「運動」はどうか。両親がスポーツ選手で自身も世界で活躍する二世選手は大谷翔平(29才)のほか、元卓球の石川佳純(31才)や元体操の内村航平(35才)がいる。

「実際、運動能力に関係するといわれている遺伝子はあります。たとえば、『αアクチニン3遺伝子』のタイプにより、長距離走または短距離走に向いた筋肉が多くなるかが決まる。また『ACE(エース)』という遺伝子を調べると、持久力のあるなしがわかります」(石浦さん)

 あらゆることが遺伝と関係するなら、大谷や藤井聡太八冠(21才)といった天才が生まれたのも当然の結果なのか。

「いや、天才は自然が突然、作り出した存在です」

 安藤さんはそう断じる。

「遺伝子の組み合わせは10の数万乗ものパターンがあり、それが奇跡的にうまく合致した瞬間、天才はあるとき突然生まれます。さらに持って生まれた天性の素質に、自分自身を形成するうえで欠かせない環境が加わります。遺伝子の独特の組み合わせがたまたま野球や将棋に向き、さらに環境にも恵まれたことが、大谷さんや藤井さんのような天才が誕生した理由です」(安藤さん)

“奇跡の組み合わせ”によって天才が生まれる一方、賢い親から必ず賢い子が生まれるとは限らないのもまた事実。

「遺伝は父親と母親の遺伝子がランダムに組み合わさる“遺伝ガチャ”です。統計学でいう平均への回帰によって、優秀な親同士の子供は集団全体の平均に近づいていく傾向がある。両親が東大卒でも子供がぱっとしないケースがあるのはこのためです。他方、遺伝ガチャに当たって、“トンビが鷹を生む”こともあります」(橘さん)

“遺伝が格差を生む”と過剰に嘆いたり賛美したりするのは禁物ということ。

 安藤さんは「遺伝も環境も両方大事です」と語る。

「1つのことに卓越するためには1万時間ともいわれる膨大な時間が必要です。仮に同じ遺伝的素質を持っていても、たくさん学習や練習をした方が成果は出やすくなります。遺伝の影響を過剰にとらえる必要はなく、遺伝と環境を足し算で考えればいいんです」

 この先、遺伝研究はどこまで進むのか。

「DNAのすべての情報を調べる『ゲノムワイド関連解析(GWAS)』と遺伝のビッグデータを組み合わせることで、極端に言えば、受精卵の段階で子供の身長や体重だけでなく、大学に進学するかや、刑務所に入る可能性があるかまで、かなりの精度で予測できる世界が到来しようとしています。遺伝子編集によって優れた受精卵を作る『優生学2.0』もいずれ実現するでしょう」(橘さん)

『「頭のよさ」は遺伝子で決まる!?』の著者で、東京大学名誉教授の石浦章一さんは、医療への応用を期待する。

「いまは個人の遺伝子を調べてオーダーメードで病気を治療する『ゲノム医療』が発展しています。特にがんや、これまで治療不可能とされたALS(筋萎縮性側索硬化症)などの難病でもゲノム治療が可能になってきています。将来的には、高血圧や肥満などの生活習慣病にもゲノム医療が適用されるはずです」(石浦さん)

 心身も行動も、生きている限り遺伝の影から逃れることができないという「不都合な真実」の中、私たちはどう生きるべきか。

 橘さんは「遺伝的な傾向に合わせた人生設計をすべき」と語る。

「遺伝的に打たれ弱い性格なら“嫌われる勇気”を持とうと努力するのではなく、ストレスを避けて生きられる環境を作った方がいい。誰でも好きなことや得意なことはがんばれるので、遺伝的なアドバンテージを見つけて、そこで花を咲かせることを考える。さまざまな遺伝的傾向を持った人たちが自分らしく生きていける、多様性のある社会の構築が求められています」

 安藤さんは「遺伝を強調しすぎるのは危険」と語る。

「確かに親と似た子が生まれる確率は高いですが、遺伝はランダムゆえにその子独自の出発点もまたランダムに作り出されていることを忘れてはいけません。人生は遺伝だけで決まるのではなく、自分の意思でコントロールできる部分があることをしっかりと伝えていく必要があります」

 遺伝の影響は少なくないが、すべてを決定するわけではない。あなたの人生を決めるのは遺伝でも環境でもなく、あなた自身であるのだ。