0001逢いみての… ★
2020/07/01(水) 23:59:47.98ID:CAP_USER「内村は手越に対して《また宮川くん(宮川大輔)たちと3人で、どこかの国のお祭りにいけたらいいね》というメールを送ったほか、記者に手越が“イッテQにノーギャラでも出たい”と言っていたことについて“そういう機会があることを願ってます。彼の選んだ道ですからね。頑張ってください……という感じです”と話しています。これについて“優しい”“これがウッチャンなんだよね”“”友情にウルッときた“と、SNSでは内村に対する尊敬の念が溢れています」(WEB編集部)
思い返せば、内村は昔から共演者に対する面倒見のよさをたびたび見せていた。現在は『有吉の壁』を筆頭に、11本の冠番組を持つ有吉弘行(46)も、内村がいなければ現在の地位はなかったかもしれない。
「お笑いコンビ『猿岩石』としてブレイクした有吉は、96年『進め!電波少年』で大ブレイクしたものの、すぐに人気低迷。ほとんど仕事がない時期を過ごしていました。
しかし、内村が独自の手法とコンセプトで企画をプロデュースするバラエティ番組『内村プロデュース(内P)』がきっかけで、有吉は再ブレイク。現在放送中の『有吉の壁』では、若手・中堅芸人が一堂に個人と集団で笑いを提供するスタンスが、『内P』への有吉のリスペクトを感じますね」(前同)
今年4月8日にツイッターで『有吉の壁』レギュラー放送を告知する際も、有吉は『内P』で当時熱演していた“猫男爵”に扮した写真を添えていて、話題を呼んでいた。
「内村は、落ちかかった芸人を復活させる“再生工場”としての能力がすごいんです。現在では売れっ子のさまぁ〜ずとくりぃむしちゅーも、『ウンナンの気分は上々。』で、飛躍的なステップアップを遂げたんです」(専門誌記者)
90年代当時、さまぁ〜ずは『バカルディ』、くりぃむしちゅーは『海砂利水魚』というコンビ名で活動していた。どちらもコントライブやバラエティでまずまずの成功をしていたが、現在ほどのズバ抜けた人気ではなかったという。
「00年に『〜上々。』で、“勝負に負けたほうがコンビ名を変える”という企画が行われたんです。その結果として、01年にそれぞれ現在の『さまぁ〜ず』と『くりぃむしちゅー』になったわけです。17年8月10日の『櫻井・有吉THE夜会』で有田は『くりぃむしちゅー』改名当時は“楽屋に「くりぃむしちゅー」と書いてあったのを見て「もう終わった」と思った”と話していましたが、改名に責任を感じた内村が『くりぃむ』や『さまぁ〜ず』を自身のレギュラー番組などで積極的に起用し、現在の爆発的な人気につながったわけです」(前同)
内村が司会を務めていた09〜10年の『爆笑レッドシアター』でも、狩野英孝(38)を筆頭に柳原可奈子(34)やロッチといった、現在も根強い人気を誇る芸人が出演していた。特にロッチの中岡創一(42)は、現在でも内村司会の『イッテQ』にたびたび出演し、毎回爪痕を残している。
「いまや、ダウンタウン・松本人志(56)に匹敵する芸能界のキーマンです。NHKでも『LIFE!〜人生を捧げるコント〜』を筆頭に大活躍しています。17年〜19年の『NHK紅白歌合戦』でも3年連続の総合司会を務めたほか、19年の朝ドラ『なつぞら』では広瀬すず(22)の父親兼ナレーターが、大いに話題になりました。19年9月9日の『女性自身』によると、いまや広瀬は内村のことを“パパ”と呼ぶほどだとか(笑)。内村に人付き合いについて相談して、広瀬は“愛され座長”に成長したそうです。若手トップ女優からも一目置かれるなど、内村の人望の高さがうかがえますね」(女性誌記者)
続く
以下ソース
https://taishu.jp/articles/-/75944?page=1
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