【相撲】「伝説の一番で思わず“押せ”と…」 キャリア35年の元NHKアナ・刈屋富士雄が語る『大相撲中継』現場[01/24]
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0001逢いみての… ★2021/01/24(日) 23:16:42.37ID:CAP_USER
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横綱・日馬富士と刈屋氏。2011年以降は、それまでのスポーツ取材の経験を生かし、解説委員としても活躍

 緊急事態宣言下でおこなわれている、大相撲初場所。場所前には力士や親方、裏方ら日本相撲協会員約900人がPCR検査をおこない、5人の力士の陽性が確認された。その結果、横綱・白鵬ら関取16人を含む力士65人が、初日から休場するという異例事態となり、新たな感染者が出た場合は、場所途中での中止の可能性さえある。

 コロナ禍の影響を受けたのは、大相撲だけではない。2020年春以降、中学や高校の全国大会もすべて中止となった。その代替として開催されたのが、2021年の元日に東京・立川市で開催された「立川立飛・元日相撲」だ。

 中学・高校それぞれの横綱を決めるこの大会を、中心となって企画したのは、元NHKアナウンサーで、現在はスポーツプロデューサーの刈屋富士雄氏(60)である。

「もとは2020年8月に、アマチュア相撲の国際大会を開催する予定で準備を進めていたんです。しかし、それがコロナ禍で中止になった。そんなとき、何人かの相撲関係者から『インターハイが中止になったので、代わりの大会ができないか』と相談を受けたのです」(刈屋氏、以下同)

 目標を奪われた中高生の希望となった大会は、地上波テレビで生中継され、その実況は刈屋氏が担当した。

「相撲は、いにしえの時代から自然災害を収める神事としておこなわれてきた。そういう意味でも、コロナ禍の中とはいえ、開催する意義はあったと思います」

 刈屋氏の相撲との関わりは、35年にも及ぶ。「五輪報道に携わりたい」と、NHKに入局したのが1983年。以来、スポーツアナウンサーとして、大相撲中継や五輪実況を担当してきた。

「伸身の新月面が描く放物線は、栄光への架け橋だ」(2004年、アテネ五輪・体操男子団体決勝)

「トリノのオリンピックの女神は、荒川静香にキスをしました」(2006年、トリノ五輪・女子フィギュアスケート)

 これらの名実況は、いまだに人々の記憶に残る。刈屋氏は、「スポーツアナウンサーというのは、ある意味、アスリートのようなもの」だと言う。

「思ったとおりの中継ができるのは、10年間ほど。40代から、せいぜい50代前半までではないでしょうか。経験を積み、情報を頭の中に入れたうえで、目の前で起きていることに瞬時に反応していく。

 言葉のひらめき、わずかなことを見逃さない。そうしたことができる期間は、あまり長くはないと思います。もちろんそれはあくまでも私のスタイル、個人的な考えですが。

 今おこなわれている一月場所は、大量の休場者が出る異常な状況。取材も限られたなかで価値判断が難しいと思います。それだけに、力士が見せる僅かな動きへの反応が、伝え手には求められると思います」

 アナウンサー時代に実況を担当した競技は、なんと38競技にもなるという。

「講演会でよく、『実況が一番難しい競技はなんですか?』と質問されますが、私は『大相撲です』と答えます。なぜなら、観ている人たちの目が肥えているから。もう何十年も相撲を観ている方が、大勢いらっしゃる。相撲のことを、よくご存じなんです。

 その人たちと同じ映像を見ながら、何かを伝えなくてはいけない。これは、とても難しいことなんですね」

 スポーツアナウンサーは、用意された原稿を読むわけではない。実況技術だけではなく、多くの知識・情報をインプットし、瞬時の判断で的確にアウトプットする能力が求められる。いわば、職人芸の領域だ。ゆえに、大舞台に辿り着くまでの道は、平坦ではない。

続く

以下ソース
https://smart-flash.jp/sports/129580

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0002逢いみての… ★2021/01/24(日) 23:17:02.18ID:CAP_USER
「入局して、最初の赴任地が福井。そこで、地元出身の力士の取材をしたのが、大相撲の仕事の始まりです。1987年から中継の現場担当になったのですが、もちろん実況などはさせてもらえません。最初は、ラジオのリポート担当です。

『デンスケ』というテープレコーダーを担いで相撲部屋に行き、朝稽古後の関取のインタビューを録ってくるんです。それで最初に話を聞いたのが、新十両に昇進した維新力でした」

 NHKの大相撲担当アナウンサーは、ラジオのリポーターから始まり、BS放送リポーター、BS放送実況、ラジオ放送実況で経験を積んでから、地上波の実況をまかされるのだという。

 地上波担当になっても、まずは十両の実況を経て、ようやく中入り後の幕内担当となる。大相撲の番付に似ている、といえなくもない。

「幕内の担当となっても、初日や中日、千秋楽という重要な日には、ベテランが担当します。経験が浅い若手は、まずは前半の平日から。私が幕内の担当となったのは、1992年。最初のころは、とにかく夢中で、何をしゃべったのか覚えていません。

 放送翌日にはVTRを見ながら先輩と反省会です。『なんでここでこういうこと言ったの?』『まだ三日目なんだけど、千秋楽みたいな盛り上がり方で話してどうするんだ』と、さんざんでしたね」

 刈屋氏には、とくに大切にしていることがあった。「現場」である。

「大相撲はもちろん、すべての競技においてアナウンサーが自ら現場に足を運び取材する。NHKのスタイル、伝統といっていいでしょう。もちろん、NHKには記者もいますが、彼らが取材してきたことを聞くだけではダメなんです。

 それはなぜか。スポーツアナウンサーとしての生命線である『目』が鍛えられないからです。選手や力士を見た瞬間に、調子がよさそうだとか、何か動きがおかしい、体の張りがない、そういうことに気づけなければ、実況担当者としては致命的です」

 ベテランになっても、現場取材は欠かさなかった。

「当然です。取材をやめるときは、実況をやめるときです。放送する側の人間としての責任だと思います。力士や選手は、何かを聞いても、すべて教えてくれるわけではありません。稽古を見て、どこにこだわっているのか、さまざまなことに気づく能力も必要です。

 相手も我々のレベルを見定めて話しますから、このアナウンサーはちゃんと勉強している、理解していると信頼してもらわないといけない。“力士や選手と仲よくなることが取材だ” と勘違いしている人もなかにはいるようですが、それは違いますよね」

 解説者との掛け合いも、大相撲中継の楽しみのひとつ。

「それぞれに、個性がありますからね。もちろん相手によって質問の仕方も変わってきます。たとえば、元大麒麟の17代押尾川親方は、質問から必ずワンテンポ間をおいて答える方でした。慣れていないと、自分の言葉と答えがぶつかってしまう。

 元出羽錦の12代田子ノ浦親方とは、よくコンビを組ませていただきました。放送中にいきなり川柳を詠むことで有名でしたけど、ああいうときは私に『一句浮かんだ』と書いたメモを渡してきます。振ってほしいわけです(笑)」

“いま解説者といえば” の元横綱・北の富士さんに止めを刺す。

「解説者としては最高でしょう。ただし、いつも調子よくしゃべってくれると思ったら、大間違い。前日に飲みすぎたときなど、その日の体調によって気分が全然違うんです。

 だから、午後4時からの放送で、前半の1時間でどこまでアナウンサーが修正していくかが勝負。最初にうまくいけば、後半も気分よくしゃべっていただけます。

 それにしても毎回驚かされたのは、視力のよさですね。解説席に座る前に場内を見回して、知り合いのクラブのママがどこに座っているかを、瞬時に見つけてしまう。『○○のママ、元気そうだよ』とか、女性を見る視力がすごいんですね(笑)」

続く
0003逢いみての… ★2021/01/24(日) 23:17:10.48ID:CAP_USER
 長い経験のなかで特に印象深い大相撲中継は、2012年の五月場所、旭天鵬が平幕優勝した千秋楽だという。

「旭天鵬が関脇の豪栄道に勝ち、栃煌山との優勝決定戦にも勝った。まずはそれにびっくりしたんですが、それよりも稀勢の里が負けた一番ですよ。

 あの場所、稀勢の里は終盤まで優勝争いのトップを走っていたんですが、そこから連敗。千秋楽は把瑠都に勝てば優勝決定戦に持ち込める。その大事な一番で、土俵際まで相手を追い詰めながら、最後は逆転の上手投げを食らってしまった。

 私、あのときの実況で思わず『押せ!』と言ってるんですよ。長い歴史を誇るNHKの大相撲中継で、『押せ』なんて言ったのは、おそらく私だけでしょう」

 そしてもうひとつ、忘れられない光景としてあげたのは、昭和最後の一番。1988年の十一月場所千秋楽結びで千代の富士の連勝記録を、大乃国が止めた取組だという。

「ほとんどの取材陣は千代の富士が勝つとみて、東側にいました。私はまだ新人なので、大乃国の談話を取る担当です。花道には人も少なく、私はそこで “あの一番” を見たんです。

 勝ったあと、大乃国が真っ白になって花道を引き揚げてきます。見たことがないほどの座布団が飛び交い、薄暗くなった花道で、大乃国の姿はまるで、夜光塗料を塗ったかのように浮かび上がって見えました。

 人間は、すべての力を出し切ってしまうとこうなってしまうのか、数秒間に全精力を注ぐ――これが相撲の魅力なんだ、と確信しました。『これさえあれば、相撲はこの先もずっと残る』と思いました」

 元日の中高生の大会でも、相撲の持つ力はおおいに感じられたという。

「これまで積み重ねてきたものを、この一番に懸ける。そういう相撲を取っていましたよ、彼らは。本当に開催できてよかった」

 38年間勤めたNHKを2020年4月末に定年退職。現在は東京・立川市にある立飛ホールディングスでアマチュア相撲などのスポーツプロデューサーとして活動している。

「ルールが簡単で場所も取らない、道具も必要ない。相撲は世界的なスポーツになる要素を持っており、実際にヨーロッパなどでは、男女ともに競技人口が増えています。

 まずは東京でアマチュアの国際大会を開くことで、その裾野を広げていきたい。そして相撲に限らず、若いうちから競技をひとつに絞らず、複数の競技を掛け持ちでやることを常識にしていきたい。『そうしないと、日本のスポーツ文化は先細りしていく』という危機感を持っています」

 定年後も、5年間はNHKに残ることもできたが、あえて次のステージを選んだという名アナウンサー。その情熱は、まだまだ尽きそうにない。
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