ニセモノまみれの石景山遊楽園の中国が、あんなに洗練された艦船擬人化美少女キャラクターを操るゲーム『アズールレーン』を作れるようになるなんて、当時の信次さんも筆者も考えられなかった。先に『艦これ』があるのは百も承知だが、昔の中国の模倣とはまた違う、秀逸なケレン味だ。中国なんて、上から目線で生暖かく見守るような相手だったはずなのに ―― ネットの変遷といえば、ネット民が「お前ら」と言わなくなったのはいつからだろう。言ったとしても、従来の「言ってる自分も同類なんだけどな」という連帯の意味合いは薄れた。そこに自分は含まれていない。他者と自分を切り離し、冷笑、嘲笑、侮蔑のマウントの意味合いでしかない「お前ら」だ。

「俺たちの眞子さま」の「俺たち」もそうだろうか、仲間意識が先ではなく、いまや他者を排除する前提の「俺たち」だ。なんて書いている時点で、筆者もインターネット老人会の一員なのだろう。

「でも本当に大丈夫? マコリンペンのこと書いて。いまはネタとか通じないし」

 信次さんによればネットは窮屈になったという。確かに、あの当時ほどには「ネタ」で済まなくなってしまったし、ネットミームの通じない「普通の人」がスマホの普及によって大挙して押し寄せた。裾野が広がった分、デスクトップPCにブラウザを駆使する信次さんのような古参のネットユーザーには居心地が悪いのかもしれない。

「もうネットで自分からは何も発信してないよ。せいぜい買い物したりニュース見たり、あと昔のサイトを覗くぐらいかな。昔よく行った掲示板はどこも過疎ってるし」

 信次さんはもうネットで昔のような面白おかしいことはやっていないという。年をとったというべきか、老兵は静かに去ったというべきか。意味合い的には2ちゃんねる創設者のひろゆき氏が最初に書き込んだと記憶するが、面白い人が面白いことをして、それを面白くない人が見に来て、その面白くない人が面白くないことをし始めて、面白い人が見切りをつけて去り、面白くない人だらけになって終わる ―― この繰り返しの果てにあるのが現代のインターネットだと信次さんは力説したが話が長い上に早口なので割愛する。

「昔の眞子さまの萌え化に加担しといてなんだけど、皇室離れってあり得るんじゃないかな。みんなウンザリしてると思う。でもそのきっかけが眞子さまって、なんだか悲しいね」

 皇室のアイドル、平成のプリンセスとして、いにしえのネット民に愛された眞子さま――現在の婚約者へのバッシングたるや隔世の感があるが、2000年代に暴れたネット民の大半も年をとるわけである。信次さんは50代、筆者だって来年には50歳の仲間入りだ。

 信次さんは以降、「令和の道鏡」と呼んで眞子さまのお相手を罵り続けたが、これもまた長い話かつ不敬の極みなので割愛させていただく。

「でも、その辺の男でもきっかけさえあれば姫さまと結婚できるってことだよね、俺でも。未婚独身だし」

 だからといって佳子さまや愛子さまを狙われても困るし信次さんが皇族とか宮家なんて絶対イヤだが、なるほど自由恋愛だから誰にもチャンスがあるのは事実、この点は女性天皇や女性宮家を心配する人たちの気持ちもわかる。信次さんは「ネタだよネタ」と笑ったが、現在の眞子さまに関してはもう「ネタ」では済まない状況、皇室の存続すら疑問視されるような次元に至ってしまった。あんなに愛された“マコリンペン”だったのに。

「お国の大切なお姫さまを“マコリンペン”なんて呼んで萌え化したこと、昔バカやったなあ、って笑って振り返るはずだったのに、こんな悲しい気持ちで振り返ることになるなんてね。とにかく幸せになってほしい」

 なんとも複雑、すっかり父親の気持ちになっているような気がする信次さん。それは眞子さまやマコリンペンへの思いとともに、当時のインターネット文化に対する郷愁も混じっているのだろう。「昔は良かった」という親世代の口ぐせを罵った私たちも、同じように「昔は良かった」と思う時が来たということか。

 今年、お前らの“マコリンペン”こと「俺たちの眞子さま」は30歳をお迎えになる ―― 。