人類史的な観点に立てば、今日の大都市の混雑ぶりは明らかに異常である。ラッシュアワー時の駅や電車内など、もはや個人のプライバシーが剥奪されていると言っても過言ではないだろう。それでも都市には多くの人が住み続けているのだが、そう考えると我々は実のところ密集して暮らすのが好きなのだろうか。全員が全員そういうわけではないだろう。

いわゆるパリピ(パーティーピープル)と呼ばれる“人の集まりが得意な人”の方が、華やかでポジティブなイメージがあり、人の集まりが苦手な人は暗くてネガティブなイメージをもたれやすい。
だが、人の集まりが苦手だという人を少し安心させ、わずかばかり自尊心をくすぐらせるかもしれない研究が報告されている。知的な人々は頻繁な人的交流を敬遠し、独りで過ごす時間が長いことがサイエンスの側から指摘されているのだ。

「昔の我々の祖先の生活満足度を高めた条件は、今日でも私たちの生活満足度を引き上げる可能性があります」と語るのはロンドン・スクール・オブ・エコノミクスの人類学者、サトシ・カナザワ氏である。

我々の祖先が送っていた狩猟採集時代の生活を考えるひとつのモデルに「幸福のサバンナ理論(savanna theory of happiness)」がある。アフリカの広大な大草原・サバンナでは、我々はできる限り人間同士で協力しあいながら生きることを余儀なくされていた。人口密度のきわめて低いサバンナでは人間たちのグループは基本的に少人数であり、小さなコミュニティの中で人々は密接に交流していたのだ。
そして今日の人口が密集した大都市の中にあっても、我々は狩猟採集時代の先祖と同じように極少数の人づきあいでじゅうぶん幸せに生きていけるかどうかが今回の研究で検証されることになった。
カナザワ氏とシンガポールマネージメント大学のノーマン・リー氏の合同研究チームは、アメリカ人の若者(18歳〜28歳)1万5197人の生活実態を調査したビッグデータ(US National Longitudinal Study of Adolescents to Adult Health)を分析することで、幸福のサバンナ理論が現代社会にも適応されるのかどうかを探った。

分析の結果、都市部に暮らす若者は全体的に生活の満足度が低いことが浮き彫りになった。したがってやはり現在の大都市は人間にとって不自然で無理がある環境なのかもしれないことが指摘されることになったのだ。
しかしその一方で、前出の“パリピ”に代表されるように、都市部の人々においては友人知人との頻繁な交流が生活の満足度を高めていることも判明した。確かに“パリピ”は当人が楽しいからこそ集っていることは間違いない。しかしこれには例外があったのだ。“ただし高IQの者を除く”という付帯条件である。そして実際、大都市の知的な若者はかなりの程度“孤独好き”であることが浮き彫りになってきたのだ。

研究チームによれば、鍵となるポイントは2つあるという。

1. 都市の人口密集度
2. ソーシャルな交流の頻度

幸福のサバンナ理論からすれば、この大都市の中にあっても少数の友人たちと密接な交流をしていれば幸せになれることが示唆され確かにその通りであるのだが、知的な人はこれがそのまま適用されないという。そして知的な若者の“孤独好き”は一種の人類学的な“進化”に結びついていることが指摘されている。
大都市の暮らしはストレスが多いのだが、一方でサバンナでの暮らしのように人々が密接に交わって助け合う必要がない環境でもある。都市部では公共サービスが充実しており、対価と引き換えに生活上の雑事のかなりの部分をアウトソーシングできる。これは確かにこれまでの人類が体験したことのない新しい生活環境といえるだろう。
この新たな生活環境に最もうまく適応しようとしているのが都市に暮らす“孤独好きな”知的な若者ということになる。つまり大都市の生活から最大限に利益を引き出して享受する“戦略”が都市の中での孤独な生活ということになるのだ。

続く

以下ソース
http://tocana.jp/2018/01/post_15567_entry.html

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