30年間続いた平成もいよいよ終わり。そんな30年間で大きく変わったことのひとつとして「若者のクルマ離れ」を挙げるのは、神戸国際大学経済学部教授の中村智彦氏だ。いったいなぜ若者はクルマに興味を示さなくなったのか。

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「若者のクルマ離れ」と言われるようになったのはいつ頃からでしょうか。特に若い男性が車に興味を持たなくなったのが、この平成の30年間の変化だと言えます。

 この平成の30年間で、自動車を取り巻く環境は大きく変わりました。こうした変化を引き起こしたのは、「オートマチック車」、「パワーステアリング」、「カーナビ」の3つのようです。

 普通自動車のオートマ車限定免許は、平成3年(1991年)11月1日から始まりました。

 平成22年(2010年)には、オートマ限定免許を取る人がマニュアル車での免許を取る人よりも多くなり、逆転。平成29年に免許を取得した人は約115万人。そのうち、オートマチック車限定免許で取得した人は、約71万人。マニュアル車での免許取得は、約44万人と少数になっています。

 こうしたことを背景に、普通自動車の販売台数でも、昭和60年(1985年)には、マニュアル車51.2%、オートマチック車48.8%とほぼ半数ずつだったのが、平成2年(1990年)になるとマニュアル車27.5%、オートマチック車72.5%と大きく変化。平成12年(2000年)以降は、オートマチック車の割合が90%を超しています。

 オートマチック車の最大の利点は、運転操作が非常に簡単になったことです。マニュアル車では難しかった坂道発進や、信号待ちなどでのエンストなど、運転技術の差が目立っていたのが一気に解消されました。

「いや、それだけじゃないよ。パワステの登場は、運転に力がいらなくなった訳で、女性の自動車運転への進出を大きく促進したはずだ」と、ある自動車メーカーに勤務する男性は言います。

 パワステと言っても、装備されていないクルマを運転した経験は、40歳代以上でないとないでしょう。パワーステアリング装置は、ハンドルを回す力を補助するもの。低速で運転していても、軽く片手でハンドルを回して方向転換できるのは、このパワステのおかげです。それまでは、低速でハンドルを回すのは力作業だったのです。

 パワステが装備されたのは、日本では1970年登場のトヨタ「クラウン」が最初と言われています。当初は高級車用の特別装備だったものが、1980年代に入ると大衆車にも普及し、1990年代になると軽自動車にも標準装備されるようになりました。

 カーナビが登場したのは1980年代ですが、当時のものは高額だったうえに精度も悪く、なかなか普及しませんでした。ところが、1990年代に入って、GPSが搭載され位置情報の精度が一気に向上したことで、購入する人が増えました。

 さらに1996年には道路の混雑情報をリアルタイムに表示できるVICS61というサービスが開始。そして2002年にはネットに接続する通信機能が搭載されたカーナビが登場。2017年の出荷台数は約581万台に達しており、8割近い乗用車に搭載されていると見られています。

 ここまで見てきたように、平成時代で乗用車は大きく変化しました。自動車の運転が、難しいものから簡単なものになったのです。このことは、女性が自分で車を運転することを身近にしたのです。

続く

以下ソース
https://www.news-postseven.com/archives/20190115_843763.html

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