戸叶和男の『日本奇習紀行』

最近でこそ行う家も減ってきてはいるが、かつて日本では女児が無事に初潮を迎えると、その成長を祝う形で、赤飯を炊き、家族揃って祝ったものである。
しかし、そうした初潮の訪れを祝う儀式の中には、現代の我々からすると、いや、当時の多くの人々から見ても、とても現実のものとは思い難いほどに奇妙な、信じ難い儀式も存在していたようだ。

「たしかに目出度い話なんだろうけれどもね。でも、当の女たちからすれば、甚だ迷惑な話でしかない風習だったと思うよ」

かつて中国地方の一部で行われていたという、女児の初潮を祝う不思議な儀式についてそう語りはじめたのは、現在も当地で暮らしているという村上芳吉さん(仮名・87)。
村上さんの話によると、今を遡ること70年ほど前の昭和10年代半ば頃までは、その奇妙な儀式が公然と行われていたのだという。

「昔はさ、初めてのモノが来ると、赤飯炊いたりしただろう?ああいうのと同じこってね、このあたりじゃ、村全体でお祝いすることになっていたんだけれどもさ、そのお祝いってのが本当におかしなものでね、村の真ん中ぐらいにある辻のところにある柱にね、裸にされて三日三晩、縛り付けられるっていうやつなの。そう、晒し者だよ、本当に」

少女にとっても、また、その家族をはじめとする、周囲の大人たちにとっても、本来であれば祝うべき出来事に際し、あろうことか、全裸にされた挙げ句に手足の自由を奪われた形で晒し者にされるのだから、開いた口が塞がらない。
しかも三日三晩もの間、少女は羞恥と苦痛に耐え続け、文句ひとつ言うことさえ適わぬのだという。

「そりゃあ、本人からすりゃあたまったもんじゃないわな。同じ学校に通っているような、年恰好の近い男の子らからも見られちまうんだから。
けど、当時はそれが普通でね。誰一人、やめようだなんて言い出さなかったから不思議な話だよな」

村上さんの話によると、もともとこの習慣は、この地を収めていた領主に対して、村の女児を、側室の候補として見てもらうために行われはじめたのが、その起源だという。
無論、それがどの程度、確度のある話なのかは定かではないが、いずれにしかり、当時、こうした虐待とも言える仕打ちに見舞われた少女たちの胸中を思うと、なんともやりきれないものがあるのも事実である。

以下ソース
http://tocana.jp/2017/11/post_15037_entry.html

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