【ナイト】疎開する風俗嬢たちがいる一方で被災地へ向かう風俗嬢も… 風俗ジャーナリストが見た「震災とフーゾク」
0001逢いみての… ★2024/03/28(木) 23:28:56.58ID:CAP_USER
過去の震災において、災害に直面した風俗店がどのように復興までを乗り切ったのかを見てきた風俗ジャーナリスト・生駒明氏による前編「震災で日常が破壊されたときに風俗店はどうしていたのか? ベテラン風俗ジャーナリストが綴る震災とフーゾク=vの続編。後編ではさらに震災に立ち向かうように営業を再開した店や、風俗嬢たちの行動について触れる。

東日本大震災では、前述した加賀・片山津温泉の『英国屋』だけでなく、風俗嬢を受け入れたい、という店は、岐阜県岐阜市の金津園や滋賀県大津市の雄琴のソープにも現れた。「阪神大震災のときも、店長や女の子を受け入れたことがある。結果的に金津園全体が活性化した」と語る経営者もいた。

雄琴ソープが集まる滋賀県特殊浴場協会では、積み立て金の一部を義捐金として寄付した。このほか、売り上げの一部を募金として集め、寄付する動きが全国に広がっていた。大阪府大阪市梅田のSMクラブ『カルマ』は、受付に募金箱を置き、利用客にカンパを訴えていた。

阪神・淡路大震災のとき、被災地の真っ只中にあったにもかかわらず、奇跡的な復活を遂げて話題となったのが、兵庫県神戸市三宮の人気ヘルス『クリスタルマジック』だ。同店は、地震が起きた2週間後、この地区に電気が通った翌日に、三宮ヘルスのトップを切って営業を再開。周囲は倒壊の危機に瀕したビルばかり。もちろん断水状態である。そこを従業員がポリタンクで給水所から水を運び、プレイルームにヒーターを入れたポリバケツを置いてサービスをした。

風呂もろくに入れないのに、ヘルスで遊べるとあって、男たちは我先にと店へ押し寄せた。被災者となった常連客はもちろん、解体作業で地方から来ている仕事人、救助作業に来た自衛隊員、なかには休憩時間の合間を縫って、ヘルメットを被り腰に工具をぶら下げた埃だらけの作業員がやって来ることもあったという。この様子は写真雑誌に取り上げられ、「断水なのにお湯たっぷり。三宮ファッションヘルスの人気と知恵」という見出しで、大きな反響を呼んだのだった。

こういった震災時における風俗店の美談は多い。フーゾクはさまざまな形で社会に貢献しているのである。

能登半島地震が発生した直後、石川県のソープ嬢のブログを見ると「皆さんが無事でありますように」「一人でも多く救助されることを祈ります」「微力ですが一刻も早い早期復興を願ってます」と、つづっている嬢たちがいた。また、別の地域に帰省していた嬢がSNSで安否確認の表明をしたり、ブログで緊急支援募金を提案しているケースも見られた。

東日本大震災のときは、一部風俗店や東京近郊や関西の風俗嬢たちが連携し、被災した風俗嬢たちを受け入れてくれる店を探す運動が全国的に巻き起こった。それに助けられる形で、多くの女の子たちが紹介された風俗店でしばらく疎開生活を送っていた。

被災地から避難する女の子たちがいる一方で、逆に被災地に向かう女の子もいた。被災地は土木や建築工事の復興需要で労働人口が増加しており、男たちが持つあぶく銭を目当てに関東から、あるいは関西から、東北地方を目指す風俗嬢がいた。その中に、郡山や福島といった原発周辺地域を目指す女の子たちがいたことは、驚きであった。原発隣接都市の風俗店の中には、景気がいい店がいくつかあった。福島原発周辺に送られてガレキ処理などをしている人夫たちの中には、あぶく銭を手にして金離れがいい人たちもいたからだ。彼らは東京の山谷や大阪の西成で集められ、日給が3万円くらいだといわれていたため、彼らが遊ぶ風俗店に、ひと稼ぎするため働きに行く嬢がいたのである。

また、東日本大震災で両親と兄、祖母を失った19歳の少女が、SNSを通して知り合った風俗嬢の友人に救われていた。神奈川の自宅に少女を連れ帰り、横浜のデリヘルを紹介。少女はこの店で働き始める。店長は少女の境遇を気の毒に思い、寮に住まわせて、寮費のみならず光熱費までも店が負担した。店長曰く「彼女の生活の再建をお手伝いすることで、被災者の力になりたい」とのことだった。その後、少女の父は見つかったものの、母と祖母は行方不明のまま。少女は、生活の再建のための資金が貯まるまでは風俗の仕事を続ける、と語っていた。

このように、震災時、被災者の無事を祈る風俗嬢に加え、被災した風俗嬢を救う風俗嬢や店長がいた。一方で、現地の労働者に癒やしを与える出稼ぎ風俗嬢もいた。こういった形で、風俗嬢たちは、人助けに一役買っていたのだ。

続く

以下ソース
https://friday.kodansha.co.jp/article/365891
0002逢いみての… ★2024/03/28(木) 23:29:08.03ID:CAP_USER
震災時、多くの人にとって、フーゾクは一段と重要性を増す。非常時だからこそ、精神の安定と未来の希望のために、息抜き≠ェ絶対に必要なのだ。フーゾクは息抜きの最たるもの。「こんなときにけしからん」とフーゾクを非難する人もいるが、精神的な安定には欠かせない。震災時には不安から人との触れ合いを求める人が増える。そういった人の癒やしとなるのが、フーゾクの存在意義といえる。

東日本大震災のとき、岩手県盛岡市の店舗型ヘルスにやってきた34歳のビジネスマンがいた。他県から出張で同県釜石市へ来て被災したが、ようやく盛岡まで逃げてきたものの、会社の重要書類が入ったカバンをなくしてショげていた。それでもフーゾクへ遊びに来たのだ。当時、風俗嬢たちのなかには「フーゾクって、震災で暗い社会では気分転換になっていいじゃない」という声もあった。

ガレキ処理などのボランティアに行った若者が、活動後に宮城県仙台市のソープで遊んでスッキリしてから自宅に帰った、という話はよく聞いた。戦場のような被災地での重労働を終えた男性にとって、快適な個室で美女と遊べる風俗店はオアシス≠ナあったに違いない。

能登半島地震で大きな被害を受けた被災地の復興事業が順調に進み、地域全体が落ち着きを取り戻したら、景気回復のために、ご当地のフーゾクに遊びに行ってほしい。これも被災地への復興支援の一つだからだ。北陸で「フーゾクで遊んで応援」を、みんなで実践しようじゃないか。

取材・文:生駒明

ペンネームは『イコマ師匠』。『俺の旅』シリーズ編集長。徹底した現場取材をモットーとし、全国の歓楽街を完全踏破。フリーの編集記者として、雑誌やサイトの記事、自らのSNSなどで『俺の旅』を継続中。著書に『フーゾクの現代史』『ルポ日本異界地図』(共著)
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