた。
また、沖縄で行われていることは沖縄だけの問題ではないともした。 家族の介護などを担う18歳以下の子どもたち”ヤングケアラー”。
高校生の20人に1人が該当するという。
中部地方に住むAさんは高校時代同居する祖父の介護を1人で行っていたという。
祖父が脱水症状で倒れたのは高校2年生の時で忙しい母親から緊急搬送に付き添うよう呼び出されたという。
また末期がんで入退院を繰り返していたという。
当時父は海外赴任中で母は介護を拒否した。よなよな緊急搬送についていって明け方帰ってきてそのまま学校などということもあったそう。
そんな彼女に教師達が掛けた言葉は「親にお願いしたらいいじゃない」などと言われ助けを求めにくくなったという。
Aさんは県外国立大学に合格したが祖父の介護を続けること臨む両親は学費の支払いを拒否。
結局滑り止めで受けた地元の大学を余儀なくされた。
そして祖父が亡くなると祖母が認知症になりこれ以上の介護は背負いきれないと感じ実家を後にしたという。
またケアはたきに渡り負担が大きいと学校にも影響が出てくる。 この日大阪府立西成高等学校ではヤングケアラーに関するアンケート調査が行われた。
日常生活での家事や介護の手伝いなどをしているかなどの質問がされた。
また「手伝いをしなかった場合家族の生活は成り立つか?」などチェックされた。
この日は2年生6組分が集められた。
大阪の公立高校約6000人を対象とした調査でヤングケアラーの割合は5.2%となった。
20人に1人クラスに2人はいる計算になる。
またケアの対象として最も多かったのは祖母で孫として介護を行う姿が浮き彫りとなった。
今回調査に協力した校長はヤングケアラーを人権の問題として捉えている。 ヤングケアラーの姿は小学生にも確認されている。
南魚沼市でスクールソーシャルワーカーとして働く長田美智留さん。
この日行われた研修会で病気の母親に変わり身の回りのことを自分で行う小学2年生の事例を紹介した。
また火を使うと心配を賭けるからとオーブントースターでおもちを焼いて食べたなどという。
またこのケースでは母親の感情面のサポートも行っていた。
長田美智留さんは母親と面談しヘルパーを派遣し医療機関を紹介したという。
南魚沼市は3年前全国で初めてヤングケアラーの実態調査を行った。
教職員の4人に1人が「家族のケアをしていると感じたこどもがいた」と答えている。
また母親との面談も行い日々ヤングケアラーになっている子どもがいないかチェックしているという。
また大人が気づいてあげるべきと話す。 都内に住む38歳の女性中道慶恵さんは98歳になる祖母の介護を担っている。
祖母が脳卒中で倒れたのは20年前で女性が高校2年生の時。
離婚した両親に変わり育ててくれた祖母の介護は引き受けざるを得なかったという。
また常に介護なので介護のことしか考えられないという。
またヤングケアラーという言葉を知ったのは最近のことだという。
ヤングケアラーとして学校、家、病院を動き回った高校時代何もかもが嫌だったという。
大学生になあると祖母が退院し自宅での介護が始まった。
また介護との両立ができる就職先を探したが介護を辞めなさいと言われ就職先を諦めたという。
またうつ状態となり自殺を考える日々が続いたという。 7年前に定年を迎えた母親治美さん(67歳)もいまは介護を手伝うようになった。
母は去年から発達障害のカウンセリングを受けている。
介護に追い込まれていく娘に関心が持てなかった母に発達障害があったとわかり長年の疑問がようやく解けた。
いま少しずつ親子関係を取り戻しているという。
また自分の中でもう怒っていないなどと話した。
どうすれば周囲の大人がヤングケアラーの悩みに寄り添うことができるのだろうか。 ヤングケアラーを専門に研究している大阪歯科大学の濱島淑恵准教授。
この日介護関係者が集まる研修会でヤングケアラーの問題について社会との接点がなくなるなどと指摘した。
また濱島淑恵さんとともに訪れた大学生の女性は高校3年生のときに祖母の介護を一人でになったという。
また介護と学業の両立に悩み大学をやめようとしていた時に話を聞いてくれたのが祖母を担当していたケアマネージャーだった。
自分の人生も大事にしたほうがいいよと言われ思いとどまったという。
またヤングケアラーが直面する現実に濱島さんは危機感を募らせる。
社会の中に埋もれてしまっている人はもっといるぼではないかなどと話した。 祖母の介護を20年間背負ってきた中道慶恵さんが、ヤングケアラーとして苦しんだ人々がお互いの経験を語り合う会に参加した。
中道慶恵さんが自分の体験を人に話すのは初めてのことであり、時間が経った今だからこそ振り返ることができるとした。
自分の人生を生きるとは何かを中道慶恵さんは考え始めている。 冬のボーナス過去最高
シャッター開けます
ーーーー商店街
(熱海・やせうま) 公園に来ない彼女、響いたサイレン 胸騒ぎが止まらない
横山輝 2018年12月15日13時25分
それにしても、遅い。
会社員の男性(48)は、つきあっている彼女(46)が公園に来るのを待っていた。
約束の午後4時を1時間近く過ぎていた。
今日は何を食べようか。
そんなことを考えながらかけた5回目の電話も、留守番電話だった。
10月下旬のことだ。 通りの方からサイレンが聞こえた。
消防車や救急車、パトカーの赤色灯が見える。
火事だろうか。「飛び降りじゃないか」。
やじ馬の一人が言った。
いやな予感がした。
彼女とは約10年前、婚活イベントで出会った。
自分の話を、目を見て聞いてくれる彼女のことがすぐに好きになった。 ずっと人づきあいが苦手だった。
小学生のころ、友だちに無視され、下級生にトイレに閉じ込められ、人と向き合えなくなった。
そんな自分を彼女は受け止めてくれた。
趣味のカメラの話を楽しそうに聞いてくれた。
撮影していた白鳥にレンズをつつかれて、カメラを沼に落としたときは、一緒に大笑いした。
地味な色から真っ赤な車に買い換えたのは、彼女が「似合うよ」と言ってくれたからだった。 かたえくぼ
「啓発運動」
あおり歩き禁止
ーーーーエスカレーター
(松本・若年寄) OBの勇実名で古巣撃ち(三重県 山本武夫)
矛盾という古語には深い意味があり(東京都 林明倫)
大綱に赤紙がくる懸念持つ(埼玉県 溝呂木徹)
家庭での女性の強さ無関係(大阪府 吉村治美)男女格差110位
いくたびも復興急ぐと聞いたけど(福岡県 河原公輔)
☆支持率にそろそろ探る栄誉賞(東京都 辻酔乱)
窓拭きにふと思い出す障子貼り(大阪府 竹鼻雅子)
… 警察活動に市民の協力は不可欠 医師 鎌田皇(ただし)(静岡県 58)
「警察がなぜ個人情報集めるの」(8日)を読みました。
ご投稿者は、警察の訪問を受けて家族構成や生年月日、勤務先、電話番号など「巡回連絡カード」への記入を求められたことをもって
「プライバシーの侵害と受け取られかねない」と不信感をお持ちのようです。
でも、私は協力しています。
医療費「加算」は患者負担考えて 歯科医師 鄭寛(千葉県 66)
妊婦加算が話題になっている。
出生率の低下に悩む社会が妊婦に負担を強いて良いはずがない。
医療政策は、それを施す側の視点ではなく、受ける側の視点から行うべきだと思う。 病室で見た「優しい光」を支えに 会社員 山本和代(鹿児島県 58)
あ、きれい……。
秋の夕暮れ時。病院の4人部屋のベッドで、母は鼻にチューブを入れられ、呼びかけても応えない。
ここ数カ月夜中に何度も起こされ睡眠不足になり、つい怒鳴ってしまったこともある。
バイトは買ってでもするべきだ 無職 竹村公彦(愛知県 82)
13歳の投稿「中学生のバイトなぜだめなの?」(7日)は、お小遣いで足りない分を自分で稼いでみたいという内容でした。
その心意気は立派だ、と思います。 未婚の出産、多様な事情に理解を パート 堅木小百合(埼玉県 42)
「寡婦(寡夫)控除」の問題がニュースになっています。
1人親家庭の税負担が、婚姻歴があれば軽減されるのに、未婚だとそれがない、という今の制度は、おかしいと思います。
人間の英知「任期」が過ち防ぐ 高校教諭 沼尾光弘(栃木県 53)
今年のスポーツ界は荒れた。
日本大アメリカンフットボール部に始まり、日本ボクシング連盟、そして日本体操協会。
今年の漢字、それは「離」だ 再任用教員 伊藤昌之(三重県 61)
今年の漢字は「災」と発表された。
安倍晋三首相は「転」を選んだという。
私は「離」を推したい。
理由は二つある。 (けいざい+)踊りましょう:下 以心伝心してみませんか?
工業用シールなどをつくるバルカー(東証1部上場)の3代目社長、瀧澤利一(58)。
彼に社交ダンスを勧めた取引先の女性社長は、バルカーの行動指針に「チャレンジ」とあることを確認、ニヤリとした。
「一度もチャレンジしたことがないのに、イヤだイヤだばかり。
そんな社長がチャレンジを掲げていていいんですか?」
瀧澤は覚悟を決めた。
あなたもShall we dance?(編集委員・中島隆) かたえくぼ
「新新国語辞典」
寄り添う=無視する
対話する=無視する
約束する=無視する
(川崎・雪便り) 外国人との共生 日本人とは
外国人労働者の受け入れ拡大に向けた改正出入国管理法が、成立しました。来年4月1日に施行されます。
「声」欄では、7月から「外国人との共生」をテーマに、様々な側面から、ダイナミックに変化している社会の実像や市井の人たちの経験談、意見を載せてきました。 何もしないで国力低下避けたい 日本語講師 山本裕倫(神奈川県 60)
私は入管法の改正に賛成です。
日本は合衆国になれるだろうか 無職 六軒実紀男(神奈川県 58)
United Statesを合衆国としたのは名訳だ。
多様性は移民国家・米国の力の源泉でもある。 歩み寄りと忍耐と長い時間必要 日本語学校教員 エルサイド祐子(東京都 51)
夫はエジプト人で色々な日本企業で働いた。
飢えに苦しむ人に涙したい パート 下妻恭子(千葉県 42)
11月19日朝刊を読み、衝撃でしばらく動けなかった。
「超富裕層のシンガポール華人脚光」の記事と米国を目指す移民キャラバンの記事があり、心が痛んだ。 (平成経済)第5部・リーマンの衝撃:13 「モラトリアム」志いまも
2008年9月のリーマン・ショックから約1年後、中小企業金融円滑化法が施行された。
ショックで経営が悪化した中小企業に貸す金融機関に条件緩和を促し、「平成のモラトリアム(支払い猶予令)」と批判もされたが、救われた企業は多かった。
3年余で役割を終えた同法は金融機関が顧客本位を再認識する転機となり、金融行政にも足跡を残した。 返済条件の緩和 努力義務 パートを含めた従業員16人の「ニッカー絵具」(東京都練馬区)。
小規模ながらアニメ業界では一目置かれてる絵の具のメーカーだ。
同社のアニメ向けの絵の具は、手塚治虫さんの「鉄腕アトム」や「ジャングル大帝」、宮崎駿監督の「となりのトトロ」などに使われた。
アニメーターが描きたい色を調合できる技術力が評価された。
そんな同社もリーマン・ショックの直撃を受けた。
主力だった学校向けの画材は少子化も逆風だった。
売上高は1990年代後半は6億円近かったが、2億円を割った。
妻倉一郎社長(70)は「良い製品を自負していても経営が行き詰まる矛盾に苦しんだ」。
銀行の担当者からは毎月のように「今月の返済は大丈夫ですか」と電話があり、気が重くなった。 そこへ中小企業金融円滑化法の成立というニュースが舞い込んだ。
09年11月成立の同法では、金融機関に返済条件の緩和(リスケジュール=リスケ)に応じる努力義務が課せられた。
取引銀行は元本返済を当面は見合わせ、利払いだけで済むようにしてくれた。
資金繰りは好転し、ショックを乗り切れた。
その後単独での生き残りは難しいと判断し、17年、画材大手サクラクレパス(大阪市)の子会社になった。
親会社の営業網を活用し、販路は海外に広がった。
妻倉社長は「大手傘下に入るまでの息継ぎができたのは『リスケ』のおかげ。
円滑化法がなかったら、立ちゆかなかった」と振り返る。(山口博敬) アウトレット家具店などを展開する「のぶちゃんマン」(京都市)も、ショックの直撃を受けた。
多角化が成功していたが急激に業績が悪化した。
債務超過となり、滝下信夫社長(65)は09年に公認会計士から会社清算を提案された。
そんな時に円滑化法が成立した。
取引先の信用金庫が返済条件を緩和し、毎月の返済はそれまでの半額以下に。
店舗を閉鎖するリストラ費用を確保し、家具とパン事業以外から撤退した。
新たに始めた酒類の買い取りと販売事業も軌道に乗り、債務超過から抜け出した。
円滑化法は「企業再生法」だったと実感しているという。
融資先本位へ転換の契機に 円滑化法の制定は政治主導で進んだ。
09年9月、自民党から民主党への政権交代で発足する鳩山政権に、亀井静香・国民新党代表(当時)が金融・郵政問題担当相として入閣することが内定した。
亀井氏は早速、「モラトリアム」に言及した。「わが国の金融は全身に血液(お金)が回っていない。
思い切った対策をやる。
中小企業の借金を少なくとも3年程度、返済猶予するモラトリアムに取り組んでいきたい」リーマン・ショックで景気は一気に悪化していた。 そこへ民主党と連立を組む国民新党の代表として亀井氏が入閣。
同党が公約としていた中小企業対策を実現に移そうとした。
返済猶予という「奇策」には金融界から強い反発が出た。
政権内からも異論が出た。
だが亀井氏は「ダメなら鳩山由紀夫首相が自分をクビにすればいい」と法案作成を指示した。金融担当大臣として亀井氏を支えたのは大塚耕平氏(現・国民民主党参院会長)。
日銀出身の大塚氏は亀井氏に注文をつけた。
「亀井大臣、借りた金は返さないといけません」。 モラトリアムが借金棒引きの「徳政令」と誤解されるのを懸念してのことだった。
亀井氏は「その通りだ。後は任せる」と応じた。
金融界からは大塚氏ねの「陳情」が相次いだ。
「モラトリアムなど無理です。何とかしてください」。
大塚氏は言い返した。
「今回の苦境は企業経営が招いたのではなくリーマン・ショックで起きた。
存続すべき企業を救うのは金融機関のみなさんの役割のはずだ」
法律の素案は大塚氏が書き、金融庁の官僚と修正を繰り返した。
返済猶予は「努力義務」とすることで落ち着いた。
亀井氏はそれを認めつつ金融庁幹部にクギを刺した。
「君たちは今までと正反対の仕事をしてもらう。
検査官は不良債権をあぶり出すのではなく、金融機関が中小企業のコンサルタントの役割を果たしているかをチェックしてほしい」金融機関がリスケを敬遠しないか、目を光らせるように指示した。
さらにこう付け加えた。
「もし私の言うことを君らが聞けないと言うなら、辞表を持ってきてほしい」。 「努力義務」は事実上、強い拘束力を持つことになった。
円滑化法は09年12月に施行された。
金融機関には437万件の返済猶予要請があり、9割弱が認められた。
競争力のないあ企業が延命するとの批判は消えなかったが、多くの企業が立ち直りのきっかけをつかんだ。
同法は時限立法で、13年3月末に役割を終えた。
景気が回復する中、金融庁は15年、「金融行政方針」に「顧客本位の業務運営」の原則を初めて盛り込んだ。
不良債権を減らすことに注力した「金融検査マニュアル」は19年3月で廃止となり、人口減や低成長のなか、
金融機関が取引先の収益拡大につながる融資をできているかを評価する姿勢を前面に打ち出した。
現金融庁長官の遠藤俊英氏は、円滑化法の立案に総務課長として関わった。
「金融機関に融資先の経営改革に力を入れてもらうことが狙いだった。
その精神は現在の金融行政にも生かされている」と意義を強調する。 金融機関 企業コンサルに 当時の金融担当相・亀井静香氏に聞く
ーなぜ円滑化法に力を入れたのですか。
「米国がくしゃみをしたら日本も大風邪をひいて中小企業がバタバタ倒れた。
それがリーマン・ショックだ。大企業は生き残ると思った。
政治がやらなきゃいかんのは中小企業対策だと思って取り組んだ」
ー「モラトリアム」という言葉が強烈でした。
「俺が会見で言ったのは、借りた金を返せるようになるまで返さなくてもよい法律をつくるということだ。
返さなくてもいいなんて言ってはいない。
当時、銀行協会の会長にお願いしたのは、あんたたち金貸しは貸した金に利息をつけてもうけているんだから、
貸した金がちょっと滞ったからといって差し押さえてばかりいたら商売が成り立たない。
ちゃんと利息をつけられるように協力してくれということだった」 ー金融機関に求めたのは努力義務で、時限立法でした。
「俺は借りた金を返せる社会をつくるのが政治の役割だと考えていた。
時限立法にして、その間に勝負すべきだと思ったんだ。
努力義務になったが、金融庁がちゃんとやれと言ったら、義務づけたことと同じことができる。
現に、そうなっただろう。
安倍政権になっても元に戻らなかったから良かったよな」
ー官僚の抵抗は。
「一切なかった。彼らだってやるべきことをわかっていたんだ。
金融機関を起業のコンサルタントにしなきゃいかんということだ。
それがいまの金融庁にも引き継がれているよな」 かたえくぼ
「私の二刀流」
空母と護衛艦
ーーーいずも
(栄・印旛河童) 首輪付け歩けばつまずく白い犬(静岡県 勝田敏勝)上場逆風ソフトバンク。
約束は必ず守るとよくぞ言う(茨城県 岩井廣安)
河野流対ロ交渉さぞ進展(福島県 柴崎茂)
地価が下がると青山吐息(埼玉県 阿部功)
君たちはどう生きるのか青山で(東京都 杉本和久)
ヒデキ感激ローラのインスタ(神奈川県 石井彰)
☆「死にたい」の下に「まあまあ」とある落書き(大阪府 遠藤昭)駅の柱に 辺野古問題 行動しよう私から 会社員 下京敏春(鹿児島県 62)
政府は14日、沖縄県名護市辺野古の沿岸部への土砂投入を強行した。
テレビでその様子を見ていた私は夕方、地元の繁華街で抗議のスタンディングを1人で行った。
即席で作成したポスターには「民意無視の暴挙」の文字。
最初は誰も見向きもしなかったが、やがてポスターに目を向けて、うなずきながら通り過ぎる人が見受けられるようになった。 違和感あった男子→女子の名簿 会社員 清島愛(東京都 32)
福岡県教育委員会が県立高校の入学願書から、性別を記入する欄を廃止するという記事(10月18日本紙)を読んだ。
福岡県立高校を卒業した者の一人として、この変更を支持する。
そしてこの機会に、私の高校時代のように今でも男女別の生徒名簿を使っている高校は、ぜひ変更してほしい。 ボーっとしてても、いいじゃない 主婦 山田智子(新潟県 57)
流行語にもなったNHK番組のせりふ「ボーっと生きてんじゃねーよ!」ですが、使い方には注意が必要だと思うのです。
私が小学生の頃、アメリカのドラマ「大草原の小さな家」をテレビで放映していました。
主人公の少女ローラが学校で米国の歴史を暗唱する場面があり、感動したのを覚えています。 メルケル時代の終わり ヨッヘン・ビットナーさん、パウル・ノルテさん、浜矩子さん
ドイツのメルケル首相が、18年間務めた与党党首を辞任した。
首相職からも遠からず退くとみられる。
「欧州の首相」とも呼ばれた彼女の退陣は、世界に、欧州に何をもたらすのか。 ■異常な時代に雄弁さ欠く ヨッヘン・ビットナーさん(独紙ツァイト・政治エディター)
数年前、ニューヨーク・タイムズ紙でメルケル首相を「自由主義世界のリーダー」と呼んだのは私です。
彼女の分析能力と率直なモノの見方が、リーダーにふさわしいと思いました。
ギリシャ危機に始まるユーロ危機では、豊富な知識と科学的なアプローチで複雑な問題を解決していった。
(聞き手・高野弦) 【茨城】辺野古移設反対に連帯の灯 水戸でキャンドルナイト
ろうそくに火をともし、米軍普天間飛行場(沖縄県宜野湾市)の名護市辺野古移設に反対する住民に思いをはせる「キャンドルナイト」が23日、
水戸市袴塚3のカフェとフルート教室などを運営する「文化問屋みかど商会」で始まった。
水戸から沖縄に連帯の気持ちを届ける。
「みかど商会」を経営する安斎栄さん(59)によると、キャンドルナイトは二〇一二年から始め、
主に東日本大震災や米中枢同時テロの発生日と終戦記念日に合わせて開いているという。
今回は、辺野古移設反対を訴え、本県から少しでも世論を盛り上げていこうと企画した。 大統領宛請願署名 米政府は工事中止指示を(
米軍普天間飛行場移設に伴う名護市辺野古の新基地建設の工事を県民投票まで止めるよう求めるホワイトハウスの請願サイトの署名が目標の10万筆を突破した。
署名が始まった8日からわずか11日間で目標に達した。
それだけ辺野古新基地建設に反対している人々が世界に数多く存在していることの証だ。
・・・ 請願は「県民投票まで辺野古、大浦湾の埋め立てを止めてほしい」と題し、日本政府と米軍が沖縄の民意を無視していると指摘している。
その上でトランプ大統領に「工事を中止させて米国が真の偉大な国であると示してほしい」と訴えている。至極まっとうな主張だ。
発起人はハワイ在住県系4世で32歳のロバート梶原さんだ。
辺野古の抗議活動にも何度も参加しており「自分なら沖縄と米国の間に橋を架けることができると思った」と動機を語る。
沖縄の血を引く1人の若者の呼び掛けが世界中の人々に瞬く間に伝わった。 署名は23日午後5時までの16日間で、15万9千筆を超えている。
1月7日の期限までに20万筆を超えるのは確実な情勢だ。
辺野古の美しい海を失いたくないとの思いが急速に広がっている。
多くの著名人も署名している。
米ロック界の重鎮ヴァン・ダイク・パークスさん、モデルのローラさん、県出身タレントのりゅうちぇるさんらが名を連ねている。
歌手のうじきつよしさんは「かけがえなき沖縄の自然と人々を踏みにじる蛮行を、みんなでストップだ」と記し、署名を呼び掛けた。
・・・ 署名のうねりは日を追って増幅している。
トランプ大統領は膨大な数に上る人々の思いを真剣に受け止めるべきだ。辺野古移設の工事中止を一刻も早く日本政府に指示してほしい。 (声)保育園のハヤシライスなぜ美味 保育園調理師 廣田多恵(愛知県 49)
「先生、子どもが保育園のハヤシライスがいいって言うんだけど、家で作るのと何が違うのかな?」。
お母さんが給食室のドア越しに声をかけてきました。
子どもたちが匂いにつられてのぞきに来るだけでなく、送迎の父母も日常的に立ち寄ります。
「保育園は固形のルーは使わないよ。
トロトロになるまで炒めたタマネギの甘みと完熟トマトで作るよ。
炒めた小麦粉でとろみをつけて、塩で味を調えるだけ」。
化学調味料やレトルトは使わず、天気や活動内容で子どもの食欲や好みが変わることにも配慮します。 土人発言、府知事が看過 津嘉山さん「心の奥底に差別」
津嘉山正種さん(俳優)
今年7月、故郷の那覇市で「人類館」を上演しました。
15年ほど前から続けている一人朗読劇です。
人類館は、1903年に大阪であった内国勧業博覧会で、沖縄やアイヌ、台湾の人たちを生身で展示し、見せ物にした実際の出来事が題材で、テーマは差別です。
本来、人類館をやらなくても済む時代であればやりたくないのですが、やり続けなければならないと思っています。
一昨年、沖縄本島北部の高江で、大阪府警の機動隊員が米軍のヘリパッド建設に反対する市民に「土人」と吐き捨てる事件が起きました。
その後、大阪の府知事さんがそれを看過する状況があり、「ああ、100年前と変わっていないな」と感じました。
・・・ 20代のころ、若手劇団員数人が居酒屋で芝居について議論していた時、輪の外から先輩が口を挟んだので「今はあなたと話していません」と言ったら「馬鹿やろう、何言ってんだ沖縄が」と返されました。
博識で知られる、家は床が抜けるんじゃ、というくらい本だらけの方でしたが、どうしてそういう発言をするんだろうと考えてきました。 改正3年、進まぬ正社員化 派遣法「同じ職場は3年まで」 雇い止め増える懸念
派遣労働者が同じ職場で働ける期間を最長3年とした改正労働者派遣法が30日で施行から3年を迎える。
・・・ 改正法は、それまで派遣期間に制限がなかった秘書や通訳など26の専門業務を含め、派遣社員が同じ職場で働ける期間を一律3年とした。
3年を経過した派遣社員については(1)派遣先企業に正社員化などの直接雇用を頼む(2)派遣会社が無期契約で雇う(3)別の派遣先を紹介する−ことなどを派遣会社に求めた。
ただ、派遣先の企業には直接雇用の義務はなく、3年たったら別の派遣社員に切り替えることも可能なため、正社員化は期待されたようには進んでいない。
派遣社員として働く人に話を聞くと、派遣会社が直接雇用の壁となるケースもあるようだ。
福岡市内の会社に派遣されているシステムエンジニア(SE)の40代男性は「派遣先は直接雇用に前向きだが、派遣会社が派遣先に要求する紹介料の高さがネックになり、話が進まない」と言う。 (声)障害者の働く環境、実態調査を 無職 風間忠道(新潟県 66)
1977年、国立新潟療養所(現国立病院機構新潟病院)の筋ジストロフィー病棟に作業療法士として採用された。
私は乳児期にポリオにかかり、後遺症で両足と右手にまひがあった。
中央省庁や地方自治体における障害者雇用数の水増しが相次いで発覚している。
障害者雇用促進法の確実な運用のための一つの方法として、30年間の勤務経験から、障害者職員の職場環境の実態や働きづらさの原因を探る調査を提案したい。
入職当初、先輩の職員から「松葉杖の障害者がよく就職できたものだ。医療職を甘くみている」と言われた。
私が対応する難病患者の安全を気遣ってのことと解釈したが、大きなショックを受けた。 声)教科書問題、竹富町は屈するな 無職 三上敏夫(神奈川県 81)
保守色を強める安倍政権が発足してから、教科書問題が、急に頭をもたげてきた。
とりわけ疑問に思うのは、独自に採択した教科書を使っている沖縄県竹富町に対して、国が選び直しを要求している問題だ。
地域の教育現場を一番よく知っている町の教育方針に基づき採択された教科書である。
しかも、国の検定に合格した教科書だ。それを国が認められないと介入してくる。
民主主義に、もとる行為ではないか。文部科学省は沖縄県教育委員会に対して、竹富町に是正要求を出すよう指示したが、県教委は従っていない。
これについて下村博文・文科相は、22日の記者会見で「行政機関としてあるまじきこと」と述べ、県教委を改めて指導する考えを示したという。 膳場貴子の母 娘の夫は「容姿で話題にならないが人柄良い」
『NEWS23』(TBS系)のメインキャスター・膳場貴子(40)は三度目の結婚。
しかも第一子を妊娠していることも明らかになった。現在妊娠4〜5か月で、年末に出産予定だという。
最初の結婚は2001年。東京大学在籍時から5年間交際した同級生だったが、わずか2年で離婚。理由は膳場がほとんど家事をしないことが原因と報じられた。
二度目は2005年。
お相手はこちらも東大の同級生で、大手メーカーの海外駐在員だったため、膳場は当時勤めていたNHKを退局してロンドンに移住して専業主婦になった。
だが、渡英の半年後に『NEWS23』のオファーを受けると、単身日本に戻ってしまい、結局は離婚した。
「膳場さんは過去の結婚生活について『私はいつもフラれる方』と嘆いていました。
ただ、子供を産みたいという願望は強かったようで、友人に子供が誕生すると『羨ましい』と漏らすことが多かった。
それほど子供が欲しかったんだと思います。
とはいえ40歳で『デキ婚』とは驚きです」(TBS関係者) 今回のお相手は大手広告代理店に勤務するエリートで、またもや東大の同級生。
柔道部に所属していたスポーツマンだという。
過去に選んだ夫の経歴を考えるとこちらも“いかにも”な組み合わせだが、
丸井創業者の孫と結ばれた山岸舞彩(28)の結婚とは逆に“妻上位”の夫婦になりそうだ。
「2人は都内の桜の名所にほど近い高級マンションで、すでに一緒に暮らしています。
ただ、膳場さんは出産後にキャスター復帰したい意向と聞いています。
また、再び姓を変えることを嫌がって、旦那さんが膳場姓になったそうです」(同前) 膳場の母親を直撃すると、
「とても心の広い優しい方だと思います。
ウチの主人は『もし自分が採用試験の面接官なら、彼を一番に取る』と言うほど。
決して容姿で話題になるタイプではないと思いますけど、ホントに人柄が良いんです(笑い)。
あとは早く安心できるように、無事に生まれてきてほしいです」
と嬉しそうに語ったが、「婿入り」については「違います」と否定した。
※週刊ポスト2015年8月14日号 「くたばれブロフェルド、くたばっちまえ!」
愛妻を殺され、傷心のボンドをMは日本へ送り込んだ。
万能暗号解読機を入手するため、そして使い物にならず、解雇寸前のボンドに最後のチャンスを与えるためでもあった。
彼を迎えたのはタイガー田中と名乗る男だった。
男は解読機を渡す代わりに、福岡で毒草を栽培する危険な植物学者の殺害を命じる。
ボンドは条件を呑んだ。だが、その学者の写真を見た彼は……!
ボンドの眼を借りた日本観が横溢する注目作。 (声)語りつぐ戦争 コックリさん予言当たった! 主婦 谷衣子(京都市北区 83)
45年の夏、女学生だった私は学徒勤労動員令によって、宿舎で暮らしながら軍の工場で爆弾の製造作業に従事していました。
私たちの間ではやっていたのが「コックリさん」という占いでした。
五十音が記された大きな紙の上を割りばしでたどることで質問に答える、という遊びでした。
8月初めのある夜、誰かが「戦争はいつ終わりますか」と質問しました。す
るとリーダーの子が持つ割りばしが動き始めました。私たちは息をのんで後を追いました。
何と「モウスグオワリマス」でした。
連日の残業で心身ともに疲れ果てていた私たちは、「もうすぐ辛(つら)い作業から解放されるのだ」と思わず歓声を上げました。 声)語りつぐ戦争 兄はメレヨン島で餓死した 主婦 藤嶽みき(三重県いなべ市 87)
3歳上の兄は44年12月、太平洋のメレヨン島にて23歳で「戦病死」しました。
戦後、届いた小隊長さんの手紙によると餓死でした。
この島は敵が上陸せず、戦死者は300人ほどですが、サイパン陥落で補給路をほとんど断たれ、6千人以上の将兵が飢餓線上をさまよったそうです。
トカゲや草木の葉を食べ、アメーバ赤痢で1日数十回の下痢に苦しみ、数千人が餓死・病死したといいます。
終戦の翌年、雑誌「世界」にその生き地獄の様相を伝える文章が載りました。
将校は無事に故国へ戻った人も多いのに、兵の多くは帰れなかった。
食料は公平に配られていなかったというのです。
近所の人にこの雑誌を読ませてもらい、なけなしの食べ物を分け合っていたと信じていた私は、本当にショックを受けました。 軍隊の冷酷さ、非人間性。その後もメレヨン島の記事が出ていると聞けば何でも読みました。
旅団長の陸軍少将は終戦の2年後に割腹自殺しましたが、餓死した兵士の無念、苦しみは消えません。
遺族の悲憤も収まることはありません。
戦うことなく、ただ飢えて死を待つ極限の兄たちの姿、心境を想像するだに、今なお私の胸ははりさけそうです。
この悲劇を風化させてはいけない。
語りつぐことで兵士たちへのせめてものおわびと追悼にしたく思います。 15歳で赤紙、手榴弾腰に震えた 無職 川野名智(東京都足立区 83)
当時の樺太の日ソ国境の町、敷香町で生まれ育った。
終戦直前の1945年7月末、中学3年の私に陸軍から突然召集待機命令が、1週間後に召集令状が届いた。
徴兵検査もまだなのになぜ赤紙が、とは思わなかった。
「お国に奉公できる」と中学の作業着に陸軍2等兵の襟章を着け、喜び勇んで地区特設警備隊に入った。
半数が中学3、4年生で、2年生もいた。
連参戦で北へ30キロほど移動した。
30人弱の2個分隊で敵戦車の南下を阻止する作戦だ。
工兵隊が橋を爆破後、川をせき止めあふれさせる。
それでも渡ってきた戦車は、川岸の「たこつぼ」に身を潜めた兵士が手榴弾(しゅりゅうだん)で迎え撃つ――。 東日本大震災:福島から生の声を 原発避難の酪農家・長谷川さん講演会−−25日 /和歌山
東京電力福島第1原発事故による放射能汚染で避難を余儀なくされている福島県飯舘村の酪農家、
長谷川健一さん(59)による講演会「原発に『ふるさと』を奪われて−福島県飯舘村は今−」が25日、
和歌山市三沢町1の「中央コミュニティセンター」で開かれる。
長谷川さんは同村で35年間酪農を営んできたが、事故の影響で休業。現在は同県伊達市の仮設住宅で暮らしている。
同県相馬市の酪農仲間が「原発さえなければ」と書き残し自殺したことをきっかけに、2011年7月から全国で講演活動を始めた。
出荷制限で原乳を絞っては捨てざるを得なかったこと、牛の殺処分を巡る苦悩など、事故後自ら撮り続けた同村の映像を交えながら、現状や思いを語る。 お嬢さんに対する恋をKから打ち明けられた『私』の心理状態。
→「予想もしていなかった」Kの告白に、「私」は衝撃を受け、「Kに自分が恋するお嬢さんを奪われるのではないか」と危機感を抱いた。
Kと『私』の性格は、それぞれどのように描き出されているか。
→Kは「道のためならほかの全てを捨ててもよい。
強い人間になりたい」と願いながら「衰弱して弱くなっても自分の生き方を貫こうとする頑固者」。
「私」から「非人間的」と見られていたが、「お嬢さんに出会って恋をした」結果、「人間らしさ」を取り戻そうとしていた。
が、「私の策略」で「お嬢さんを奪われ、今までの生き方にも戻れず、『弱い人間』として自殺する道」を選んだ。 かたえくぼ
「見解の相違」
景気拡大ーーーー日 銀
ケーキ縮小ーーー我が家
(町田・マグマ) 「寄り添う」のウソと誠を思いけり(和歌山県 保富学)
お言葉に耳塞いでるかも安倍氏(長崎県 張本雅文)
☆天皇に最も似合う平和賞(埼玉県 椎橋重雄)
あっぱれとやり過ぎ交じる特捜部(千葉県 大村英正)
日本に警鐘鳴らす津波かな(愛媛県 真鍋信二)
羽生(はぶ)羽生(はにゅう)ともに無念な年の暮れ(東京都 坪田未沙子)無冠と無傷
馨さん稀勢の里より強いかも(東京都 大和田淳雄)伊調最後10秒逆転 愛のない国の大人の責任とは 主婦 伊藤智子(愛知県 59)
前沖縄県知事、翁長雄志氏の言葉通り、この国には愛がない。
森友問題の徹底審査を望む 無職 酒井伴美(神奈川県 85)
「森友学園問題 近畿財務局OBに聞く」(19日本紙)を読んだ。 共生に向け私たちにできること 介護職員 岩田みどり(群馬県 44)
改正出入国管理法が成立した。
児童相談所建設なぜ反対するの 地方公務員 岸本純子(福岡県 44)
東京の南青山で児童相談所の建設計画が難航しているというニュースを目にしました。
私は児童相談所に保護された子どもたちと一緒に過ごす機会がありました。 正直に誤ったらお釈迦様が・・・ 無職 佐藤正久(東京都 69)
署名求める活動活発 ホワイトハウス辺野古中止請願(2018/12/25琉球新報)
米軍普天間飛行場の移設に伴う名護市辺野古への新基地建設に関し、県民投票まで工事中止を求めるホワイトハウス請願署名へのさらなる協力を呼び掛ける活動が活発になっている。
ツイッター(短文投稿サイト)で反ヘイト運動のメッセージを発信している那覇市在住の「Merry NoHate Xmas!(アカウント名)」さん(23)は署名を呼び掛けるクリスマスカード風のチラシを作成し、投稿した。
署名の方法を記し、請願サイトにつながるQRコードをあしらった。
さらに署名運動に賛同する県内在住の有志が16、23の両日、那覇市の県民広場で署名発起人のハワイ在住県系4世、ロバート梶原さん(32)のメッセージ動画などをモニターで流すパブリックビューイングも行った。
23日には「Merry」さんデザインのチラシ約350枚を配った。 ル・シッフルはもとの椅子に戻って待った。
たばこに火をつけて、向かいあったぐったりしたからだの下の、床に散った血だまりを見て考える。
ボンドはまた、哀れなうなり声を上げた。
人間の声とは思えない声だった。
目を大きく見ひらき、拷問者をぼんやり見つめる。 ル・シッフルは口をひらいた。
「これまでだ、ボンド。いまからきみに止めを刺す。わかるか?
殺すんじゃない、男としてのきみに止めを刺すんだ。
それから、女をここへつれてきて、きみたちふたりの残骸から何か聞き出せるかどうかやってみるつもりだ。」
テーブルのほうに手を伸ばす。
「ボンド、その大事なものにさよならをいえよ。」 18 岩のような顔
別な人間の声が聞こえるのは異様なことだった。
これまでの長い時間、恐ろしい拷問のさわぎと、それについての対話だけだった。
ボンドのかすんだ感覚には、この新しい声は受け入れられなかった。
そこでいきなり、半分意識をとりもどす。
また目が見えて、耳が聞こえるようになったのに気づいた。 しつけと体罰
発達に悪影響、法律で禁止を 瀬角南さん(セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン職員)
セーブ・ザ・チルドレンは、約120カ国で子ども支援の活動をする国際NGOです。日本では30年の歴史があります。
昨年、私たちが実施した成人2万人への調査では、約6割がしつけのために子どもに体罰をすることを容認、子育て中の1030人のうち7割にしつけとしてたたいた経験がありました。
一方で9割以上が、たたかない、怒鳴らない子育てに関心がありました。 たたく背景には、ある行動をすぐにやめさせたいから、口で言うだけでは子どもは理解しないから――などの考え方があります。
自分もたたかれて育ったとか、愛情があればわかってくれるなどと考え、日本ではたたくことはしつけの一環だと思われています。
しかし、体罰は発達に悪影響を与えます。福井大学の友田明美教授の研究で、体罰や暴言は子どもの脳を傷つけることが示されました。
厚生労働省が呼びかける「愛の鞭(むち)ゼロ作戦」にも引用された、約16万人の子どものデータを分析した米国の学者の研究でも、
親の体罰は親子関係やメンタルヘルスの悪化をもたらしたり、反社会的な行動や攻撃性が強まったりすることが明らかにされています。
東京医科歯科大学の藤原武男教授らの研究でも、お尻をたたくことは落ち着いて話を聞けないなどのリスクを高め、
しつけとしては逆効果であることが示されています。 私も小2の息子がいます。
子育ては楽しいですが、日々大変なことも多いと感じます。
ですがまずは、たたいたり怒鳴ったりしないと心に決めることが大切です。
セーブ・ザ・チルドレンは、たたかない、怒鳴らない子育てをするための考え方を伝えるプログラムを作り、各国で使われています。
その中で重視されている一つは、子どもの視点で、なぜその行動をとるのかを考えることです。
私自身、子どもには子どもの理由があることを理解してからは、頭ごなしに「何やってんの!」と怒ることはなくなりました。
息子は5〜6歳のころ、ゴミをゴミ箱に向かって放り投げ、周囲を散らかしていました。
私はムッとくるのですが、理由を聞くと、「入ったら気持ちいい」「格好いいと思った」と。
行儀が悪いと思う私には想像もできない答えでした。
別の格好いいことを一緒に探し、「ゴミが散らかっているのはいやだねえ」と話しました。
息子の行動は徐々になくなりました。 世界で体罰を法律で禁止している国は、ヨーロッパ諸国のほかモンゴル、ネパールなど54カ国にのぼります。
最も早い制定は1979年のスウェーデンです。
60年代には6割近くが体罰を容認、9割以上が実際に体罰をしていましたが、法律で禁止し、
啓発活動を進めた結果、2000年代にはそれぞれ約1割まで低下しています。
日本でもあらゆる場面での体罰を禁止する法律が必要です。
罰するためではなく、規範のための法律です。
そこで問題にされるのが、民法で定められている親の懲戒権です。
たとえば、懲戒権のなかに体罰が含まれるため、体罰禁止となるとしつけができなくなるといった考え方です。
しかし、懲戒権と体罰は別の話であり、子どもに何かを教える方法として罰は必要ありません。
学校教育法では教師に懲戒権を認める一方で、体罰は禁止しています。
将来的には民法の懲戒権規定は削除するべきと考えますが、まずは体罰禁止を明確に法律で定めることが早急に必要です。 虐待事件で親が「しつけのつもりだった」と言うのをよく聞きます。
しかし、しつけと罰は違います。
「体罰はしない」という考えを、社会の基本にすることが必要だと思います。
(聞き手 ともに編集委員・大久保真紀)
◇
瀬角南(せすみみなみ)
1976年生まれ。銀行員を経て、2014年から公益社団法人セーブ・ザ・チルドレン・ジャパン。
現在は国内事業部プログラム・マネージャー。 有能感得る親、子は他律的に
しつけと体罰 西澤哲さん
にしざわさとる 1957年生まれ。
山梨県立大学教授
虐待を受けた子どもや虐待傾向のある親の心理的ケアが専門。
著書に「子どものトラウマ」「子ども虐待」など。
「しつけ」の語源のひとつは、仏教用語「習気(じっけ)」と言われています。
習慣化するという意味です。 本来「しつけ」とは、子どもが自らの行動や感情を調整する力を養うためのものです。
たとえば、赤ちゃんは不快な状態で泣いているときに自力では快の状態に戻れません。
養育者があやすなどの刺激を与えて、安定状態に戻ります。
それを繰り返すことで習慣化し、自分の力で回復する力がつきます。
「しつけ」の目的は、自己を整える自律性(セルフコントロール)の形成です。
日本ではしつけの一環としての体罰が広く容認され、「言っても聞かない子にはたたいてでも教えるのが親の務め」と思っている人が多いと思います。
しかし、実際にはそれは「しつけ」ではなく、子どもの行動をコントロールできたという親の達成感・有能感を得るための行為と言えます。 体罰には即時的効果があるとされてきました。
たとえば、ある行動をしてほしくないとき、罰を与えれば、その行動は止まります。
しかし、維持するには、その行動が出たら、その都度罰を与えなければなりません。
何度も繰り返していると、痛みに慣れ、同じような効果を得るためには、より重い罰や量を増やす必要が出てきます。
子どもは他律的になり、自律性を養う「しつけ」の本質とは逆になります。
つまり体罰は「しつけ」を壊していると言えます。
しかも、体罰に悪影響があることは、近年科学的にもはっきりしてきました。
自分の痛みへの感覚がまひすることで、共感性が阻害され、罪悪感が形成されなくなります。
体罰の結果、感情調節がうまくできなくなったり、衝動性が強くなったり、対人関係がうまくとれなくなったりします。 日本ではいつから体罰をするようになったのでしょうか。
16世紀に30年以上日本で暮らした宣教師のルイス・フロイスは「日本では子どもを育てるのに懲罰ではなく、言葉で戒めている」と書いています。
思想史家の渡辺京二さんの著書「逝きし世の面影」にも出ていますが、明治期以前は日本では体罰はなかったようです。
しかし明治になって、脱亜入欧の名のもと、日本社会では急速な西欧化が進められ、西欧的な育児観が取り入れられたと思われます。
当時、西欧では子育ての中で子どもをたたくことが必須でした。
人間は悪魔を宿して生まれてくるというキリスト教の性悪説がベースにあります。
騒ぐなど親の思い通りに行動しないときは、体の中からその悪魔をたたき出さないと子どもは育たないという考え方です。
仏教文化圏の日本の性善説とは相対するものですが、精神文化や生活様式が急速に西洋化され、無批判的に導入されました。 そして、それに軍国主義が加わります。
学校で軍事教練が始まり、体罰容認の考えが強化されていったと推測します。
共感性豊かな兵隊は使いものになりません。共感性をそぐために己の痛みに鈍感になる教育が行われました。
でも、考えてみてください。
暴力が介在して人間関係があるというのはおかしくないですか。
殴られたことがある人は体罰を肯定します。
それは、自分の人生を肯定したいという意識が働くからです。また、体罰を肯定する人は、虐待をする傾向もあります。
いまの日本は少子化が進み、社会の子どもへの許容度、寛容度が低くなっています。
「汚い」「うるさい」「騒がしい」という反応を気にして、騒ぐ子どもを何とか静かにさせようとたたく親もいるでしょう
。子どもが泣いたり騒いだりするのは当たり前という社会でなければ、親が子どもを押さえつけようとする力はさらに強くなるでしょう。 「007カジノ・ロワイヤル」イアン・フレミング 井上一夫訳
戸口からの静かなひと言で、あとはしーんと静まりかえっているのがわかった。
ル・シッフルがゆっくり顔をあげ、ぽかんと驚いた顔になり、無邪気なただの驚きが、ゆっくりと恐怖に変わってゆくのが、ボンドの目にも見えた。
「やめれ(シュトップ)」その声は静かだった。
椅子のうしろに、ゆっくり近づく足音がボンドにも聞こえる。
「そいつを捨てれ」うしろの声は言った。 ル・シッフルがすなおに手をひろげ、ナイフがガタンと床に落ちるのをボンドは見た。
自分のうしろで何ごとが起こったのか、ル・シッフルの顔から読みとろうとボンドは必死だった。
だが、目にはいったのは、ただあっけにとられて、怯えているだけの顔だった。
何かいおう、何かたずねようとするらしく、口のなかにそれに必要なつばを集めようとしながら、肉の厚い頬をふるわしている。
両手が意味もなく、膝の上でパタパタ動いていた。 その手がひとつ、ちょっとポケットのほうにゆきかけたが、すぐにもどってしまう。
丸いギョロリとむいた目が、一瞬下に向いたが、ボンドはル・シッフルには拳銃が向けられているのだろうと思った。
ちょっと静かになる。
「スメルシュ」
ため息とともに、この言葉が出てきた。
ほかには何もいう必要がないみたいに、この言葉はすっと尻すぼまりのひと言だけだった。
最後の説明という口調だった。あらゆる言葉のなかで、最後の言葉。 「そんなはずはない。」
ル・シッフルはいった。
「そんな・・・おれは・・・」
声がとぎれる。
説明をし、いいわけをするつもりだったのだろうが、相手の顔を見て、そんなことが無駄だとわかったのだろう。 「お前の手下ふたりは、ふたりとも死んだ。
お前はばかでこそ泥で反逆者だ。
おれはお前を消すために、ソ連から派遣されてきた。
ただ撃つだけしか暇がないのが、お前の幸運だ。
できたら、うんとひどいなぶり殺しにしろと命令されてきた。
だが、お前のために起こった事件の尻ぬぐいを、こっちがやるわけにはいかないからな。」
なまりの強い言葉がとぎれた。
部屋のなかはひっそりして、聞こえるものはル・シッフルのぜいぜいいう息づかいだけ。 かたえくぼ
「101兆円予算」
膨(ボー)っとしてんじゃねーよ!
ーーー財政
(春日部・良ちゃん) 「寄り添う」の意味がストンとこの師走(大阪府 橋野喜紀)
今上の庭の教えは民主主義(奈良県 伊谷剛)
去る部下を石もて大統領は追い(三重県 山本武夫)
反論が北に似てきた韓国軍(茨城県 霧生海風)
手のひらに壁という字を書いてみる(栃木県 井原研吾)
政治家の日本語劣化国難だ(千葉県 西宮悦夫)
☆ふと思うボクの日本語確かかな(福岡県 吉原鐡志) 「空母化」するならシェルターを 無職 倉持三郎(東京都 86)
政府は、海上自衛隊の「いずも」型護衛艦を戦闘機が発着できるよう改修し、事実上「空母化」するという。
空母は「動く航空基地」とも呼ばれ、攻撃拠点になりうる。
子どもの心癒やす楽しい学校に 心理カウンセラー 浦川嘉治(福岡県 76)
「先生の余裕 子どもにもプラス」(11日)を拝読。全く同感です。
「みんなが分かる、楽しい授業」は、「学校は楽しいところ」の基礎になります。 わが家の法事、男も接待しよう 喫茶店経営 飯尾敏男(愛知県 50)
父の七回忌で、久しぶりに実家に帰った。
私は男ばかり4人兄弟の次男で、ただ一人の独身。
親戚十数人の接待のため、母の下命によりコーヒーを入れる係を務めた。
義姉が湯を沸かし、カップを用意。私がコーヒーをいれて、義妹2人が応接間に運ぶ。
繰り返すうちにふと気づいた。
他の兄弟は所在なげにうろついたり、座って見ていたりするだけなのだ。 外国人との共生 日本人とは(下)
多様な背景持つ人に重国籍を 主婦 孫瑠華(東京都 30)
韓国系アメリカ人の夫との間にもうすぐ子どもが生まれます。
私は日本人です。
子どもには「自分は何人であるか」悩まず、韓国のルーツも、日本人である誇りも、アメリカの文化も大切にしてもらいたい。
国籍に関係なくグローバル人と自覚してもらえたらと思います。 日本人と外国人の概念超えて 契約社員 秋山信孝(東京都 69)
私には「外国人の孫」がいる。
30年米国に暮らす息子を父に、米国人を母に持つ10歳と6歳の孫だ。
「国に貢献したい」移民もいる 大学院生 内山みどり(東京都 24)
先日、オーストラリアでミャンマーから移民した家庭に滞在させてもらった。 文 世光(日本語読み: ぶん せいこう、朝鮮語読み: ムン・セグァン、1951年12月26日 - 1974年12月20日)は、
朴正煕大統領を殺そうとしてその夫人の陸英修を射殺した文世光事件の暗殺者である。
大阪在住の在日韓国人で、日本での通名は南条世光(なんじょう せいこう)と言ったが、北朝鮮の工作員となった。
1951年(昭和26年)大阪府大阪市東住吉区に、石綿製品製造業を営む家の三男に生まれた。本籍は慶尚南道。
高校を2年で中退。大阪在日韓国人居留民団生野北支部に加入。
高校の頃から「金日成選集」「毛沢東語録」などを読みふけり、左翼思想に傾倒した。
1973年9月、文は朝鮮総連大阪生野西支部政治部長の金浩竜(キム・ホリョン)と初めて接触し、韓国の大統領を暗殺して「人民蜂起の起爆剤」となれと扇動された。
10月頃には、友人で後に共犯となる吉井美喜子に「韓国で革命を成し遂げるには朴正熙を殺すしかない」との決意を語り、1973年11月に金から50万円の工作金を受け取った。 1974年、大阪の在日韓国人文世光(日本名南条世光、当時22歳)は在日朝鮮総連生野支部政治部長の金浩龍の指導により北朝鮮工作員となり、
朝鮮総連系病院である東京都足立区の赤不動病院に偽装入院して共産主義教育と狙撃訓練を受け、その頃大阪湾に入港した万景峰号の船内で北朝鮮労働党の工作員から韓国の朴大統領の狙撃を指令される。
その後、文世光は、大阪府警の高津派出所から警官のピストルを奪い、日本人吉井行雄になりすましてそのパスポートを取得し、奪ったピストルを持って韓国に入国する。
そして、ソウルにおいて八月十五日に大統領出席のもとで行われる光復節の記念行事会場に日本政府高官として入場して、演壇に立っていた朴大統領を狙撃した。
弾は大統領には当たらなかったが横にいた大統領夫人に当たり同人を死亡せしめた。 捕らえられた文世光は同年十二月二十日に死刑に処せられるが、その直前に朴大統領と韓国国民に謝罪すると共に「朝鮮総連に騙された」との発言を録音テープに遺した。
この文世光事件は、北朝鮮のテロにもかかわらず、韓国の日本に対する国民感情を国交断絶寸前まで悪化せしめ、北朝鮮に日本人をして対南テロを行わせるうま味を実感させた。
以後、北朝鮮による、日本人拉致と、工作員の日本人化教育が活発になる。
あの「日本人蜂谷真一・真由美親子」による大韓航空機爆破事件は、文世光事件の一つの帰結である。 「海とジイ」
「再生」描いて扉開ける手助けを 藤岡陽子さん(47)
大学を出て3年半、スポーツ紙の記者をしていた。
高校野球の取材で、エースや4番バッターよりも、ベンチに入れず背番号もなくスタンドで応援している選手たちにひかれた。
「地道に頑張っている人を小説の形で描きたい」と思い、作家になることを決めた。
「日本人のいない所で自分をリセットしたい」と考え、1カ月後に知人の紹介でアフリカ・タンザニアの大学に留学。
スワヒリ語を学ぶ日々だったが、過酷な体験もした。
水道管が破裂した時は泥水を飲んだ。マラリアに2回かかり、死にかけた。
「生きることに執着が生まれ、何でもできるような気がしました」と振り返る。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています