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 久米仙人は、現在奈良県橿原市にある久米寺を開基(創立)したとされる伝説の人物である。修行の末に神通力を備えて空を飛び、100歳を超えて生きたといわれている。

 時は天平年間。久米は大和国吉野郡竜門寺にとどまって、安曇という青年とともに厳しい修行に打ち込んでいた。二人は良き友であり良きライバルでもあった。ところが安曇のほうが才能に長けていたのだろうか、彼はあれよあれよという間に飛行術を会得し、久米を残して飛び去ってしまった。取り残された久米は一念発起し、遅れながらもなんとか飛行術を会得し各地を自在に飛び回ったという。

 この久米仙人には象徴的な伝説がある。それは吉野川を飛んでいた時のこと、川べりで洗濯をしている若い娘がいた。ふと目をやると、娘のたくし上げた裾から覗く白肌のふくらはぎに見とれてしまい、その瞬間神通力を失って空から落ちてしまったという。術を使えなくなった久米仙人はそれ以来修行をやめてしまい、俗人になることを決めてその娘と夫婦となったという。

 イメージする仙人からは遠く人間臭さが漂う久米であるが、一方で次のような話もある。俗人となって生活を送っていたある時、帝の新都を造ることが決まり久米もその造営建設の夫役として働いていた。木材運搬の難工事に頭を悩ませていた役人は、久米が元は仙人であったとの話を耳にし、「木材を人力で運ぶのは困難だ。仙術で山からここへ運んでくれないか」と久米に頼み込んだ。

 久米は快諾し、7日間断食をして身を清めながら再修行に取り組んだ。そして8日目、空に黒雲が満ち、雷雨が降り注ぎ一面の暗闇になったその直後、気が付けば元の晴れ間に戻ったその現場には、大量の木材が積み重ねられていたというのだ。帝はこれに感激し、久米に免田30町を授けたという。その免田として授けられた場所に、今の久米寺を建立したといわれている。ちなみに、久米寺は若き日の空海が大日経を感得した寺という伝説も残っており、真言宗発祥の地とも称されている。

 この久米仙人のいわゆる“しくじり”は、兼好法師の徒然草でも戒めとして掘り返されている。あまりにもインパクトが強いためにそこばかり焦点が集まりがちだが、仙人をやめて俗人となった後に頼み事で再び修行するという逸話を見ると、「人から頼みごとをされることへの喜びを露にする」素直とも思える様が思い浮かぶ。確かに仙人にしては欲が抜け切れていなかったところはあるだろうが、純粋とも言えるその人間臭さは愛嬌深いものがある。

以下ソース
https://tocana.jp/2023/09/post_256365_entry.html

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