【歴史】東西すごい人セックス伝 十六世紀フランスの淫乱王妃・マルゴ 十一歳にして召使や兄弟らと関係を… その後も[10/16] [無断転載禁止]©bbspink.com
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0001逢いみての… ★2019/10/16(水) 00:31:31.20ID:CAP_USER
早見俊『東西すごい人 セックス伝』

歴史作家・早見俊氏が、洋の東西を問わず歴史上の人物たちの性に関するエピソードをいろいろと紹介していくこのコラム。歴史に興味がある人はもちろん、そうじゃない人も楽しめること間違いナシですよ。

王妃マルゴことマルグリット・ド・ヴァロワは淫乱王妃として語り継がれています。彼女は十六世紀、フランス国王アンリ二世の娘に生まれ、後にフランス国王となるアンリ四世の王妃となりました。彼女は早熟で十一歳の時には召使たちと関係を持ったとされています。また、三人の兄とも男女の仲となり、兄たちはマルゴを巡って激しく争ったとも伝わっています。早熟であるばかりか、セックスに奔放な王妃だったことは事実のようですね。

そんなマルゴがアンリ四世に嫁いだのは十九歳の時でした。当時のアンリ四世はスペイン国境に近いナヴァルという小国の王に過ぎませんでした。そんな小国の王に嫁いだ理由は、当時のキリスト教における新教、旧教の争いにありました。マルゴの母、カトリーヌ王妃が新教を懐柔しようと、新教国であったナヴァルの王に嫁がせたのです。

それは表向きで、実はマルゴの淫乱さが噂となり、相手探しに困ったからとも言われています。新教懐柔のはずが、婚礼の日にサン・バルテルミーの虐殺が起き、多数の新教徒が虐殺され、夫も幽閉されました。マルゴはショックを受けますが、夫不在の間、大勢の男とセックスを楽しみます。

ラ・モールという騎士とは特に深い愛情を交わしました。彼が反逆罪で処刑されると、切断された彼の首を手に入れ、レプリカを作らせたそうです。首ではなく男根であったのかもしれません。それはともかく、ラ・モールの死後も数多の男と奔放にセックスを謳歌したため、兄の怒りを買い、幽閉されてしまいます。

それでも観念しないのがマルゴ、幽閉先の城でも看守を誘惑してセックスし続けたのでした。恐るべき、セックスパワーですね。セックスパワーで幽閉先の城を自分のものとし、若い男と存分に楽しみます。夫、アンリ四世もさすがに目を瞑ってはいられず、四十六歳で離婚されました。

離婚後、母国に戻ったマルゴは複数の美少年とのセックスに耽溺します。遥か年上のマルゴに篭絡された少年たちは、マルゴを独占しようと殺人事件まで起こしたそうです。男を破滅させる美しさと評された王妃マルゴ、貪欲に男の精を絞り続けた生涯でした。

以下ソース
https://dansen-web.com/?p=8790

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0003夜更かしなピンクさん2019/10/16(水) 03:44:48.47ID:mi2eTdEy
イザベル・アジャーニはエロかった
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