戸叶和男【日本奇習紀行 近畿地方】

 人の容姿というものは親から受け継いだものによる影響が色濃く出やすいものだが、その遺伝子のルーツを探ってみると、意外な事実へと行きつくことも珍しくない。現在でもしばしば「ハーフっぽい顔の人が多い地域」としてローカルネタ的な話題になりやすいという近畿地方の“とある地域”で暮らする人々も、そんなケースの一つだ。

「このへんはね、昔はそれなりに賑わっていた色町でね。それがなくなったぐらいから、徐々に“今みたいな感じ”になっていったようだね」

 かつて近畿地方のとある地域に存在した色町の今昔についてそう語り始めたのは、当地で代々続く織物問屋を営む山田禄一さん(仮名・89)。山田さんの話によれば、当地が同エリア屈指の色町であったその昔、近隣でもとりわけ繁盛していた一軒の料亭が店を畳んだことが発端となって“ある現象”が発生し、現在まで続いているのだという。

「料亭って言ったって、要は女郎屋みたいなもんでね。昔はそういう店ばかりが並んでいたのだけど、その中の“A”っていう店がね、当時としちゃ珍しく、外国のベッピンさんを抱けると評判でね。一番多い時で30人くらいの外人女郎がいたんだよ。けど時代が変わって、Aが店を畳むことになってさ。当然、店にいた女たちも行く宛がなくなったんだが、そういう女たちをここいらの旦那衆が“二号さんに”と、引き取ってね。そのまま暮らすようになったわけ」

 “外国人を抱ける店”として隆盛を誇ったという料亭・Aの閉店により、路頭に迷うこととなった多数の外国人女性たち。彼女たちの大半は、祖国へは戻らず、当地の富裕男性たちに愛人として囲われる形で余生を送る道を選んだという。やがて彼女たちは、自らのパトロンとの間に私生児を生むこととなった。

「そうやって生まれてきた子らも、そのままここいらで暮らすようになったものだから、“あいのこ”だらけになっちまってね。だから今でもご覧の通り、外人みたいな顔立ちの連中が多いってわけよ」

 女郎として活躍し、当地に莫大な富をもたらしたという出稼ぎ外国人女性たち。彼女たちの血を引く子孫たちは、今でも当地の住民として、静かなる日常を送っているという。しかしそうした経緯について知る者は少なく、今では彼らの肉体に刻まれた遺伝的要素によってのみ、その痕跡を知る程度。やはり、それぞれの人が持つルーツには、大変興味深い事象が隠されているといえそうだ。

文・取材=戸叶和男

以下ソース
https://tocana.jp/2020/08/post_167797_entry.html

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