スシローってこういうタイプかひどすぎるな
https://Lite-ra.com/2018/02/post-3801_3.html

かつては小沢、いまは安倍──政治記者・田崎史郎のスタンスが窺えるが、そんな関係から田崎氏は「こちら特報部」の取材にこたえたらしく、
権力者と記者の距離感、そして安倍首相との関係についてこう開き直っている。
「社会部などの記者と違い、僕たちは政治家をずっと取材しないといけない。良好な関係を保ちたい気持ちが働く」
「総理の本音を知ることは、安倍一強とされる政治を知る上で重要な要素だ。政権べったりと批判を受けても悪いと思わない」

 いやはや、取材対象とりわけ権力者といかに距離を置くかはジャーナリズムにとって重要課題のはずにもかかわらず、
田崎氏はそんな問題意識すら持ち合わせていないらしいが、さらに記事では“べったりじゃなければ政治記者ではない”という現在の政治記者批判、言うなれば“スシロー哲学”までもが披露されている。

「かつての記者は派閥とほぼ一体化していた。一線を引く流れの中で、政治家の本音を知らずに書く記事が増えている。会見の場で簡単に口を割る人たちじゃない」
 田崎氏は安倍首相との会食について“複数の記者ら”が一緒であり、
“当初は割り勘で、現在は記者側が全額を負担している”と、まるで批判に当たらないかのような言い訳までしているが、唖然とするのが、
田崎氏自身、政治権力に利用されていることを十分自覚しながら、
その上で、それは自分の判断だと開き直っていることだ。
「今も利用されていると感じているが、利用されるかどうかはこちらの判断。
『いずれ書くぞ』というのが、最大の良心でありプライドだ。言いなりの記者には視聴者の目も厳しい」

 この人はいったい何を言っているのだろう。当たり前だが、田崎氏は単なる傍観者ではない。
曲がりなりにも政治の中枢に食い込むジャーナリストではないのか。
実際、ワイドショーに出まくり、世論を形成する役割さえ担ってもいる。
 そんな田崎氏が「いずれ」などと悠長なことを訳知り顔で語っている間に、安倍政権下でどんなことが行われ、何が進められたか。