0001逢いみての… ★
2024/01/17(水) 21:47:48.91ID:CAP_USER『行列のできる法律相談所』(日本テレビ系)などに出演し、2007年に自民党の公認を得て参議院議員になった丸山和也弁護士(77歳)は、現在の政界をどう眺めているのか。最近では、あの関西弁でズバズバと発言する“丸山節”を聞かなくなっているような……。丸山弁護士が、「日本一高いビル」麻布台ヒルズの向かいにある「丸山総合法律事務所」でロングインタビューに応じた。
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私が政治家を辞めたことを、知らない人もいるかもしれませんね。2007年から2期12年参議院議員を務め、2019年の選挙での苦杯を境に、そのまま政界からは身を引きました。
もともと、3期目の2019年の参院選に出馬する気はありませんでした。ところが、7月の選挙の3カ月前になって、先輩議員から「もう1回出ないと駄目だ」としつこく説得されてしまい、そこで心に迷いが生じました。そして、街中での評判も悪くないと感じ、出馬することにしたんです。しかし、その決断は決して強いものでなく、今になって思うと間違っていました。自分の認識の甘さがありました。
そのうえに不運が重なりました。2019年5月に日本維新の会の丸山穂高議員(当時)が北方領土に絡んだとんでもない問題発言(「戦争で取られた領土は戦争で取り戻せ」的発言)をして、約2カ月間毎日のようにテレビ、新聞、その他メディアが丸山議員批判を繰り広げました。また、国会では丸山議員の辞職勧告から、最後には前代未聞の糾弾決議まで可決されたのです。
そうしたら、彼と私を混同した人が大勢いて、ウチの事務所に「選挙に出るな!」とか「議員を辞めろ」などというクレームの電話やファクス、メールがたくさん来ました。丸山穂高と丸山和也は党も年齢もまったく違っているのに、「丸山議員」バッシングとしては同じになってしまっていました。私の方がはるかに知名度が上だったので、丸山といえば私となったんです。選挙は騒動直後の7月でしたので、この超ド級の風評被害には参りました。
私は政治の世界は向いていませんでしたね。2007年に自民党公認で出馬したのは、塩爺(しおじい)こと塩川正十郎さんに「一回だけでよいから、やってくれませんかね」と乗せられたからでした。しかし、政治の世界は自由が利きません。例えば、議会で採決の際、私個人の意見とは違っても、自民党議員として賛成、または反対を示さなくてはいけない。どうしても党の方針に従えないときは、退席するのが精一杯でした。
実際、消費税に関する法案で、当時、野党だった自民党が与党の民主党を追い詰めようと、これまで主張してきた考えと反対のことを言い出し、与党案に反対しようとしたことがありました。このとき私は、いくら自民党の方針とはいえ、筋が通らないと思い、採決は棄権(退席)しました。衆議院では小泉進次郎君1人が同じ行動を取ったようでしたが。
でも、後で党の幹部に呼びつけられて、「なんで退席したんだ!」「今度そんなことをしたら自民党を辞めてもらうことになる」と責められました。私は人生哲学として、“自由”と“尊厳”が一番大事だと思っていますから、いくら議員であっても党利、党略のために信念が蔑ろにされることは本当に苦しかった。それでも議員の間、せめて貫いたのは、ポスト欲しさに魂を売り渡さない、という信念でした。だから、政治の世界では不器用で、「出世」とは無縁でした(笑)。
だからほんと、政治の世界は人間としての真実を貫こうとすると、実にくだらんですよ。いい加減すぎます。今、取り沙汰されているパーティー券収入の裏金問題だって、ずーっと昔からあったらしいですね。ヤクザの上納金みたいなもんです。安倍派もピンキリだけど、キックバックについてある駆け出し議員に聞いたら、「僕なんて数万円なんですけど……」ってボヤいていましたよ(笑)。ただ、それでも、そういう政治の世界にいる議員が集団として国を動かしているのも事実です。
続く
以下ソース
https://www.news-postseven.com/archives/20240117_1930815.html