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横綱・日馬富士と刈屋氏。2011年以降は、それまでのスポーツ取材の経験を生かし、解説委員としても活躍

 緊急事態宣言下でおこなわれている、大相撲初場所。場所前には力士や親方、裏方ら日本相撲協会員約900人がPCR検査をおこない、5人の力士の陽性が確認された。その結果、横綱・白鵬ら関取16人を含む力士65人が、初日から休場するという異例事態となり、新たな感染者が出た場合は、場所途中での中止の可能性さえある。

 コロナ禍の影響を受けたのは、大相撲だけではない。2020年春以降、中学や高校の全国大会もすべて中止となった。その代替として開催されたのが、2021年の元日に東京・立川市で開催された「立川立飛・元日相撲」だ。

 中学・高校それぞれの横綱を決めるこの大会を、中心となって企画したのは、元NHKアナウンサーで、現在はスポーツプロデューサーの刈屋富士雄氏(60)である。

「もとは2020年8月に、アマチュア相撲の国際大会を開催する予定で準備を進めていたんです。しかし、それがコロナ禍で中止になった。そんなとき、何人かの相撲関係者から『インターハイが中止になったので、代わりの大会ができないか』と相談を受けたのです」(刈屋氏、以下同)

 目標を奪われた中高生の希望となった大会は、地上波テレビで生中継され、その実況は刈屋氏が担当した。

「相撲は、いにしえの時代から自然災害を収める神事としておこなわれてきた。そういう意味でも、コロナ禍の中とはいえ、開催する意義はあったと思います」

 刈屋氏の相撲との関わりは、35年にも及ぶ。「五輪報道に携わりたい」と、NHKに入局したのが1983年。以来、スポーツアナウンサーとして、大相撲中継や五輪実況を担当してきた。

「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ」(2004年、アテネ五輪・体操男子団体決勝)

「トリノのオリンピックの女神は、荒川静香にキスをしました」(2006年、トリノ五輪・女子フィギュアスケート)

 これらの名実況は、いまだに人々の記憶に残る。刈屋氏は、「スポーツアナウンサーというのは、ある意味、アスリートのようなもの」だと言う。

「思ったとおりの中継ができるのは、10年間ほど。40代から、せいぜい50代前半までではないでしょうか。経験を積み、情報を頭の中に入れたうえで、目の前で起きていることに瞬時に反応していく。

 言葉のひらめき、わずかなことを見逃さない。そうしたことができる期間は、あまり長くはないと思います。もちろんそれはあくまでも私のスタイル、個人的な考えですが。

 今おこなわれている一月場所は、大量の休場者が出る異常な状況。取材も限られたなかで価値判断が難しいと思います。それだけに、力士が見せる僅かな動きへの反応が、伝え手には求められると思います」

 アナウンサー時代に実況を担当した競技は、なんと38競技にもなるという。

「講演会でよく、『実況が一番難しい競技はなんですか?』と質問されますが、私は『大相撲です』と答えます。なぜなら、観ている人たちの目が肥えているから。もう何十年も相撲を観ている方が、大勢いらっしゃる。相撲のことを、よくご存じなんです。

 その人たちと同じ映像を見ながら、何かを伝えなくてはいけない。これは、とても難しいことなんですね」

 スポーツアナウンサーは、用意された原稿を読むわけではない。実況技術だけではなく、多くの知識・情報をインプットし、瞬時の判断で的確にアウトプットする能力が求められる。いわば、職人芸の領域だ。ゆえに、大舞台に辿り着くまでの道は、平坦ではない。

続く

以下ソース
https://smart-flash.jp/sports/129580

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