I use this text in my upper-division undergraduate introduction to syntax course with success, but I can certainly see it being used in more advanced classes. 0009英ちゃん2024/04/18(木) 14:23:21.360 他にも第5章の最初のあたりで Both “a fine paper on Zapotec” and “Felicia” get their meaning by referring to objects in the world. という記述があるけれど、これも意味論を知っている人なら書かない恥ずかしい間違いよ Feliciaは固有名詞だからそれでいいけれど、 “a fine paper on Zapotec” はquantifierだから 世界にある何かのモノを表すのではなくて、モノの集合の集合を表すわ
あなたもっと知ってる人なのかと思ってたけど、基本的なこともまるで知らないのね それでいてそんなに偉そうに書いてたなんて、正直、あなたの知ったかぶりぶり(?)に驚いたわ 正直もうほっておこうと思ってたけど、わからないままなのも可哀想だから、少し説明してあげるわ 束縛理論では、NPは二種類ではなくて、anaphor, pronoun, R-expressionの三種類に分類されるのよ あなたはheをanaphorとしているけれど、heはanaphorではなくpronounよ Carnieはreferring expressionと書いているけど、正確にはreferential expressionの略からできた用語よ (ChomskyのLectures on Government and Bindingのp. 102を参照してね) これは元来はreferenceを持つ(ある特定のモノを指す)NPという意味で、固有名詞の“Felicia”は当てはまるけれど “a fine paper on Zapotec”はquantifier(量化表現)であって特定のモノを指さないから当てはまらないわ このことはChomsky自身はっきり認識していて、“every book”をquantifierと呼んでいるわ ただ束縛を考える上ではquantifierも“Felicia”などと似た振る舞いをすることから、これらも含めてR-expressionと呼ぶことにしようってことなの そういうわけだから、R-expressionは「anaphorでもpronounでもないNP」と定義するのがもっとも妥当なのよ だからCarnieのR-expressionの定義(an NP that gets its meaning by referring to an entity in the world)はすごく雑で問題があるの R-expressionは単なる統語理論上の文法用語になっていて、Rはもはや本来の意味を失っているのよ “a fine paper on Zapotec”はR-expressionではあるけれど、referring expression(= referential expression)ではないの! じゃあquantified NPがan entity in the worldではなく何を指すかというと、a set of sets of entities in the worldなのよ https://en.wikipedia.org/wiki/Generalized_quantifier (実は、“Felicia”のような固有名詞もquantifierとして分析できて、そうすると “Felicia and every boy” のように固有名詞とquantifierの等位接続も自然に分析することが可能になるの だから固有名詞もreferential expressionでない可能性もあるのよ)
>>This means that language is at least countably infinite. (少なくとも可算無限である) > >最も少なく考えた場合でも…の意味だから問題ないでしょ そんなことないわ。ここは普通の言語学の本だったら単にinfiniteって書くところよ ここでは、文法的な文の集合が有限か無限かが重要な問題なのであって、無限だった場合の具体的な集合の濃度は関係ないもの わざわざcountablyをつけるのは、「俺は無限にもいろいろな大きさがあることを知ってるんだぜ」って不必要に誇示する書き方であって at leastをつけるということは、「非可算無限かもしれないよ」と含意する書き方になるわ アタシから見れば、知識自慢をしているのに無知を晒してしまって恥ずかしい書き方ね、としか思えないのよ それに、説明もなくcountably infiniteという言葉を使っているから、その意味を知らないであろう大多数の読者は困惑するだけだから、非常に悪い書き方だと思うわ
第4版だと、 Terminology: call the set of well-formed sentences S. If a sentence x is an element of this set we write S(x). として ∀n [∃x[S(x) & μ(x) = n]] → [∃y[S(y) & μ(y) > n]] に変わっているから、少なくとも著者は一回見直したことになる。
私にはこの式を読む能力がない。 しかし、専門家から膨大なフィードバックをもらっている本と、場末の掲示板の匿名ホラ吹きの話なら、とりあえず前者を信じるのが正解かな。 0023英ちゃん2024/04/20(土) 01:21:42.730>>21 >John wants [PRO to learn] how to love him.
非定形節 to learn の主語は John であって、himself でない。 0024英ちゃん2024/04/20(土) 01:22:12.580 続く〜💖😘 0025英ちゃん2024/04/20(土) 01:41:31.460 > Carnieはreferring expressionと書いているけど、正確にはreferential expressionの略からできた用語よ
In certain theories of syntax, an R-expression (short for referring expression) is a category in the three-way classification of noun phrases in binding theory, the other two being anaphors and pronominals. (中略) Examples of typical R-expressions are "Lisa", "the dog", "my pet unicorn", "the last chapter of the book", and "Janel's cigarettes". The name is derived from the phrase referring expression, used in semantics for the largest class of NPs, but the GB usage is not synonymous with the semantic sense.[2] https://en.wikipedia.org/wiki/R-expression0026英ちゃん2024/04/20(土) 01:54:58.900>>21補足 John and Mary love [their] new clip.
この their は必ずしも John and Mary とは限らない。 John and Mary = their の時は、their はanaphorである。 0027Usagi2024/04/20(土) 06:17:28.520>>21 束縛理論の話をする時はanaphorとpronounの区別は極めて重要 というか今はCarnieの束縛理論についての章の話をしており、当然ここでCarnieはこのふたつを区別している あなたは、CarnieはNPをR-expressionとanaphorの二つに分類しており、後者はheを含む、と主張した これは明らかに誤り 別の本でanaphorがもっと広い意味で使われることがあってもそれは関係ないし、あなたがCarnieを正しく読めていない事実は変わらない
anaphor pronounなどという言葉はない。anaphoric pronounならあるが。
>チョムスキーは統語に意味を持ち込まないのに、なぜここで意味論? そんなこと私に聞かれてもね…、実際にChomskyはquantifierの議論をしているのだから この程度のことで形式意味論の話をしているなどと言われてもね 気になるならLectures on Government and Binding (LGB)をご自分で読めば?
>>25 Wikipediaがいつでも正確だと思っているのだろうか Carnieが紹介している束縛理論は、もともとChomskyのLGBで生まれたものだ そしてLGBでChomskyはreferential expressionという言葉を使っている もちろんreferentialはhaving a referentという意味であり、referringと意味は同じだが。 私は正確な情報を教えてあげただけで、それ以上の意味はない 納得いかないなら自分でLGBを読みなさい Wikipediaで the GB usage is not synonymous with the semantic sense. と書かれているのは、まさに私が上に説明したことだと思われる “a fine paper on Zapotec”はGBではR-expressionと呼ばれうるが、意味論的にはreferring expressionとは呼ばれない Chomskyはちゃんと言葉を遣い分けている。Carnieは遣い分けていない