https://www.news-postseven.com/uploads/2021/04/29/jiji_mako_chutoka.jpg

 インターネット掲示板への相談の書き込みから映画やドラマになったラブストーリー『電車男』が生まれたのが2004年、その2000年代は様々なネットアイドル的な存在が現れては消えた時代でもあった。俳人で著作家の日野百草氏が、かつて秋篠宮眞子さまをネット民とともに「マコリンペン」と呼んだ男性の心象風景についてレポートする。

 * * *

「マコリンペン、大好きだったのに。時の流れって残酷だよね」

 由井信次さん(50代・仮名)はそう言って筆者にスマホの画面を見せる。どれも15年くらい前に信次さんが描いたイラストだ。今となっては古色蒼然のアニメやゲームのキャラクターが並ぶその中に、セーラー服姿の凛とした”マコリンペン”がいる。

「いま“マコリンペン”なんて言っても若い人には通じないけど、当時のネットじゃアイドルだったもんね、萌え、いや崇拝の対象かな」

 信次さんと筆者は長い付き合いだ。彼はごく短い期間だがイラストレーターをしていた。イラストレーターといってもオタク系専門誌のカット程度、大きな仕事とは無縁のまま現在は別の仕事をしている。商業誌のプロとしては短命だったが2000年代のネット界隈、匿名の画像掲示板ではそれなりに人気のイラストを上げていた。そんな彼を四谷三丁目店のファミレスに呼び出したのはその“マコリンペン”のことを聞きたかったからだ。彼の話すムーブメントは、確かに“いにしえのネット空間”に存在した。それを再確認したかった。

「誰かは知らないけど、マコリンペンって名づけた人は神だよね、誰がつけたかわからないってのもいい」

“マコリンペン”とは、眞子内親王、秋篠宮眞子さまのことである。もちろん信次さんが名づけたわけではない。名無しの誰かが名づけたものが広がり、そして定着した。いわゆるインターネット・ミーム(ネットミームとも)である。誰がつけたかわからないからこそ、その言葉は共有物として育つ。古歌の「詠み人知らず」は現代のネット空間にも生きている。

「ほんと人気あった。皇室のネットアイドルって彼女が最初でしょ、まさに“俺たちの眞子さま”だった」

 まだ緊急事態宣言前、昼間から100円ワインを飲みながらの思い出話。そう、確かに眞子さまは「俺たちの眞子さま」――“マコリンペン”として、2000年代ネット民のアイドルだった。匿名掲示板や画像掲示板には彼女をいわゆる「萌え」化したイラストが投稿され、その姿はいつしか現実のご本人を離れ、平成の御国に降臨した姫君として崇められた。古くは“サーヤ”こと清子内親王もオタクのアイドルだったが前世紀の話、ネットミームとしての最初の皇室アイドルは眞子さまである(その後、ご成長された佳子さまも加わる)。

「まず清楚なセーラー服姿にやられたね、日本にやっと“リアルお姫様”が誕生したって」

 信次さんの言う「セーラー服」とは2004年、眞子さまが学習院女子中等科にご入学された時のことだろう。当時の匿名掲示板ではその少し前、すでに学習院初等科の卒業式に向かわれる眞子さまの写真についてのスレッドで”マコリンペン”と呼ばれている。

「気品があって可憐だったよね。佳子さまもかわいかったけど、当時は眞子さまの凛とした雰囲気のほうがオタクには効いたんだろうね」

 確かにあの時の報道写真に「やられた」当時のネット民は多かったに違いない。筆者が編集長をしていた雑誌の編集部にも眞子さまのことを熱く語る3歳年上の部下がいた。彼もまた、お絵かきチャットでマコリンペンを描いていた。匿名掲示板や画像掲示板には眞子さまへの愛が溢れていた。当時、常駐していたユーザーの大半もいまや中高年だろう。

「オタクにとって“お姫様”って特別だからさ、どんな作品でも人気はお姫様とかお嬢様なわけ。眞子さまはそういうメタファーとしても最高の素材だった。だってあんなに高貴な生まれの少女なんてありえない。それでいて美少女、みんな競って描いたね」

続く

以下ソース
https://www.news-postseven.com/archives/20210502_1655920.html

★関連板★
■えっちな話題なら”ピンクニュース”
http://mercury.bbspink.com/hnews/
■新作AV情報なら”AV情報+”
http://mercury.bbspink.com/avplus/