紀平は、小学5年生から現在の濱田美栄コーチ(59才)の指導を受けているが、コーチを探してきたのは、サラリーマンでスキー指導者の資格を持つ父親だった。
「お父さんは紀平選手に、より高いレベルの指導を受けさせるために、好成績を上げているチームの選手を大会ごとにチェックし、情報を収集。濱田コーチに白羽の矢を立て、フィギュアスケートクラブ『関西大学KFSC』を選びました」(フィギュア関係者)
その練習量はすでにシニア選手並みだった。
「毎日朝練をしてから小学校に登校。授業を受けたら昼休みにトレーニングのために抜けて、1時間くらいで学校に戻る。午後の授業を受けたらまたリンクに直行。お母さんは自宅のある西宮から練習場のある大阪・高槻市へ送迎するために、フルタイムの事務職員を辞め、時間の都合がつきやすいデパートの販売員に転職までしたそうです」(スポーツ紙記者)
紀平が進学した中学が自宅から遠く、通学の往復のためにスケートの時間を削らなければならなくなると、「娘がスケートの練習に集中できるように」と、住んでいた一戸建てを売却し、学校とリンクに通いやすい場所に引っ越した。娘のためにすべてを投げ打つ両親。だが、決して甘やかしていたわけではない。
「紀平選手は中学生になると、休日の練習に行く時は自分でお弁当を作るようになりました。お母さんと約束して決めたそうです。ある時、すごく疲れていて“お母さん、明日は作ってほしい”と頼んだら、お母さんは“自分で決めたことは責任をもって続けなさい”とたしなめたそうです。お弁当箱を洗わずに置きっぱなしにしてしまった時には“自分でやると言ったのに、中途半端なことをするな!”と厳しく叱りつけたそうで、以来、紀平選手は一度も置きっぱなしにしていないと。お母さんはリンク傍にも顔をだし、“やる気がないなら、やらんでええ!”と喝を入れることもあるそうです」(前出・フィギュア関係者)
そんな“熱血家族”に支えられ、メンタルも鍛えられた紀平。性格はおっとりしているというが、がまん強さや目標に向かう信念の強さは人一倍だ。
「冷静さや計画性もあって、体形維持のための厳しい食事のコントロールも自分でしっかりできている。遠征先にもヘルスメーターを持参して、誤差の範囲といえるような体重の変動まで管理しているそうです。自分をコントロールでき、目標に向かって妥協しない信念があるんです」(前出・スポーツ紙記者)
強靱なメンタルは、今回のGPファイナルでも発揮された。フリーの冒頭、「トリプルアクセル+トリプルトウループ」の連続ジャンプの予定だったが、トリプルアクセルで手をついてしまったため、コンビネーションにできなかった。すると紀平は次のトリプルアクセルを、単独からコンビネーションに変更。その後も瞬時の判断でコンビネーションをグレードアップし、最初のミスをプラスに変えた。
「気持ちの切り替えが早いし、頭もいい。周囲と自分を比較したり、反応を気にしたりしないタイプなんです。だから常に冷静で自分のペースでいられる。身体能力ももちろんですが、その強心臓がいちばんの強みかもしれません」(前出・フィギュア関係者)
「銀盤の女王」の座は当分揺るぎそうにない。
以下ソース
https://www.news-postseven.com/archives/20181214_824044.html
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