> 「ヨオロッパの世紀末」「本当のような話」「時間」
その感想を一言で言うならば、つまり人が或る時に肉体をもって或る幻想の中で自分という境界をほぐされ外からの力に同化してしまうことを望むのは決して珍しいことではなく、
或るときはまるで大切な古酒を盃に少しずつ注いではその香を移ろうごとに味わうようにゆっくり本の頁を繰り、そこに並ぶ言葉の響きと行間のゆらめきと連想の奔流にただ流され漂い続けて自分の思考の輪郭がいつしかにじみ、ぼんやりと溶けていく悦楽もあれば、
それがまた異質な者たちとのたとえば屈辱或いは甘美という名でしか言いようのない秘められた支配とも共有とも言うべき形式で訪れる僥倖もあるのであって、
それらの経験の構造は、結論に至る一歩手前で何度も何度も迂回させられ執拗に絶え間なく周回させられるうちにその渦のなかで昂ぶりを増していくという点で通底しており
すなわち“優雅な遭難”とは、この延々と繰り返される漂流の中での不安の快楽に他ならず、そしてそれが文学と性愛とをひとつに結んでいるのだとすればこれを一言で言い当てた彼女の慧眼と才筆には改めて舌を巻くほかないのである。