私の事を受け扱いするセックスを要求された時
何も出来ないまま自爆したという事と
「普通のセックスは予定調和で成り立っているセックス」だと言う事から
受けと攻めの正体は何なのかの解明が可能なのだ
「レイプに屈する」が「受け」で「レイプに屈しない」が「攻め」なのだ
言い換えれば「本気でレイプに屈していない事を証明して見せろ」を要求された時
「何も出来ないまま自爆した」事からこう言う事がわかるのだ
「受け」の方が実は本体で「攻め」の方が実は虚構だと言う事になる
つまり「この世界の住人の本性は受け」だと言う事がわかるのだ
つまり「受けな自分を愛して」を表現するのがエッチシーンの目的だと言う事がわかるのだ
早い話エッチシーンもただの見栄でしたと言う話なのだ
つまりこれを真に受ける事ができるとは
「攻めも受けもどっちも出来ますよ」が自分の中にはある事になる
これを真に受けるとはどっちも本物扱いしている事になるからである
つまり誰相手とセックスしたところで私の通りのセックスにしかならない話
しかも「私には攻めしか出来ない」事もわかりました
何故なら「私に受けを求めない相手としかセックスできない日々」が待ち受けているからである
つまり「予定調和が通用しないもの同士のセックス」しか無い日々が待っている
「予定調和が通用した時点で受けになるのが確定されるから」である
つまり「先読みできない日々」は今後も続くという話です
そうでしょ「エドナ」