日本国内最大の空港「羽田」――成田空港とともに日本を代表する空港だが、実は敗戦直後にUFO事件が勃発していたのだ。宗教・オカルトの専門家・神ノ國ヲが徹底調査!

――戦時下日本のUFO事件ですか?

(神ノ國ヲ) 第二次世界大戦直後の1945年9月12日、羽田飛行場は、連合国へと引き渡された後、米軍の羽田陸軍基地(Haneda Army Airbase)として利用されました。狭すぎるので、すぐに拡張計画が行われ、空港南側の干拓地に住む200世帯・3000人への強制転居が命じられます。しかし「穴守稲荷神社の大鳥居」だけは残されました。それには恐ろしい理由があります。

 実は神社を破壊しようとした米兵の変死、日本の業者の倒産など、不幸が立て続けに起こり、さすがのGHQも困り果てて放置を決定したという逸話が残っているのです。

 占領終結後、何度も羽田の「移転」が試みられましたが、その度に、墜落事故が起きたとも言われます。1985年8月、「日航123便墜落事故」も羽田から伊丹へ向かう途中で墜落しています……。なかなかイワク憑きの場所です。

――「コンドン・レポ―ト」がらみですか?

(神ノ國ヲ) 言うまでもなく「コンドン・レポート」は、アメリカ政府による1940年代から1960年頃までの「UFO目撃事件」の研究報告です。空軍主体で国防強化を目的として、コロラド大学が協力していました。研究者の多くは否定的ですが、報告には日本の事例も含まれているのです。

 たとえば、1952年8月5日午前0時前、管制塔で勤務していた米兵2人が、夜空に奇妙な明るい光を目撃、光源は東京湾へと向かっているように見えたと報告しています。

 軍用双眼鏡で確認したところ、その光が基地に向かっているように見えたため、米兵らは交代シフトのオペレーターにも伝え、4人で光源を確認。その物体の動きは、明らかにコントロールされたものであり、管制塔の近くでホバリングしていたのです。米兵は「光の奥に円形が見えた」「その光源の4倍はある物体だった」さらに「レーダーでも確認した」と報告。

 しかし、奇妙なことに東京湾上空の哨戒機パイロットは、何も見ていない。緊急事態と判断したW・R・ホルダー中尉はF-94に乗り込み、迎撃行動を開始。管制塔のA・M・ジョーンズ中尉の指示に従い、未確認飛行物体の追跡を試みましたが、結局、肉眼では確認できずに30分でロスト。レーダー上では、その物体は時速560km以上に加速し、3つに分割して消失したのです。結局「不明事案」として片付けられました。

――「有翼巨人」の目撃例もあるとか……?

(神ノ國ヲ) 同じく1952年の事件です。不可解なことに軍事記録であるにも関わらず、日付不明です。ある日、在日アメリカ空軍シンクレア・テイラー上等兵は、基地警備の間、何かが空から彼に向って来るのを目撃します。

 テイラー上等兵が見たものは、なんと有翼巨人でした。地面から2mくらいのところに浮遊しており、あまりに驚いたので一瞬我を忘れたそうですが、慌てて銃を抜いて発砲。しかし、直後、その姿は消失。当然、幻覚をみたと疑われますが、決してそうではなかったそうです。なぜか誰もこれらの件についてマジメに取り扱おうとしないのです。何か裏の意思が働いているように思えてなりません。

――これらは何かの予兆だったのでしょうか?

(神ノ國ヲ) 1952年はサンフランシスコ平和条約が発効し、アメリカが人類初の水爆実験を行い、英国初の核実験がなされた年です。日本では、陸上自衛隊の前身「保安隊」が創設され、何より、現在の上皇・明仁殿下が「立太子の礼」を行われた年でもあるのです。つまり、世界情勢において緊張と不安が高まり、日本の皇室に何かしらの動きがある年でした。

 そして、令和二年=2020年4月には次代皇嗣である秋篠宮文仁親王が「立皇嗣の礼」を行うことになっていました。ご存知の通り、Covid-19パンデミックによって、これは延期となっています。

続く

以下ソース
https://tocana.jp/2020/07/post_161689_entry.html

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