▼膳場貴子さんのマン毛を見たい(7本目)▼ [無断転載禁止]©bbspink.com
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子供を産んでますます熟女として色っぽくなった膳場貴子さん。
あなたが好きです!あなたは美しいです!
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▼膳場貴子さんのマン毛を見たい(6本目)▼
https://phoebe.bbspink.com/test/read.cgi/hneta/1533281569/l50 (声)子育てと仕事両立、小さな努力で 会社員 城座多紀子(東京都 47)
「今風共働き子育て事情に悩む私」(9月21日)を読みました。
子育ては女性がするもの、子持ちの女性は職場では扱いづらい、昇格も難しい。
長い歴史の中ででき上がった価値観はそう簡単には変わらないかもしれません。
でも、泣き寝入りすることなく、身の回り半径1メートルでも小さな行動を起こしていけば、やがて大きな時代の変化を起こせるのではないでしょうか。 (声)2021衆院選あす投開票 闘いで得た参政権、無駄にしない 無職 高岡美子(福岡県 87)
いよいよ衆院選の投票日がやってくる。私はその日を手ぐすね引いて待っている。
自分の持つ主権を行使できる機会を逃す手はない。
その結果がどうであれ、政治に自分の意思を示したということが一番大切なことなのだから。
テレビで各党の政見放送を見たり、新聞を丹念に読んだりして投票にいかしている。 (声)2021衆院選あす投開票 歩行困難者への郵便投票拡大を 無職 田中義陸(広島県 91)
私たち夫婦は足が悪く、私が運転免許を返納してからは外出を控えています。
衆院選の投票所に行くにもバス停までの行き来に無理があり、人様の手を煩わすのも棄権するのも嫌で、どうすべきか悩んでいます。
先日の投稿「義務投票制で民意さらに反映を」(13日)にもあったように、郵便投票の対象拡大をぜひ実現していただきたいと思います。
かたえくぼ
『安倍ーーー菅路線』
9月末での廃線を望みます
ーーーー国民 (大和・甲斐くん) (声)「拒否される学校」見直すべきだ 教員 水野佐知子(神奈川県 40)
子どもへの新型コロナ対策に追われるなか新学期が始まった。
この時期は子どもの自死の懸念もある。なぜ子どもたちは追い詰められるのか。
それは学校の持つ「はみ出してはいけない」という同調圧力と、「できるようになることが至上」という能力主義が要因と考える。
この評価を改めなければ、子どもは安心して過ごせない。 (声)「命を守る」ことを最優先せよ 保育園園長 阿部啓一(山形県 71)
今、保育の現場は、緊張の中にあります。
新型コロナにいつ感染するかわからないドキドキと、こんな時だからこそ、
目の前の子どもたちの「人生の土台づくり」を父母と連携して深めたい思いに悩んでいます。
小さい子どもたちにはワクチンもなく、その父母たちへのワクチン接種も遅々として進みません。 (声)いでよ、世論を踏まえた指導者 経営コンサルタント 近藤薫(東京都 71)
連日、メディアがこぞって自民党総裁選について報道しているが、派閥間のどろどろした駆け引きにうんざりする。
真っ先に立候補を表明した岸田文雄前政調会長は、あたかも森友学園問題の真相究明をするかのような発言をした。
しかし総裁選に大きな影響力をもつ安倍晋三前首相を配慮してか、後に否定した。 どう思いますか 本当の幸せって?上
今日も調理場に立つ 迷いはない 調理師 石塚雅晴 埼玉県 63
「お前は幸せだな。帰る店があって」。
大昔、就業先の中国料理店の先輩にこう言われたことがある。
心の中で僕は反発した。
「先輩に何がわかるというのですか。」と。
独り者の僕は、結婚して子どものいる友人を正直「幸せ」だと思うことがある。
でも「幸せ」は、過去の思い出や他人に対して抱くのではなく、未来への希望にしたい。
だから、姉妹に手伝ってもらいながら、町の小さな食堂を続けていける今を幸せに思う。
それを支えてくれるお客様に感謝しながら。 どう思いますか 本当の幸せって? 下
独身で「不幸せ」に見える私でも パート 浅井重代志 愛知県 66
本当の幸せって難しいよね。
私は独身で、傍目には不幸せに見えるのかな。
孫にも囲まれ、幸せを絵に描いたような友もいる。
逆に、病に苦しむ友もいる。
私は孤独死して何週間も見つからないかもしれない。
「あ〜あ。あの人は不幸せだったよね。」
そんな私でも、アフガニスタン難民の人から見れば幸せかもしれないね。 (声)失敗に不寛容な社会、息苦しい 高校教員 藤中芳枝(愛知県 52)
現代は「失敗」に不寛容な世の中だと思う。
失敗すれば、直接関係のない人たちからも容赦ない制裁が加えられる。
特にSNSでの攻撃は瞬く間に燃え広がり、対象者を追い詰める。
東京五輪開会式の楽曲・演出担当者らが辞任などに追い込まれたのは記憶に新しい。
過去の良識を欠く所業や作品が「ほじくり返され」SNSで炎上した。 100歳の記念品は必要だろうか 大学講師 高木栄一 愛知県 67
老人ホームに入所している母が近々、満百歳を迎える。
子としては親の長寿は喜ばしく、周りからお祝いの言葉をいただくのはありがたいことである。
長寿の祝いに公共性の高い資金を使って、安くはない品物を一方的に送ることは必要なのだろうか。
母のように百歳を迎えられること自体、極めて幸せで、それ以上は望まない。 「歌い続けてほしい『岸壁の母』(無職・上田幸子。福岡県・73歳)
戦争で消息を絶った息子の帰りを待つ母を歌った「岸壁の母」。
二葉百合子さんのヒット曲を、戦争体験のない坂本冬美さんが「戦争の悲しい出来事を次の世代の人たちに伝えなければ」との決意を持って歌い続けているそうです(本紙西部本社20日夕刊など)。
京都・舞鶴や広島、鹿児島・・・・・多くの港に、どれだけの岸壁の母がいらしたのか。
この夏、長崎・佐世保の「浦頭引揚記念資料館」に行きました。
田端義夫さんの「かえり船」の歌碑がありました。
この歌に多くの引き揚げ者が励まされたのでしょう。 公務員は全体の奉仕者 忘れずに 無職 間地文夫 神奈川県 74
国会議員の一部が厚生労働省の職員に、支援団体でのあいさつ文などの作成を多数依頼していたことが同省の内部調査でわかったという。
似たことが他省庁でもあるだろう。
自治体職員として42年間勤務した経験からそう思う。 立憲代表選 こんな声を聞きたい 無職 秋山信孝 東京都 72
30日投開票の立憲民主党の代表選では、「野党共闘」をめぐる論議がにぎやかだ。
先の衆院選で立憲は大敗したといわれるが、野党が候補者の一本化を進めた小選挙区では公示前より9議席増だから、野党共闘の成果は明らかではないか。 夫と私「なんでも半分こ」の毎日 主婦 木下明日香 東京都 38
夫と私は何でも半分こ。
回転ずしに行けば、自分の好きなネタのお皿を取っても、残り1貫は夫のもとへ。
各地を転々 思い出の宝石箱 主婦 廣瀬倫子 大分県 68
昨年はコロナ禍と引っ越しが重なり、環境が激変した。
子供の頃は2度転校。結婚と同時に福岡から山陰へ。 ぐっすり寝れたらそれだけで 主婦 正木和江 岩手県 54
92歳の母の介護を始めてから「幸せ」の定義が自分の中で大きく変化した。
バブルを謳歌していた学生の頃の価値観、子育て中に抱いていた希望。
時が流れるにつれ、幸せの意味も刻一刻と移り変わっていく。
インゲン42本自然の恵み 無職 土井清輔 岡山県75
2年前に買って巻き忘れたインゲンの種が出てきた。 (声)オンライン授業にメリットも 大学非常勤講師 岸根美奈子(千葉県 56)
私の勤務先の大学は来年度、授業を全面的に対面に戻すという。
コロナ禍の1年半、録画授業のオンデマンド配信やリアルタイムのオンライン授業など様々な授業を行ってきたが、対面授業のメリットはやはり、じかに交流できること。
個々の声掛けもできるし、場を共有する手ごたえがある。
一方でオンライン授業のメリットも確実にある。
出席率の高さは最たる利点だ。起き抜けのぼさぼさ頭でカメラの前に立っている。 (声)「開戦の日」、12月8日でいいのか 高校教員 宍倉潔(千葉県 59)
「開戦の日はいつ?」と問われれば、日本人はほぼ、「12月8日」と答えるでしょう。最近も1941(昭和16)年10〜11月に昭和天皇が開戦の覚悟を決められたという記事(5日)を読みました。
しかし、当時すでに日本は中国と戦争状態にあったのではありませんか。
12月8日は太平洋戦争の開戦日。
しかし、当時すでに日本は中国と戦争状態にあったのではありませんか。 (声)安倍さん、潔く政界を引退しては 無職 高橋伯明(埼玉県 67)
安倍晋三元首相(67)が自民党の最大派閥の会長となった。
安倍氏は派閥の力を通じて、人事や政策で岸田文雄首相(64)に圧力をかけようとしていると私には見える。
しかし、安倍氏は政権を計9年も担当し、自分のやりたいことは十分やったのではないか。
また、安倍氏はいまだに森友・加計問題や桜を見る会の問題について十分な説明をしていない。
こうした状態が続くことは日本の政治にとって何一ついいことがないと思う。 (声)改ざん訴訟、終結は国の信頼失墜 主婦 増田美栄子(広島県 66)
森友学園問題で公文書改ざんを強いられて自死した近畿財務局職員赤木俊夫さんの妻雅子さんが国を訴えた訴訟に、突然に幕が下りた。
国は雅子さんへの賠償責任を認めたが、お金を支払って真相解明を終わらせようとしているように私は感じる。
改ざんをめぐる疑問は残ったままだ。
誰の指示だったのか?どんな経緯で行われたのか?
裁判が終わることで闇にほうむられてしまうのではないかと心配だ。
俊夫さんは生前、「僕の契約相手は国民です」と語っていたというが、そんな公務員こそ国民にとっての財産ではないか。
国は俊夫さんの生命だけでなく、国民の財産を侵したといえる。 (声)深刻な薬不足、必要な人に確実に 薬剤師 池田麻耶(千葉県 27)
薬メーカーの不祥事の影響で、全国的に医薬品の供給が危機に瀕(ひん)していることが記事(12日)で報じられた。
実に3千品目以上の薬が品切れとなりつつある。
毎日綱渡りのような薬剤師の様子をお伝えしたい。
薬が安定して入ってこないのは薬局だけではない。
医薬品の卸メーカーも必死に薬をかき集めてくださっているが、それでも入荷しない薬の品目は日に日に増えている。 (声)10万円全額子供に使うためには 主婦 坂下詩乃(岩手県 41)
10万円給付について、多くの自治体の長が全額現金を希望していることを受け、政府は条件をつけず全額現金給付を認めるようです。
当初、私も現金の方が使いやすいから良いと思っていましたが、果たしてそうでしょうか。
子供のことを思うと、方針転換で改めて考え込んでしまいます。
それは貧困、ヤングケアラーなど様々な事情でお困りの世帯に10万円が給付されたと想像した場合、全額が現金だったらすべて子供のために使ってもらえるかなと考えたからです。 (声)欲しいものが買える現金給付 会社員 河原瑠華(東京都 30)
現金かクーポンか。
18歳以下の子どもへの10万円給付で、政府がようやく全額現金を認めた。
私は最初から現金派であるが、クーポンの消費喚起効果はある程度理解はできた。
しかし、なぜ当初、多額の追加経費をかけてのクーポン案が出てきたのだろうか。
使途不明の文書通信交通はたった1日の在職で満額支給される一方、今回の10万円給付は、年収制限や期限付きクーポンなど、多くの制限がまとわりつく。 (声)アジアの古代史知る図録欲しい 無職 草野厚(東京都 74)
アジアの古代史を知らない自分に愕然(がくぜん)とし、政治学の研究者として勤務した大学を定年後、カルチャーセンターで勉強をはじめた。
最近、コロナが落ち着き、久しぶりに東京国立博物館に出かけた。目指すは考古展示室。
全国の遺跡から出土した国宝、重要文化財級の「お宝」の資料が、定期的に交換されて展示されている。 (声)おやすみの前「今日は何が?」 主婦 口分田天子(兵庫県 31)
最近、3歳の息子を寝かしつける時に、「今日は何が一番楽しかった?」と問いかけるようにしています。
「電車を見たこと」「お昼ご飯がおいしかった」「公園で遊んだこと」。
息子から返ってくる答えはささいな出来事が多いのですが、次第に言葉達者になってきて、先日はしみじみと「ママ、なんだかんだで楽しいことがあるよね」とつぶやきました。
いつの間にか大人びたことを、と驚いていると、息子は自分の言葉に満足したのか、うんうんとうなずき、そのまま眠ってしまいました。 (声)保育賃上げ、配置基準も改善を 団体職員 民谷孝則(東京都 45)
岸田内閣の経済対策に、保育現場を支える職員の3%程度(月額約9千円)の賃上げが盛り込まれた。
私立の認可保育園への委託費は、国が定める職員配置基準に基づいて算出されている。
配置基準は1、2歳児6人に保育士1人、4、5歳児30人に保育士1人だが、少なすぎる。 (声)子に課された学習、適量なのか 非常勤職員 松永栄二(神奈川県 73)
本紙連載「いま先生は」(11月29日、12月1・3・4日)を読んだ。
私は小学校で40年以上教師を務め、70歳を過ぎた今は、授業でつまずいた2年生から6年生の学習支援員として算数を教えている。
繰り上がりや繰り下がりの計算時に指を使う子、最初から唱えないと九九がでてこない子・・・・。 (声)生きがいは腹話術ライブ配信 腹話術師 川松智子(奈良県 63)
「今日はCOP26の話をします」
「コップが26個?」
「今日は、ガソリン高抑制へホ・ジョ・キ・ン」
「ドンちゃんは免許を持ってません」
毎朝腹話術人形のドンちゃんを片手に、インスタグラムで、やりとりをライブ配信しています。
ネタは朝刊の1面。 (声)夫にご褒美?ドングリがコン!地域支援員 服部澄子(大阪府 64)
夫が買い物から帰ってきて、珍しく興奮して話し出した。
「帰り道、カバンの中でコンっという音がしてん。何の音かなぁ、と考えながら帰ってきてん」
「そしたらこれ」と出した手のひらにはドングリが一つ。木から落ちたドングリが、偶然夫のエコバッグに……。
それはすごいと2人ではしゃいだのだった。 バスの運転手さんの一言 千葉市 小池樹里 会社員 45歳
毎朝路線バスで通勤していますが、乗車して座る前に発車してしまうとよろけてしまうことも多いです。
手すりや柱につかまるまで待ってから発車してもらえればと思うのですが、公共交通機関なので、遅れを防ぐためにしかたないのかもしれません。
ただ、中には発車、停車の度にアナウンスで知らせて下さる運転手さんもいます。
お一人お一人の技量や心持ちで運転の雰囲気も変わるのだろうと思います。 (声)「おきゅう」を誤解しないで 鍼灸師 佐藤由佳(新潟県 58)
「衆院選でおきゅうをすえられたのは、与党ではなく……」で始まる先日の天声人語を読んで、「またか」と、ため息が出た。
このように、こらしめることを「おきゅうをすえる」と表現することが、みなさんもよくあるのではないだろうか。
この言葉づかいのためか、おきゅうを「熱さに耐えるもの」「怖いもの」と敬遠する人が多い。 (声)息子の質問に、内心ヒヤヒヤ 主婦 上佐古春菜(京都府 37)
ぼんやりテレビを見ていると、チョコもなかアイスのCMが流れた。
すると隣にいた小学2年生の息子が「モナコってどんな国旗?」と聞いてきた。
もなかと聞いてモナコを連想し、国旗が気になったらしい。
私が答えられないことを察した息子は本や地球儀で調べ、ひとり納得した様子だ。 週刊現代 最新号:2022年1/8・15号
NHKの女子アナ 歴代1はやっぱりこの人
1位 有働由美子
2位 加賀美幸子
3位 膳場貴子
4位 和久田麻由子
5位 森田美由紀 (声)園児の送迎バス放置、韓国では 韓国交通研究院研究委員 牟昌煥(モチャンファン)(韓国 59)
福岡県で昨夏、保育園の送迎バスに園児が取り残され、熱中症で死亡した事故が起きた。
運転していた園長は、園児全員の下車を確認せず、バスを施錠した。
乗降の手伝いをする補助員も同乗していなかった。
韓国でもここ数年、同様の事故が相次いだ。
そこで、韓国がどのような対策を取っているか紹介したい。
韓国では2015年、通園・通学車両に子どもの乗降を手伝う補助員の乗車が義務づけられた。 (声)映画を巡る物語:上 不条理感じた「イージー・ライダー」 司法書士 松山洋(熊本県 72)
大学3年の時、福岡で友人の女性と「イージー・ライダー」を見た。
挿入されたステッペンウルフの曲「ワイルドでいこう!」と共に衝撃を受けた。
ピーター・フォンダとデニス・ホッパーがハンドル位置を高くしたバイクでアメリカを自由に旅する姿がうらやましかった。 (声)映画を巡る物語:中 悩んだ時、「いまを生きる」を見る 主婦 近藤かさね(神奈川県 49)
49年生きてきた中で何かに悩んだり立ち止まったりすると、見る映画がある。
ロビン・ウィリアムズ主演の「いまを生きる」だ。
初めて見たのは高校2年生の時だった。
型破りな教師との出会いを機に、生徒たちが自身の人生を見つめ歩み出すストーリー。深い感銘を受けた私。 (声)自転車を盗まれ撤去費用まで… 会社員 井手千聡(東京都 47)
文京区の区営有料駐輪場にとめていた娘の自転車がなくなった。
盗難届を交番に出しに行ったが、「もう一度よく捜して」「娘さん本人が来ないとダメ」などと言われて受理してもらえないでいる間に、墨田区役所から娘の自転車を放置自転車として撤去したという通知が届いた。
錦糸町の映画館前に乗り捨てられていたらしい。 (声)42.195キロ踏破、私の成人の勲章 主婦 野中陽子(福岡県 61)
40年余り前。
成人式に着る振り袖の貸衣装を母と見に行くと、7万円もするという。
それなら普通の洋服で、と思っていたところ、市の広報誌で粋な企画を見つけ、短大の友人3人と応募した。
それは、成人式前日の午後6時に博多駅を出発し、42・195キロを歩き切って成人式会場に入るというものだった。
コースは福岡国際マラソンとおおむね同じで、100人以上が10班に分かれて歩いた。 (声)ホームレスに食料渡す難しさ 大学生 高橋菜月(千葉県 22)
勘違いだった。
「ホームレスの方々は皆生活に困っている。食料をお渡しすれば喜んで受け取ってくれる」
。私はそう思っていた。
しかし、実はかえって彼らの自尊心を傷つけてしまうこともあるのだ。
先日、ホームレスの方々に食料を渡す支援団体の活動に参加した。
以前からその団体のことを知っていた。 (声)良き理解者だった母に感謝 パート 小谷佐代子(千葉県 63)
母を亡くした。90歳だった。
昨年3月まで施設でお世話になり、体調が悪化して入院したものの回復し、あと数日で退院という矢先のことだった。
コロナ禍のため、私は病院に行けず、「ありがとう」すら言えないまま、天国に旅立った。
母は大阪、私は千葉。遠方にもかかわらず電話でよく話をした。 (声)映画を巡る物語:下
炭鉱に、「太陽がいっぱい」の旋律 無職 小野寺祐次(北海道 69)
素敵な映画音楽に魅了され、そこから映画を見ることが結構あった。
「鉄道員」「ひまわり」「道」など切なくて胸がしめつけられる。
特に「太陽がいっぱい」のニーノ・ロータの曲は、思いが強い。
原作小説は主人公の名前から「リプリー」だが、映画の邦題は「太陽がいっぱい」になった。
すごいセンスである。 短髪、エキストラに引っ張りだこ 学習支援員 牛島由紀雄(熊本県 66)
かぐや姫の「神田川」が街に流れた頃、京都で大学生活を送った。
大半の学生が長髪だったが、サッカー部の私は短髪。
住んでいた大学の寮は運動部の者が多く、いずれも髪が短かった。
我が寮を指定して東映の京都撮影所から、まとまった数のエキストラのアルバイト募集が来ていた。
当時はヤクザ映画の全盛期。
画面に少し映る程度でも。長髪だと様にならなかったのだろう。
私も十数回参加した。 負われて見たのは母の愛か 主婦 金丸公子(千葉県 83)
1945年の敗戦で、父の復員を福岡・門司の家で母と子ども6人で待っていた。
ある日、母が8歳の姉と6歳の私、4歳の妹を映画に連れて行ってくれることになった。
出かける前に母が突然、私をおんぶすると言い出した。
おんぶされるのは妹の方ではないかと聞くと、母は「(妹は)帰りにするから」と私をおんぶし、ねんねこを羽織った。
上映されていたのは、戦時中に制作されたミュージカル風時代劇「歌ふ狸御殿」。 転(こ)けてから締めても遅いビンの蓋(ふた)(兵庫県 上村晃一)
増え方に頭を過(よ)ぎる無限大(大阪府 吉村治美)
晴れ着とは成人式の貸衣装(千葉県 長谷川裕)
炊き出しが拾う命の明日いずこ(東京都 石原陽)
☆「野のユリ」は見てないだろうトランプ氏(神奈川県 石井彰)
ハチャメチャな鎌倉殿の揃い踏み(埼玉県 渡辺梢)
目を覚ます三時の除籍車朝刊よ(秋田県 岩見谷昌子) (かたえくぼ)感染倍々
そろそろバイバイしたい
――国民
(東京・やす坊) 難しい・・・今もずっと悩んでいる ダンスインストラクター 小畑ゆうみ 愛知県 43
「もっと頑張らないとダメですか」を読み、とても共感しました。
私も娘に「がんばれ」と言っていますが、私自身もその言葉が好きではありません。
心をほぐすような言葉をかけて 高校教員 山田礼子 神奈川県 67
30代後半、暴力と不貞を働く夫から逃れるため6歳の子どもを連れて家を出た。
その時友人からかけられた「がんばれ」の言葉はすんなりと私の心に届いた。 涙があふれた「がんばったね」 会社員 須藤扶美子 宮城県 58
10年前、東日本大震災発生時、被災地では耳にするものの、目にするものの多くに「がんばれ」という言葉があふれた。
沿岸部に住んでいた両親は津波で家を奪われ、着の身着のまま、私の住む仙台に避難してきた。
前進・向上につながる「日常語」 主婦 出宮須磨子 東京都 88
「がんばって」の受け止め方は人それぞれいろいろあるでしょう。
私には本当に困っている時の「がんばりなさい」は一番うれしく励みになる言葉です。 傷ついた人への励ましにならぬ 無職 長冨敦子 山口県 62
「がんばれ」。
この言葉によいイメージはない。
高校時代、不登校を繰り返し自室にこもっていたころ、両親に何度も浴びせられた言葉だ。
この言葉を言い放つ側は「自分は相手のことをきにかけている」と自己満足してしまう。
口先だけでは終わってしまう。
「がんばれ」を口にするのはたやすい。
けれども、傷ついている自分に、その言葉は意味をなさなかった。
かえって心をえぐられた。
「自分の苦しみを理解しようとしてくれない」と悩んだ。 首切らず増員という注射する(東京都 辻酔乱)
陽陽にパンダ記事かと読みかけて(福岡県 桑原正彦)
聞く意思と机のサイズ反比例(東京都 土屋進一)
本音では触らぬ神の文通費(東京都 三井正夫)
失格に中国選手いるのかな(千葉県 村上健)
☆監督がだんだんハルキに見えてきた(埼玉県 吉野信幸)
雪も行かねばエッセンシャルワーカー(岡山県 中山敬子) 「本のおばさん」が宝物をくれた 著述業 長沢苗子(東京都 58)
小学校低学年のとき、学校からの帰り道、図書室で借りたばかりの本を読みながら歩いていると、品のいいご婦人に「本、好きなの?」と声をかけられた。
はい、とうなずくと、ご婦人は「うちで図書館を開いているから遊びにいらっしゃい」とおっしゃった。
興味をそそられたが、「おばさんの家はどこですか」と聞けずに、あいまいにうなずいて別れた。
20年以上経ったある日、本の著者紹介に載っていた写真を見て、あのときの「本のおばさん」が、松岡享子さんだと気づいた。
私の娘が幼いころ、松岡享子さんが訳した「うさこちゃん」の絵本が大好きだった。 「速達なら確実」は値上げでは 主婦 唐木よし子(東京都 75)
昨年から土曜日の普通郵便の配達がなくなりました。
郵便局の窓口から孫の誕生日に合わせてプレゼントを送ろうとしたら、「間に合わせたいなら速達を」と言われました。
別の木曜日午前中に、「明日着きますか?」と聞くと、ここでも速達を勧められました。
昨年10月から速達料金が安くなったとはいえ、これって普通郵便の実質値上げではないですか。 新幹線延伸、地元の声届いたか 無職 岡田昭正(北海道 72)
北海道新幹線の札幌までの延伸で、並行するJR函館線の長万部―余市間(約120キロ)の廃止が固まった。
新幹線の延伸はうれしいことである。だが、在来線の一部が廃止され、生活が不便になることは、沿線住民のだれも望んでいない。
この決定は沿線自治体の判断に委ねられた。 「紙の宝石」と向き合う至福 無職 伊藤秀夫(三重県 74)
一向に終息の見えないコロナ禍にあって、外出もままならない。
私はこのところ、毎日5時間ほど自室にこもり、趣味の切手集めに没頭している。
スマホのオークションで落札した大量の切手を、200以上ある世界の国・地域別に細かく分類、ファイルに整理するのが至福の時。
切手は「紙の宝石」ともいわれ、じっくり観察するとお国柄が分かる。 首相、「考えている」だけですか 会社員 柴田俊明(埼玉県 63)
岸田文雄首相の記者会見や国会答弁を聞いていると、いつもモヤモヤする。
それは、説明の最後に「〜と考えている」とか「〜と思っている」という言葉をつけることが多いからだ。
例えば、「〜については遺憾に思っております」や「〜は私の責任と考えております」というようなものだ。 現代版「笠地蔵」、思いをつなぐ 無職 竹下敦子(熊本県 70)
私は地方の小さな「ひとり親の会」会員です。
昨年、70歳になるのを前に、役員の仕事を私より若い母親たちにバトンタッチしました。
コロナ禍で子ども食堂やバス旅行、クリスマス会などの活動はできませんが、各方面からご支援いただいた品を約120人の会員に届けています。 かたえくぼ
「ウクライナ侵攻」
攻撃は最大の暴挙なり
ーーーー国際世論
プーチン大統領へ
(延岡・カズ坊) (声)今、人類の英知が問われている 高校教員 高柳良訓(茨城県 56)
何のために歴史を学ぶのか、という生徒たちの問いに「不幸な戦争に至った経緯を学び、その過ちを繰り返さないため」とずっと答えてきた。
どんな戦争でも歴史や正義の主張は複雑だし、リーダーの資質や国際政治のパワーバランスまで考慮すべきファクターは幅広い。
でも結論は単純だ。
多くの人間の命に見合う正義など存在しない、これだけだ。 (声)「ひまわり」思い出し、平和祈る アルバイト 宮城正時(兵庫県 74)
22歳の時、大阪万博で働いていた私は外国に憧れてヨーロッパを3年間放浪した。
帰国後、戦争の悲劇を描いたイタリア映画「ひまわり」を映画館で見た。
スクリーンいっぱいに映し出されるヒマワリ畑が、私がユーラシアで見た平原の風景と重なりあった。
そのロケ地となったウクライナが戦場になってしまった。
映画は第2次世界大戦中のイタリアの若い夫婦の物語だ。 (声)2・26事件で首相を発見した父 無職 福島宣行(群馬県 72)
「今日は2月26日だね」「ああ、そういえば……」。
毎年この日が来るとわが家では、そんな会話が家族誰からともなく交わされた。
1936(昭和11)年2月26日は、世に言う2・26事件の発生した日だ。
父・篠田惣寿は23歳で、麹町憲兵分隊に勤務する上等兵だった。
当日未明、青柳利之軍曹と共に反乱軍にまぎれ首相官邸に潜り込んでいた父は、女中部屋の押し入れに潜んでいた岡田啓介首相を発見した。 声)土曜、ドリフ見ながら食べたっけ 会社員 小川太志(長野県 57)
我が家の食卓には、ひき肉やサバ缶、時にネギを使ったカレーライスが出てきた。
きっと母が倹約を考えて作ってくれたのだろう。
初めは市販のルーを使っていたが、カレー粉で手作りすることも増え、味が断然よくなった。
私にはなぜか「太陽の味」のように感じられた。 (声)平和のバトン 終戦を痛感、かみしめた 主婦 吉川清子(埼玉県 83)
国民学校1年の夏、終戦。
和歌山の農村でも食糧事情は厳しく、とりわけ非農家のわが家は3食「おイモさん」。
農林1号だの2号だの筋っぽく水っぽかった。
学校の運動場も全面サツマイモ畑に。同輩には「二度と食べない」と言う人も。
だが私は「命の恩人」おイモさんには感謝しきれない。 (声)ジンクスを破ってくれた彼 主婦 嶋田智子(大分県 63)
45年前、高校3年の冬。
受験する大学の下見に友人たちと行った際、高校の先輩方が学食でごちそうしてくれた。
そしてカレーライスを食べた私とA子だけが不合格。
次の大学の下見でも、先輩方にごちそうしていただいた。
先輩方が事前に頼んでおいてくれたのは、何とカレー。 (声)あなた、あの味、またお願い 地方公務員 安藤政子(愛知県 54)
結婚して2回目の夏、私は初めての出産をひかえて、ひどいつわりに苦しんでいた。
そんな時、お盆休みで家にいた夫が、私の好きなエビやイカをたくさん入れたシーフードカレーを作ってくれた。
何も食べられない私に気遣ってくれたのだ。
そして、不思議とこのカレーだけは、とってもおいしくて、パクパクと食べるできた。 ウクライナ2・24と記憶さる(福岡県 上杉徳行)
今の世に国盗(と)りがある恐ろしさ(東京都 藤井好)
☆麦踏みに戦車は要らぬ穀倉地(兵庫県 岸田万彩)
コロナからロシアに替わる専門家(神奈川県 石井彰)
プーチン家「ゆめ」はどうしているのやら(埼玉県 吉川てまり)
ロシアにも反戦の声ある救い(東京都 長谷川節)
一つだけ明るいニュース春近し(東京都鈴木了一) (声)同窓会 「あなた誰?」その前にもう一度 無職 深谷紀雄(愛知県 85)
高校を卒業して二十数年たった頃、「恩師を囲み、一度、皆で集まろう」と同窓会を開くことにした。
当時は皆、働き盛りで子育て真っ最中、それでも同学年の3割ぐらいの人が集まった。
顔と名前が一致しない人、在学中は一度も言葉を交わしていない人など思わぬ出会いがあった。 「孫」「ペット」「病気」の話、しない 会計年度任用職員 一柳武(東京都 73)
定年退職とほぼ同時に妻を亡くして途方に暮れていた時、中学時代の友人たちが声をかけてくれた。
励ましてくれたり、気分転換に外に出ようと誘ってくれたり。
以後、ミニクラス会と称して輪が広がり、10人前後の規模で年に数回集まるようになった。 消息つかめない、個人情報の壁 無職 高橋久美(千葉県 72)
コロナ禍もあり、ここ3年ほど、中学の同窓会を開催できないでいる。
横浜市郊外の1学年10クラス生徒600人の学校を1964年に卒業した。
仮設校舎が必要なほどの人数が通うマンモス校だ。
高度成長期と戦後のベビーブーム世代が重なり、学校周辺に大団地ができ、クラスの8割近くがそこから通っていたと記憶する。 死を覚悟した友の願い、かなえた 無職 木村誠(神奈川県 77)
28年前の初夏、神奈川・JR茅ケ崎駅前の鮮魚料理店で中学の同窓会を開いた。
幹事は私である。同窓会は年末開催が恒例なのだが、この時期にしたのは親友のたっての願いだった。
彼は大腸がんで医者に余命半年と宣告され、転移があり手術しても良い結果は難しいとのことだった。 少数の友と居酒屋 それで充分 主婦 長谷川治代 岐阜県 60
40歳を過ぎて生活や仕事に少しゆとりができた頃、居酒屋で十数人が集まる高校の同窓会が始まったようです。
40代半ばになって、幹事の尽力で連絡が取れる人すべてに案内状が送られ、ホテルの大広間を貸し切り、バイキングの大同窓会がありました。
同じテーブルの人と今の生活について話をしていたら、聞きもしないのに、子どもの大学の自慢話。
欲しいとも言わないのに、立派な肩書がついた名刺を配りまくる男性もいました。 文通費、議論の行方を注視したい 無職 久野聚(愛知県 76)
今国会の重大関心事の一つは国会議員の文書通信交通滞在費(文通費)改革の行方である。
在任1日でも満額の月額100万円を支給する異常な制度が先の臨時国会で問題になった。
「日割り」での支給にする改善については与野党一致していたが、
野党が主張した「領収書の提出を含む使途の公開」「未使用分の国庫返納」に与党が難色を示し、法改正は見送られた。 安倍元首相の電撃訪朝を望む 無職 尾形信二(宮崎県 78)
拉致被害者である横田めぐみさんの母早紀江さんが86歳になられた。
「無事に取り戻せないで死にたくない」という悲痛な言葉に、いたたまれない思いをした国民はたくさんいたであろう。
いったい日本政府はこの10年間、被害者の帰国に向けて何をしてきたのか。
その無為・無策・無能ぶりに激しい憤りを覚える。 想像力の欠如は人を苦しめる 無職 能野マリ(埼玉県 71)
先日の安倍晋三元首相の発言にあぜんとした。
「アベノマスク」を含む布マスクについて配布希望者を募ったら、2億8千万枚の希望があり、「もっと早くやってもらっていたらと思う」と語ったのだ。
国民が「大切な税金が無駄になる」と役に立たなかったマスクを、工夫して再利用しようとしている現実に気が付かないのか。 教員「完全退職」、揺らいでいる 中学校教員 金子悦郎(山口県 62)
担当する英語の授業で、外国語指導助手(ALT)に毎年クリスマスカードをプレゼントしている。
生徒が英語で書いたものだ。
昨年は、紙版と1人1台配布されたタブレットでの電子版の2種類。
生徒は英語で手紙を書くのがほぼ初めてだったが、意欲的に取り組んだ。
どのカードも心のこもった内容でALTは大変喜んでくれた。 無人販売所に感じる良心・善意 介護支援専門員 岡田奈奈子(三重県 52)
近所に無人の農産物販売所があり、通りかかるとつい立ち止まる。
野菜や果物と一緒に手書きのポップ。心和む演出にほほ笑んでしまう。
そこには監視カメラやもちろんAI(人工知能)もない。良心や善意という可視化できない物差しでの買い物だ。
つくづく性善説の証しだなあと優しい気持ちにさせてくれる。 子供の入院、付き添いに配慮を 書店経営 中村涼子(香川県 45)
1月中旬に8歳の娘が入院し、ずっと付き添っている。
コロナ禍もあって1人限定で、原則として夫も含めて他の人は面会もできない。
娘は2歳の時にも別の病院に入院し、付き添った私は心身ともに疲弊した。
今回、最新の医療設備は充実し、医師や看護師らのケアはすばらしく、安心して治療に専念できている。 年齢制限緩め教員不足の解消を 大学生 藤分弓子(大阪府 46)
1日付の朝刊に、公立校の教員が2千人以上不足しているという記事が載っていた。
教員志望者が減少していることが原因らしい。
私は現在、通信制大学の3年生だ。
当初は卒業資格が欲しくて通信制の短大で学び卒業した。
勉強しているうちに、この楽しさを若い人に伝えたいという思いが強くなった。 断捨離が生んだ、ご近所交流 主婦 宮本淳子(京都府 53)
昨年11月「断捨離をしよう!」と思いたった。
きっかけは「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」(佐々木典士)という本を読んだからだ。
断捨離をすることで、著者は気持ちも前向きに変わっていったという。
しかし、まだまだ使えるモノもある。
一部はリサイクルショップに持って行ったが、予想以上に我が家を占領している。 ブかプか、カタカナ語は混乱 団体職員 加藤俊和(京都府 76)
このごろ、カタカナの言葉があふれ過ぎていると感じます。
日本語で表せるのに、安易に英語などをカタカナにしているのでは、と思われます。
デモクラシーを民主主義、サイエンスを科学などと的確に和訳した先人の英知に感服しながら、今はなじみにくいカタカナ語に戸惑っています。 平らで安全な道路づくりを 無職 石田むつみ(埼玉県 64)
私は脳出血のために左半身がマヒしています。
最近、やっと杖で歩けるようになりました。
それで気づいたのですが、道路って水はけのために中心が高く、両端に向かって緩い傾斜がついています。
中心なら歩きやすいですが、車の通行もあり、傾斜している場所を歩くことになります。 大学生活で感じた文化と歴史 小学校非常勤講師 塚野安枝(宮崎県 48)
30年前、大学受験のため初めて訪れた沖縄の地。
大きなカルチャーショックを受けた。
琉球大学で地理学を専攻し、フィールドワークで街をくまなく巡った。
赤瓦の民家やコバルトブルーの海に白い砂浜。
今まで目にしたことがない食材が並ぶ市場、「喜屋武(きゃん)」「北谷(ちゃたん)」などのなじみのない地名。
生まれ育った環境との違いを感じながらも、その風土や文化に強い興味と関心を抱いた。 中でも幹線道路沿いに続く広大な米軍基地には言葉をなくした。肩を寄せ合いぎっしりとひしめき建てられた建物群の街中とは対照的に、フェンスの向こうに延々と広がる整備された青い芝生。
爆音とともに低空で市街地上空を飛来する航空機。
沖縄の人々は戦争という悲しい歴史を抱きながら、今でもなお米軍基地という厳しい現実と隣り合わせの中で暮らしている、ということを実感した。
沖縄が本土復帰したのは同じ学びやで沖縄の未来を語り合った友が生まれた年だ。
4年というわずかな時間だったが、沖縄の文化や風土、そして友を通じて非常に意義深い貴重な時間を送ることができたことに感謝している。 基地、他人事だった自分を反省 無職 山口誠一(神奈川県 73)
横浜で生まれ育った自分にとって、沖縄は遠い異国のような存在でした。
児童書の出版会社に勤務していた約20年前、仕事で何度も沖縄を訪問。
名物を食べ、観光地を巡り、自分なりの沖縄観は得られました。
それが最近、三上智恵さんの「風(かじ)かたか」という本に出会いました。
「戦場ぬ止(とぅどぅ)み」と三上さんの著作を読み込んでいくうち、怒りにも似た気持ちがどんどん広がってきました。
同じ日本でありながら他人事のような感覚の自分に。普天間移転問題のことです。 それまで反対運動はあくまで沖縄の問題で、場合によっては条件闘争なのかくらいにしか捉えていませんでした。
私の故郷も、かつては潮干狩り、海苔(のり)漁でにぎわった海岸が埋め立てられ、今や工業地帯です。
残念な気持ちと、「経済発展のためには仕方なかった」との思いのはざまに置かれたままです。
しかし、三上さんの本に出会い、沖縄の自然を、住民を、そして孫たちを、あの地獄のような境遇に陥ることから守るのだという気概に圧倒されました。
他県の人間がどこまで沖縄の思いを理解できるか疑問ですが、応援したい気持ちです。 「いちゃりばちょーでー」魔法の夜 無職 志村厚(東京都 84)
1998年3月、沖縄に赴任することになった。
当時はテレビや映画で紹介される映像、2000年に開催予定のサミットの候補地くらいしか、沖縄に対する認識はなかった。
赴任してまもなく、宿舎近くの居酒屋に行った。
泡盛の水割りを注文したところ、カウンターで隣に居合わせた2人連れの先客から突然、目の前に水割りを差し出されてびっくり!
遠慮したのだが、「いちゃりばちょーでー」と。 戸惑っている私に、先客2人とマスターが言葉の意味を説明してくれた。
「一度会ったら、みな兄弟」。その場の雰囲気が一気に和み、夜が更けるまで飲んだ。
最後は他の客も一緒にカチャーシ(沖縄の踊り)の乱舞となった。
沖縄が一夜にして身近になった。
3年弱の短い沖縄勤務だったが、居酒屋のつながりから輪が広がり、ゴルフコンペや飲み会でたくさんの人と親交を深めることができた。
あれから二十数年、今も交流は続いている。コロナ禍で2年ほど途絶えているが、早く再会できることを願っている。
私にとって沖縄は第二の故郷であり、仲間は兄弟以上である。 遺骨収集、沖縄戦の悲惨さを痛感 会社員 宮崎寛(福岡県 63)
約40年前、友人の誘いで初めて沖縄を訪問した。
旅行気分だったが、実は遺骨収集のボランティアであった。
3泊4日の日程で、背丈ほどもある草木をかき分けて目的地にたどり着いた。
「不発弾や手榴(しゅりゅう)弾に十分気をつけるよう」との指導を受け、静かに丁寧に掘り起こし、遺骨を見つけ出す。
2日かけて収集した遺骨を慰霊した後、米軍基地での慰労会に招待されるという流れだった。 ボランティアは3年連続で参加した。
当時、少しばかり沖縄戦の知識はあったが、多くの一般人が巻き込まれた実に悲惨な戦争であったことを実感した。
その後も個人的に沖縄を訪ね、ひめゆりの塔や摩文仁の丘、平和祈念資料館を巡った。
改めて沖縄戦のすさまじさを痛感した。
戦争体験のない私だが、子どもたちに、終戦の日、原爆の日にはともに手を合わせるように伝え、テレビなどの戦争特集をできるだけ視聴させてきた。
成人となった子どもたちがきっと何かを感じ、これからの人生を生きてくれること。
そして、自分たちの子どもたちにも戦争のことを伝えてくれることを信じている。 黄金言葉を胸に、東京で生きてきた 会社経営 川端義春(東京都 65)
1971年1月、中学2年生の私は横浜の親戚を頼って1人で沖縄を離れました。
本土に強い憧れがありました。
でも実際に横浜に来ると、親しい友人もできず激しく後悔しました。
沖縄への恋しさは必死に勉強することで紛らわしました。
沖縄の本土復帰は高校入学直後。
テレビに映し出される沖縄の映像を食い入るように見ました。
あれから50年、私は東京で大学を出て会社を経営しています。
長く自分を支えてきた言葉があります。
それは「くがにくとぅば」(黄金〈こがね〉言葉)として胸深く刻まれています。
サトウキビ農家の両親が畑に出ている時、祖母が私をあやしながら「じんにまやさりんなよー」(お金に惑わされるな)とささやき続けたのです。 私はその言葉のおかげで、東京でビジネスの世界に浸りながらも、お金を稼ぐ意味は家族や社員の生活を守るためということを忘れず、長く会社を続けられました。
沖縄には多くの黄金言葉があります。
本土復帰後、沖縄もずいぶん同化が進みましたが、黄金言葉は守るべきだ。
そんな思いが強くなるこのごろです。 「基地集中は当然」今なお怒り 無職 川上光男(沖縄県 63)
沖縄県庁に在職中、国の研究機関で研修を受ける機会に恵まれた。
懇親会で幹部研究員が「沖縄には米軍基地を置かないと経済が成り立たない。
米軍基地が集中するのは当然だ」と述べた。
その場の状況から反論はしなかったが、27年たった今も怒り心頭である。
1995年の米兵による少女暴行事件をきっかけとした日米地位協定改定要求はいまだ実現せず、普天間飛行場閉鎖は辺野古新基地建設にすり替えられた。
何度も県民が選挙や県民投票で意思表示しても政権は無視し続けた。
司法は判断を避けるだけである。 悪質なのは防衛省予算の米軍再編交付金。
基地反対の名護市長が当選すると交付金は止めるが、建設は強行。
黙認する市長が当選すると交付。防衛省予算なのに子育て支援策にも使用可能。
国民の税金を使った買収行為ではないか。
いまだに沖縄は本土防衛の前線基地の役割を押しつけられている。
生きている限り、沖縄を二度と戦場にしないために声を上げ続ける覚悟でいる。 海洋博のオブジェ制作に携わる 画家・版画家 村岡孝(埼玉県 74)
50年前の1972年5月14日、沖縄の本土復帰の前日に普天間の大通りの右側を車で走っていた。
まるで外国である。運転席からの眺めは混乱する。
注意深くゆったりとカーブを曲がったりした。
パスポートで沖縄に行った最初で最後の経験である。
パスポート申請の時、勤め先の工房近くの写真館に行った。
借り物のネクタイを締めて、緊張した姿が残っている。
仕事は、沖縄海洋博のモニュメント、大きなカモメの日よけオブジェの制作だった。
食事代もドルで支払ったように思う。 糸満では、高さ11メートルの平和祈念の仏像に関わった。
漆技法のための型取り作業だ。
今は亡くなった親方と糸満の絶壁に立つ青春時代の思い出の写真がある。
25歳だった。若さにまかせて勢いがあった。
本土の人への複雑な感情を持って夢を語ってくれた少女がいた。
お元気でしょうか。
美しい海や思い出の竹富島、復帰後に生まれた若い人たち、沖縄の平和を確かめに行きたいものです。 驚きいろいろ、懐かしいウチナー 主婦 榎本恭子(京都府 72)
50年前の5月7日に結婚した私には、沖縄の本土復帰は遠い話だった。
それが2年後、夫への突然の転勤命令により、那覇に住むことになった。
1歳前の娘と家族3人で飛行機から見た初めての沖縄の海の美しさに感激した。
しかし、沖縄の人たちには美しい海が当たり前。
泳ぐことはなく浜辺でバーベキューをするだけのようだった。
実際、海に入ると、サンゴのかけらが痛くて歩けないし、日差しが強くて背中が焼ける。
海は見るだけがよいと納得した。 日々生活すると驚くことも色々。
肉は一斤(約600グラム)とか半斤の塊。
魚も知らないものがほとんど。パイナップルがとてもおいしく、よく食べた。
沖縄海洋博(1975〜76年)開催前で、町のあちこちが工事中で活気にあふれていた。
滞在3年半の間に息子が生まれ、本土に戻った。
息子は最近もかつて住んだ家に行って写真を撮ってきた。
沖縄はいつまでも気になる土地であり、見守っていきたい。
懐かしいウチナー(沖縄)である。 ゼレンスキー氏演説、未来へ示唆 無職 松本和博(長崎県 68)
23日、ウクライナのゼレンスキー大統領の国会演説は、訴えがわかりやすく、この戦争後のことについても多くの示唆を含んでいました。
とりわけ、安全保障理事会が機能しなかったとして国連改革の必要性に言及した点は、岸田文雄首相の問題意識と共通していると思いました。
国連は世界の平和を保とうとつくられましたが、殺人と破壊の侵略を妨げず、止めることもできずにいます。 異国で戦死、悲しさ古今変わらず 僧侶 伊藤良英(愛知県 83)
ロシア軍のウクライナへの攻撃で、何の罪もない民間人の死傷者が増え続けている。
一方、侵略するロシア軍兵士にも命を落とす人が多数いると報道されている。
私は、このロシア軍兵士の死に、太平洋戦争の日本の戦死者を重ね合わせている。
私の寺の墓地に、6人の戦死者の墓石がある。
同じ形の6基が並ぶ。 素晴らしき世界、戦争より笑顔を 魚屋 舩山和恵(長崎県 68)
3月10日朝、外から大音量の音楽が聞こえてきました。
ルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」。自宅近くの佐世保港。
修繕を終えた大型クルーズ船「飛鳥2」の船出でした。
2011年3月11日、東日本大震災。
弟に会うため、茨城県つくば市にいました。
突然、車がジャンプして、道路標識がゴムのように揺れました。 我ら高齢者の「文化」死守しよう フリーライター 三宅喜代子(神奈川県 82)
私は敗戦翌年に就学し、戦後民主主義の中、心躍る高揚感を味わいつつ成長した。
青春期には日米安保闘争があり、樺美智子さんの死に深い挫折感を味わった。
それでも、平和と生命、基本的人権の大切さを心に銘じ、仕事や社会活動、子育て、介護を担ってきた。
その間、技術革新と果てなき欲望の波が押し寄せ、人々は変容していった。 自分のこと諦める?もがく介護 パート 塩沢千登世(東京都 59)
94歳、要介護4の父と暮らしている。
3年前に退職し、いまは週1回4時間だけ働く。
就職サイトで、60代以上・短時間パート・シフト選択可・自宅から近い、にチェックを入れる。
クリックするところで、「尿瓶(しびん)でお小水とって」の父の声に立ち上がる。
お小水は出るけれど、ヒットする仕事は今日もない。 「焼きびん」の昼食、昔を思う 無職 石渡貴久(神奈川県 85)
77年前、横浜市の実家は田2反、畑1反。
米は供出させられ、手元に残せる自家消費分だけでは、一家7人三度の食事に足りない。
母は昼になると、小麦粉に水とサイの目に切ったサツマイモを混ぜて生地をつくり、広げて焼いた。
食用油も配給制だった。
当時、この料理を「焼きびん」と呼んでいた。 ☆名を変えりゃ受け取りやすいお小遣い(大阪府 首藤媾平)
海隔て隣はみんな怖い国(千葉県 山内活良)
ICBMSMBCまぎらわし(東京都 内田堂文)
戦争のニュース終わればまたグルメ(福島県 佐藤国喜)
コロナより選挙に効きそう四回目(埼玉県 西村健児)
ラジオでのサッカーテレビより疲れ(静岡県 増田謙一郎)
局アナが別れを告げる弥生末(埼玉県 渡辺梢) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています