戸叶和男『日本奇習紀行』

 人の欲望というものは飽くなきもので、男女ともに素敵な伴侶に恵まれていたとしても、それとは異なる肉体を求めてしまうという人も少なくない。そうした意味で言えば、かつて東北地方のとある地域に存在していたという“珍妙な風習”は、まさにそんな“欲深い男女のための受け皿”として機能していたと思しきものと言えそうだ。

「まあ、ほかに何も楽しみがない連中だしね。朝が来れば畑に出るし、日が暮れれば家に帰って寝る。それだけの人生さ。それにね、もともと、あのあたりじゃ、“そういうこと”には大らかだから(苦笑)。みんな楽しんでたわけだし、別にいいんじゃねえのかな」

 かつて自身が暮らしていたという、東北地方のとある寒村に伝わるその奇習についてそう語るのは、現在では郷里を離れ、関東近郊の住宅地でその余生を送る山本仙蔵さん(仮名・87)。山本さんの話によれば、その昔、同地域とその周辺の村々では、既に結婚してお互いに伴侶がいる状態となっている男女が、あろうことか、乱交じみたセックスを楽しむだけの行事が、定期的に行われていたのだという。

「言ってしまうとね、三の倍数の月な。三月、六月、九月、十二月。この月のね、満月の夜になるとさ、村はずれにあるお堂に集まるんだわな。そう、そこいらの男や女が。んでもって、月が見えなくなって、お天道様が昇る頃に終わる、と。そういう行事だね」

 我々に対し、なんとも“あっけらかん”とした様子で、当地の“乱交行事”についてそう語る山本さん。要は3カ月に一度の割合で、村で暮らす夫婦たちが、日頃抱えている悶々とした思いを一気に発散させるがごとく、他所の家の夫や妻たちと、ただひたすらにセックスするという行事のようだが、そんなある意味、“無茶苦茶すぎる行事”にも、それなりのルールが決められているのだという。

「まずな、たとえば男にしろ、女にしろ、誰かと交わるだろ? そしたらね、次の相手と交わる前に、一度、お堂のそばにある滝へ行って、身を清めなくちゃならない。それをやらずに次の相手とナニしたらダメだということになっていてな。あのあたりじゃ、どんな罪でも、あの滝に打たれることで洗い流せるっていう話が昔からあるものだから、そういう決まりができたんじゃねえかな」

 こうした“簡易の禊”ともいうべき行為のほかにも、いわゆる“中出し”行為を絶対にしてはならないという決まりや、万が一、この行事が元で子供が生まれてしまった場合、生後すぐに里子に出すことなど、いくつかの決まりごとが存在していたのだという。

「なんだろう、別にこういう決まりがね、あろうとなかろうと、大して変わらないとは思うんだけどもさ、そういうものさえないようじゃ、それこそ、“やりたい放題”で収拾がつかんわけ。だから、そうなったんだと思うよ、俺は」

 その後、時代の流れと共に、徐々に過疎化が進み、参加者が集まらないという理由で、やがて姿を消したというこの風習。その是非はともかく、山本さんの話を聞く限り、少なくとも当地の住民たちにとっては、数少ない、貴重な娯楽としての側面があったと言えそうだ。

以下ソース
https://tocana.jp/2018/10/post_18136_entry.html

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