▼膳場貴子さんのマン毛を見たい(7本目)▼ [無断転載禁止]©bbspink.com
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子供を産んでますます熟女として色っぽくなった膳場貴子さん。
あなたが好きです!あなたは美しいです!
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▼膳場貴子さんのマン毛を見たい(6本目)▼
https://phoebe.bbspink.com/test/read.cgi/hneta/1533281569/l50 週刊現代 最新号:2022年1/8・15号
NHKの女子アナ 歴代1はやっぱりこの人
1位 有働由美子
2位 加賀美幸子
3位 膳場貴子
4位 和久田麻由子
5位 森田美由紀 (声)園児の送迎バス放置、韓国では 韓国交通研究院研究委員 牟昌煥(モチャンファン)(韓国 59)
福岡県で昨夏、保育園の送迎バスに園児が取り残され、熱中症で死亡した事故が起きた。
運転していた園長は、園児全員の下車を確認せず、バスを施錠した。
乗降の手伝いをする補助員も同乗していなかった。
韓国でもここ数年、同様の事故が相次いだ。
そこで、韓国がどのような対策を取っているか紹介したい。
韓国では2015年、通園・通学車両に子どもの乗降を手伝う補助員の乗車が義務づけられた。 (声)映画を巡る物語:上 不条理感じた「イージー・ライダー」 司法書士 松山洋(熊本県 72)
大学3年の時、福岡で友人の女性と「イージー・ライダー」を見た。
挿入されたステッペンウルフの曲「ワイルドでいこう!」と共に衝撃を受けた。
ピーター・フォンダとデニス・ホッパーがハンドル位置を高くしたバイクでアメリカを自由に旅する姿がうらやましかった。 (声)映画を巡る物語:中 悩んだ時、「いまを生きる」を見る 主婦 近藤かさね(神奈川県 49)
49年生きてきた中で何かに悩んだり立ち止まったりすると、見る映画がある。
ロビン・ウィリアムズ主演の「いまを生きる」だ。
初めて見たのは高校2年生の時だった。
型破りな教師との出会いを機に、生徒たちが自身の人生を見つめ歩み出すストーリー。深い感銘を受けた私。 (声)自転車を盗まれ撤去費用まで… 会社員 井手千聡(東京都 47)
文京区の区営有料駐輪場にとめていた娘の自転車がなくなった。
盗難届を交番に出しに行ったが、「もう一度よく捜して」「娘さん本人が来ないとダメ」などと言われて受理してもらえないでいる間に、墨田区役所から娘の自転車を放置自転車として撤去したという通知が届いた。
錦糸町の映画館前に乗り捨てられていたらしい。 (声)42.195キロ踏破、私の成人の勲章 主婦 野中陽子(福岡県 61)
40年余り前。
成人式に着る振り袖の貸衣装を母と見に行くと、7万円もするという。
それなら普通の洋服で、と思っていたところ、市の広報誌で粋な企画を見つけ、短大の友人3人と応募した。
それは、成人式前日の午後6時に博多駅を出発し、42・195キロを歩き切って成人式会場に入るというものだった。
コースは福岡国際マラソンとおおむね同じで、100人以上が10班に分かれて歩いた。 (声)ホームレスに食料渡す難しさ 大学生 高橋菜月(千葉県 22)
勘違いだった。
「ホームレスの方々は皆生活に困っている。食料をお渡しすれば喜んで受け取ってくれる」
。私はそう思っていた。
しかし、実はかえって彼らの自尊心を傷つけてしまうこともあるのだ。
先日、ホームレスの方々に食料を渡す支援団体の活動に参加した。
以前からその団体のことを知っていた。 (声)良き理解者だった母に感謝 パート 小谷佐代子(千葉県 63)
母を亡くした。90歳だった。
昨年3月まで施設でお世話になり、体調が悪化して入院したものの回復し、あと数日で退院という矢先のことだった。
コロナ禍のため、私は病院に行けず、「ありがとう」すら言えないまま、天国に旅立った。
母は大阪、私は千葉。遠方にもかかわらず電話でよく話をした。 (声)映画を巡る物語:下
炭鉱に、「太陽がいっぱい」の旋律 無職 小野寺祐次(北海道 69)
素敵な映画音楽に魅了され、そこから映画を見ることが結構あった。
「鉄道員」「ひまわり」「道」など切なくて胸がしめつけられる。
特に「太陽がいっぱい」のニーノ・ロータの曲は、思いが強い。
原作小説は主人公の名前から「リプリー」だが、映画の邦題は「太陽がいっぱい」になった。
すごいセンスである。 短髪、エキストラに引っ張りだこ 学習支援員 牛島由紀雄(熊本県 66)
かぐや姫の「神田川」が街に流れた頃、京都で大学生活を送った。
大半の学生が長髪だったが、サッカー部の私は短髪。
住んでいた大学の寮は運動部の者が多く、いずれも髪が短かった。
我が寮を指定して東映の京都撮影所から、まとまった数のエキストラのアルバイト募集が来ていた。
当時はヤクザ映画の全盛期。
画面に少し映る程度でも。長髪だと様にならなかったのだろう。
私も十数回参加した。 負われて見たのは母の愛か 主婦 金丸公子(千葉県 83)
1945年の敗戦で、父の復員を福岡・門司の家で母と子ども6人で待っていた。
ある日、母が8歳の姉と6歳の私、4歳の妹を映画に連れて行ってくれることになった。
出かける前に母が突然、私をおんぶすると言い出した。
おんぶされるのは妹の方ではないかと聞くと、母は「(妹は)帰りにするから」と私をおんぶし、ねんねこを羽織った。
上映されていたのは、戦時中に制作されたミュージカル風時代劇「歌ふ狸御殿」。 転(こ)けてから締めても遅いビンの蓋(ふた)(兵庫県 上村晃一)
増え方に頭を過(よ)ぎる無限大(大阪府 吉村治美)
晴れ着とは成人式の貸衣装(千葉県 長谷川裕)
炊き出しが拾う命の明日いずこ(東京都 石原陽)
☆「野のユリ」は見てないだろうトランプ氏(神奈川県 石井彰)
ハチャメチャな鎌倉殿の揃い踏み(埼玉県 渡辺梢)
目を覚ます三時の除籍車朝刊よ(秋田県 岩見谷昌子) (かたえくぼ)感染倍々
そろそろバイバイしたい
――国民
(東京・やす坊) 難しい・・・今もずっと悩んでいる ダンスインストラクター 小畑ゆうみ 愛知県 43
「もっと頑張らないとダメですか」を読み、とても共感しました。
私も娘に「がんばれ」と言っていますが、私自身もその言葉が好きではありません。
心をほぐすような言葉をかけて 高校教員 山田礼子 神奈川県 67
30代後半、暴力と不貞を働く夫から逃れるため6歳の子どもを連れて家を出た。
その時友人からかけられた「がんばれ」の言葉はすんなりと私の心に届いた。 涙があふれた「がんばったね」 会社員 須藤扶美子 宮城県 58
10年前、東日本大震災発生時、被災地では耳にするものの、目にするものの多くに「がんばれ」という言葉があふれた。
沿岸部に住んでいた両親は津波で家を奪われ、着の身着のまま、私の住む仙台に避難してきた。
前進・向上につながる「日常語」 主婦 出宮須磨子 東京都 88
「がんばって」の受け止め方は人それぞれいろいろあるでしょう。
私には本当に困っている時の「がんばりなさい」は一番うれしく励みになる言葉です。 傷ついた人への励ましにならぬ 無職 長冨敦子 山口県 62
「がんばれ」。
この言葉によいイメージはない。
高校時代、不登校を繰り返し自室にこもっていたころ、両親に何度も浴びせられた言葉だ。
この言葉を言い放つ側は「自分は相手のことをきにかけている」と自己満足してしまう。
口先だけでは終わってしまう。
「がんばれ」を口にするのはたやすい。
けれども、傷ついている自分に、その言葉は意味をなさなかった。
かえって心をえぐられた。
「自分の苦しみを理解しようとしてくれない」と悩んだ。 首切らず増員という注射する(東京都 辻酔乱)
陽陽にパンダ記事かと読みかけて(福岡県 桑原正彦)
聞く意思と机のサイズ反比例(東京都 土屋進一)
本音では触らぬ神の文通費(東京都 三井正夫)
失格に中国選手いるのかな(千葉県 村上健)
☆監督がだんだんハルキに見えてきた(埼玉県 吉野信幸)
雪も行かねばエッセンシャルワーカー(岡山県 中山敬子) 「本のおばさん」が宝物をくれた 著述業 長沢苗子(東京都 58)
小学校低学年のとき、学校からの帰り道、図書室で借りたばかりの本を読みながら歩いていると、品のいいご婦人に「本、好きなの?」と声をかけられた。
はい、とうなずくと、ご婦人は「うちで図書館を開いているから遊びにいらっしゃい」とおっしゃった。
興味をそそられたが、「おばさんの家はどこですか」と聞けずに、あいまいにうなずいて別れた。
20年以上経ったある日、本の著者紹介に載っていた写真を見て、あのときの「本のおばさん」が、松岡享子さんだと気づいた。
私の娘が幼いころ、松岡享子さんが訳した「うさこちゃん」の絵本が大好きだった。 「速達なら確実」は値上げでは 主婦 唐木よし子(東京都 75)
昨年から土曜日の普通郵便の配達がなくなりました。
郵便局の窓口から孫の誕生日に合わせてプレゼントを送ろうとしたら、「間に合わせたいなら速達を」と言われました。
別の木曜日午前中に、「明日着きますか?」と聞くと、ここでも速達を勧められました。
昨年10月から速達料金が安くなったとはいえ、これって普通郵便の実質値上げではないですか。 新幹線延伸、地元の声届いたか 無職 岡田昭正(北海道 72)
北海道新幹線の札幌までの延伸で、並行するJR函館線の長万部―余市間(約120キロ)の廃止が固まった。
新幹線の延伸はうれしいことである。だが、在来線の一部が廃止され、生活が不便になることは、沿線住民のだれも望んでいない。
この決定は沿線自治体の判断に委ねられた。 「紙の宝石」と向き合う至福 無職 伊藤秀夫(三重県 74)
一向に終息の見えないコロナ禍にあって、外出もままならない。
私はこのところ、毎日5時間ほど自室にこもり、趣味の切手集めに没頭している。
スマホのオークションで落札した大量の切手を、200以上ある世界の国・地域別に細かく分類、ファイルに整理するのが至福の時。
切手は「紙の宝石」ともいわれ、じっくり観察するとお国柄が分かる。 首相、「考えている」だけですか 会社員 柴田俊明(埼玉県 63)
岸田文雄首相の記者会見や国会答弁を聞いていると、いつもモヤモヤする。
それは、説明の最後に「〜と考えている」とか「〜と思っている」という言葉をつけることが多いからだ。
例えば、「〜については遺憾に思っております」や「〜は私の責任と考えております」というようなものだ。 現代版「笠地蔵」、思いをつなぐ 無職 竹下敦子(熊本県 70)
私は地方の小さな「ひとり親の会」会員です。
昨年、70歳になるのを前に、役員の仕事を私より若い母親たちにバトンタッチしました。
コロナ禍で子ども食堂やバス旅行、クリスマス会などの活動はできませんが、各方面からご支援いただいた品を約120人の会員に届けています。 かたえくぼ
「ウクライナ侵攻」
攻撃は最大の暴挙なり
ーーーー国際世論
プーチン大統領へ
(延岡・カズ坊) (声)今、人類の英知が問われている 高校教員 高柳良訓(茨城県 56)
何のために歴史を学ぶのか、という生徒たちの問いに「不幸な戦争に至った経緯を学び、その過ちを繰り返さないため」とずっと答えてきた。
どんな戦争でも歴史や正義の主張は複雑だし、リーダーの資質や国際政治のパワーバランスまで考慮すべきファクターは幅広い。
でも結論は単純だ。
多くの人間の命に見合う正義など存在しない、これだけだ。 (声)「ひまわり」思い出し、平和祈る アルバイト 宮城正時(兵庫県 74)
22歳の時、大阪万博で働いていた私は外国に憧れてヨーロッパを3年間放浪した。
帰国後、戦争の悲劇を描いたイタリア映画「ひまわり」を映画館で見た。
スクリーンいっぱいに映し出されるヒマワリ畑が、私がユーラシアで見た平原の風景と重なりあった。
そのロケ地となったウクライナが戦場になってしまった。
映画は第2次世界大戦中のイタリアの若い夫婦の物語だ。 (声)2・26事件で首相を発見した父 無職 福島宣行(群馬県 72)
「今日は2月26日だね」「ああ、そういえば……」。
毎年この日が来るとわが家では、そんな会話が家族誰からともなく交わされた。
1936(昭和11)年2月26日は、世に言う2・26事件の発生した日だ。
父・篠田惣寿は23歳で、麹町憲兵分隊に勤務する上等兵だった。
当日未明、青柳利之軍曹と共に反乱軍にまぎれ首相官邸に潜り込んでいた父は、女中部屋の押し入れに潜んでいた岡田啓介首相を発見した。 声)土曜、ドリフ見ながら食べたっけ 会社員 小川太志(長野県 57)
我が家の食卓には、ひき肉やサバ缶、時にネギを使ったカレーライスが出てきた。
きっと母が倹約を考えて作ってくれたのだろう。
初めは市販のルーを使っていたが、カレー粉で手作りすることも増え、味が断然よくなった。
私にはなぜか「太陽の味」のように感じられた。 (声)平和のバトン 終戦を痛感、かみしめた 主婦 吉川清子(埼玉県 83)
国民学校1年の夏、終戦。
和歌山の農村でも食糧事情は厳しく、とりわけ非農家のわが家は3食「おイモさん」。
農林1号だの2号だの筋っぽく水っぽかった。
学校の運動場も全面サツマイモ畑に。同輩には「二度と食べない」と言う人も。
だが私は「命の恩人」おイモさんには感謝しきれない。 (声)ジンクスを破ってくれた彼 主婦 嶋田智子(大分県 63)
45年前、高校3年の冬。
受験する大学の下見に友人たちと行った際、高校の先輩方が学食でごちそうしてくれた。
そしてカレーライスを食べた私とA子だけが不合格。
次の大学の下見でも、先輩方にごちそうしていただいた。
先輩方が事前に頼んでおいてくれたのは、何とカレー。 (声)あなた、あの味、またお願い 地方公務員 安藤政子(愛知県 54)
結婚して2回目の夏、私は初めての出産をひかえて、ひどいつわりに苦しんでいた。
そんな時、お盆休みで家にいた夫が、私の好きなエビやイカをたくさん入れたシーフードカレーを作ってくれた。
何も食べられない私に気遣ってくれたのだ。
そして、不思議とこのカレーだけは、とってもおいしくて、パクパクと食べるできた。 ウクライナ2・24と記憶さる(福岡県 上杉徳行)
今の世に国盗(と)りがある恐ろしさ(東京都 藤井好)
☆麦踏みに戦車は要らぬ穀倉地(兵庫県 岸田万彩)
コロナからロシアに替わる専門家(神奈川県 石井彰)
プーチン家「ゆめ」はどうしているのやら(埼玉県 吉川てまり)
ロシアにも反戦の声ある救い(東京都 長谷川節)
一つだけ明るいニュース春近し(東京都鈴木了一) (声)同窓会 「あなた誰?」その前にもう一度 無職 深谷紀雄(愛知県 85)
高校を卒業して二十数年たった頃、「恩師を囲み、一度、皆で集まろう」と同窓会を開くことにした。
当時は皆、働き盛りで子育て真っ最中、それでも同学年の3割ぐらいの人が集まった。
顔と名前が一致しない人、在学中は一度も言葉を交わしていない人など思わぬ出会いがあった。 「孫」「ペット」「病気」の話、しない 会計年度任用職員 一柳武(東京都 73)
定年退職とほぼ同時に妻を亡くして途方に暮れていた時、中学時代の友人たちが声をかけてくれた。
励ましてくれたり、気分転換に外に出ようと誘ってくれたり。
以後、ミニクラス会と称して輪が広がり、10人前後の規模で年に数回集まるようになった。 消息つかめない、個人情報の壁 無職 高橋久美(千葉県 72)
コロナ禍もあり、ここ3年ほど、中学の同窓会を開催できないでいる。
横浜市郊外の1学年10クラス生徒600人の学校を1964年に卒業した。
仮設校舎が必要なほどの人数が通うマンモス校だ。
高度成長期と戦後のベビーブーム世代が重なり、学校周辺に大団地ができ、クラスの8割近くがそこから通っていたと記憶する。 死を覚悟した友の願い、かなえた 無職 木村誠(神奈川県 77)
28年前の初夏、神奈川・JR茅ケ崎駅前の鮮魚料理店で中学の同窓会を開いた。
幹事は私である。同窓会は年末開催が恒例なのだが、この時期にしたのは親友のたっての願いだった。
彼は大腸がんで医者に余命半年と宣告され、転移があり手術しても良い結果は難しいとのことだった。 少数の友と居酒屋 それで充分 主婦 長谷川治代 岐阜県 60
40歳を過ぎて生活や仕事に少しゆとりができた頃、居酒屋で十数人が集まる高校の同窓会が始まったようです。
40代半ばになって、幹事の尽力で連絡が取れる人すべてに案内状が送られ、ホテルの大広間を貸し切り、バイキングの大同窓会がありました。
同じテーブルの人と今の生活について話をしていたら、聞きもしないのに、子どもの大学の自慢話。
欲しいとも言わないのに、立派な肩書がついた名刺を配りまくる男性もいました。 文通費、議論の行方を注視したい 無職 久野聚(愛知県 76)
今国会の重大関心事の一つは国会議員の文書通信交通滞在費(文通費)改革の行方である。
在任1日でも満額の月額100万円を支給する異常な制度が先の臨時国会で問題になった。
「日割り」での支給にする改善については与野党一致していたが、
野党が主張した「領収書の提出を含む使途の公開」「未使用分の国庫返納」に与党が難色を示し、法改正は見送られた。 安倍元首相の電撃訪朝を望む 無職 尾形信二(宮崎県 78)
拉致被害者である横田めぐみさんの母早紀江さんが86歳になられた。
「無事に取り戻せないで死にたくない」という悲痛な言葉に、いたたまれない思いをした国民はたくさんいたであろう。
いったい日本政府はこの10年間、被害者の帰国に向けて何をしてきたのか。
その無為・無策・無能ぶりに激しい憤りを覚える。 想像力の欠如は人を苦しめる 無職 能野マリ(埼玉県 71)
先日の安倍晋三元首相の発言にあぜんとした。
「アベノマスク」を含む布マスクについて配布希望者を募ったら、2億8千万枚の希望があり、「もっと早くやってもらっていたらと思う」と語ったのだ。
国民が「大切な税金が無駄になる」と役に立たなかったマスクを、工夫して再利用しようとしている現実に気が付かないのか。 教員「完全退職」、揺らいでいる 中学校教員 金子悦郎(山口県 62)
担当する英語の授業で、外国語指導助手(ALT)に毎年クリスマスカードをプレゼントしている。
生徒が英語で書いたものだ。
昨年は、紙版と1人1台配布されたタブレットでの電子版の2種類。
生徒は英語で手紙を書くのがほぼ初めてだったが、意欲的に取り組んだ。
どのカードも心のこもった内容でALTは大変喜んでくれた。 無人販売所に感じる良心・善意 介護支援専門員 岡田奈奈子(三重県 52)
近所に無人の農産物販売所があり、通りかかるとつい立ち止まる。
野菜や果物と一緒に手書きのポップ。心和む演出にほほ笑んでしまう。
そこには監視カメラやもちろんAI(人工知能)もない。良心や善意という可視化できない物差しでの買い物だ。
つくづく性善説の証しだなあと優しい気持ちにさせてくれる。 子供の入院、付き添いに配慮を 書店経営 中村涼子(香川県 45)
1月中旬に8歳の娘が入院し、ずっと付き添っている。
コロナ禍もあって1人限定で、原則として夫も含めて他の人は面会もできない。
娘は2歳の時にも別の病院に入院し、付き添った私は心身ともに疲弊した。
今回、最新の医療設備は充実し、医師や看護師らのケアはすばらしく、安心して治療に専念できている。 年齢制限緩め教員不足の解消を 大学生 藤分弓子(大阪府 46)
1日付の朝刊に、公立校の教員が2千人以上不足しているという記事が載っていた。
教員志望者が減少していることが原因らしい。
私は現在、通信制大学の3年生だ。
当初は卒業資格が欲しくて通信制の短大で学び卒業した。
勉強しているうちに、この楽しさを若い人に伝えたいという思いが強くなった。 断捨離が生んだ、ご近所交流 主婦 宮本淳子(京都府 53)
昨年11月「断捨離をしよう!」と思いたった。
きっかけは「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」(佐々木典士)という本を読んだからだ。
断捨離をすることで、著者は気持ちも前向きに変わっていったという。
しかし、まだまだ使えるモノもある。
一部はリサイクルショップに持って行ったが、予想以上に我が家を占領している。 ブかプか、カタカナ語は混乱 団体職員 加藤俊和(京都府 76)
このごろ、カタカナの言葉があふれ過ぎていると感じます。
日本語で表せるのに、安易に英語などをカタカナにしているのでは、と思われます。
デモクラシーを民主主義、サイエンスを科学などと的確に和訳した先人の英知に感服しながら、今はなじみにくいカタカナ語に戸惑っています。 平らで安全な道路づくりを 無職 石田むつみ(埼玉県 64)
私は脳出血のために左半身がマヒしています。
最近、やっと杖で歩けるようになりました。
それで気づいたのですが、道路って水はけのために中心が高く、両端に向かって緩い傾斜がついています。
中心なら歩きやすいですが、車の通行もあり、傾斜している場所を歩くことになります。 大学生活で感じた文化と歴史 小学校非常勤講師 塚野安枝(宮崎県 48)
30年前、大学受験のため初めて訪れた沖縄の地。
大きなカルチャーショックを受けた。
琉球大学で地理学を専攻し、フィールドワークで街をくまなく巡った。
赤瓦の民家やコバルトブルーの海に白い砂浜。
今まで目にしたことがない食材が並ぶ市場、「喜屋武(きゃん)」「北谷(ちゃたん)」などのなじみのない地名。
生まれ育った環境との違いを感じながらも、その風土や文化に強い興味と関心を抱いた。 中でも幹線道路沿いに続く広大な米軍基地には言葉をなくした。肩を寄せ合いぎっしりとひしめき建てられた建物群の街中とは対照的に、フェンスの向こうに延々と広がる整備された青い芝生。
爆音とともに低空で市街地上空を飛来する航空機。
沖縄の人々は戦争という悲しい歴史を抱きながら、今でもなお米軍基地という厳しい現実と隣り合わせの中で暮らしている、ということを実感した。
沖縄が本土復帰したのは同じ学びやで沖縄の未来を語り合った友が生まれた年だ。
4年というわずかな時間だったが、沖縄の文化や風土、そして友を通じて非常に意義深い貴重な時間を送ることができたことに感謝している。 基地、他人事だった自分を反省 無職 山口誠一(神奈川県 73)
横浜で生まれ育った自分にとって、沖縄は遠い異国のような存在でした。
児童書の出版会社に勤務していた約20年前、仕事で何度も沖縄を訪問。
名物を食べ、観光地を巡り、自分なりの沖縄観は得られました。
それが最近、三上智恵さんの「風(かじ)かたか」という本に出会いました。
「戦場ぬ止(とぅどぅ)み」と三上さんの著作を読み込んでいくうち、怒りにも似た気持ちがどんどん広がってきました。
同じ日本でありながら他人事のような感覚の自分に。普天間移転問題のことです。 それまで反対運動はあくまで沖縄の問題で、場合によっては条件闘争なのかくらいにしか捉えていませんでした。
私の故郷も、かつては潮干狩り、海苔(のり)漁でにぎわった海岸が埋め立てられ、今や工業地帯です。
残念な気持ちと、「経済発展のためには仕方なかった」との思いのはざまに置かれたままです。
しかし、三上さんの本に出会い、沖縄の自然を、住民を、そして孫たちを、あの地獄のような境遇に陥ることから守るのだという気概に圧倒されました。
他県の人間がどこまで沖縄の思いを理解できるか疑問ですが、応援したい気持ちです。 「いちゃりばちょーでー」魔法の夜 無職 志村厚(東京都 84)
1998年3月、沖縄に赴任することになった。
当時はテレビや映画で紹介される映像、2000年に開催予定のサミットの候補地くらいしか、沖縄に対する認識はなかった。
赴任してまもなく、宿舎近くの居酒屋に行った。
泡盛の水割りを注文したところ、カウンターで隣に居合わせた2人連れの先客から突然、目の前に水割りを差し出されてびっくり!
遠慮したのだが、「いちゃりばちょーでー」と。 戸惑っている私に、先客2人とマスターが言葉の意味を説明してくれた。
「一度会ったら、みな兄弟」。その場の雰囲気が一気に和み、夜が更けるまで飲んだ。
最後は他の客も一緒にカチャーシ(沖縄の踊り)の乱舞となった。
沖縄が一夜にして身近になった。
3年弱の短い沖縄勤務だったが、居酒屋のつながりから輪が広がり、ゴルフコンペや飲み会でたくさんの人と親交を深めることができた。
あれから二十数年、今も交流は続いている。コロナ禍で2年ほど途絶えているが、早く再会できることを願っている。
私にとって沖縄は第二の故郷であり、仲間は兄弟以上である。 遺骨収集、沖縄戦の悲惨さを痛感 会社員 宮崎寛(福岡県 63)
約40年前、友人の誘いで初めて沖縄を訪問した。
旅行気分だったが、実は遺骨収集のボランティアであった。
3泊4日の日程で、背丈ほどもある草木をかき分けて目的地にたどり着いた。
「不発弾や手榴(しゅりゅう)弾に十分気をつけるよう」との指導を受け、静かに丁寧に掘り起こし、遺骨を見つけ出す。
2日かけて収集した遺骨を慰霊した後、米軍基地での慰労会に招待されるという流れだった。 ボランティアは3年連続で参加した。
当時、少しばかり沖縄戦の知識はあったが、多くの一般人が巻き込まれた実に悲惨な戦争であったことを実感した。
その後も個人的に沖縄を訪ね、ひめゆりの塔や摩文仁の丘、平和祈念資料館を巡った。
改めて沖縄戦のすさまじさを痛感した。
戦争体験のない私だが、子どもたちに、終戦の日、原爆の日にはともに手を合わせるように伝え、テレビなどの戦争特集をできるだけ視聴させてきた。
成人となった子どもたちがきっと何かを感じ、これからの人生を生きてくれること。
そして、自分たちの子どもたちにも戦争のことを伝えてくれることを信じている。 黄金言葉を胸に、東京で生きてきた 会社経営 川端義春(東京都 65)
1971年1月、中学2年生の私は横浜の親戚を頼って1人で沖縄を離れました。
本土に強い憧れがありました。
でも実際に横浜に来ると、親しい友人もできず激しく後悔しました。
沖縄への恋しさは必死に勉強することで紛らわしました。
沖縄の本土復帰は高校入学直後。
テレビに映し出される沖縄の映像を食い入るように見ました。
あれから50年、私は東京で大学を出て会社を経営しています。
長く自分を支えてきた言葉があります。
それは「くがにくとぅば」(黄金〈こがね〉言葉)として胸深く刻まれています。
サトウキビ農家の両親が畑に出ている時、祖母が私をあやしながら「じんにまやさりんなよー」(お金に惑わされるな)とささやき続けたのです。 私はその言葉のおかげで、東京でビジネスの世界に浸りながらも、お金を稼ぐ意味は家族や社員の生活を守るためということを忘れず、長く会社を続けられました。
沖縄には多くの黄金言葉があります。
本土復帰後、沖縄もずいぶん同化が進みましたが、黄金言葉は守るべきだ。
そんな思いが強くなるこのごろです。 「基地集中は当然」今なお怒り 無職 川上光男(沖縄県 63)
沖縄県庁に在職中、国の研究機関で研修を受ける機会に恵まれた。
懇親会で幹部研究員が「沖縄には米軍基地を置かないと経済が成り立たない。
米軍基地が集中するのは当然だ」と述べた。
その場の状況から反論はしなかったが、27年たった今も怒り心頭である。
1995年の米兵による少女暴行事件をきっかけとした日米地位協定改定要求はいまだ実現せず、普天間飛行場閉鎖は辺野古新基地建設にすり替えられた。
何度も県民が選挙や県民投票で意思表示しても政権は無視し続けた。
司法は判断を避けるだけである。 悪質なのは防衛省予算の米軍再編交付金。
基地反対の名護市長が当選すると交付金は止めるが、建設は強行。
黙認する市長が当選すると交付。防衛省予算なのに子育て支援策にも使用可能。
国民の税金を使った買収行為ではないか。
いまだに沖縄は本土防衛の前線基地の役割を押しつけられている。
生きている限り、沖縄を二度と戦場にしないために声を上げ続ける覚悟でいる。 海洋博のオブジェ制作に携わる 画家・版画家 村岡孝(埼玉県 74)
50年前の1972年5月14日、沖縄の本土復帰の前日に普天間の大通りの右側を車で走っていた。
まるで外国である。運転席からの眺めは混乱する。
注意深くゆったりとカーブを曲がったりした。
パスポートで沖縄に行った最初で最後の経験である。
パスポート申請の時、勤め先の工房近くの写真館に行った。
借り物のネクタイを締めて、緊張した姿が残っている。
仕事は、沖縄海洋博のモニュメント、大きなカモメの日よけオブジェの制作だった。
食事代もドルで支払ったように思う。 糸満では、高さ11メートルの平和祈念の仏像に関わった。
漆技法のための型取り作業だ。
今は亡くなった親方と糸満の絶壁に立つ青春時代の思い出の写真がある。
25歳だった。若さにまかせて勢いがあった。
本土の人への複雑な感情を持って夢を語ってくれた少女がいた。
お元気でしょうか。
美しい海や思い出の竹富島、復帰後に生まれた若い人たち、沖縄の平和を確かめに行きたいものです。 驚きいろいろ、懐かしいウチナー 主婦 榎本恭子(京都府 72)
50年前の5月7日に結婚した私には、沖縄の本土復帰は遠い話だった。
それが2年後、夫への突然の転勤命令により、那覇に住むことになった。
1歳前の娘と家族3人で飛行機から見た初めての沖縄の海の美しさに感激した。
しかし、沖縄の人たちには美しい海が当たり前。
泳ぐことはなく浜辺でバーベキューをするだけのようだった。
実際、海に入ると、サンゴのかけらが痛くて歩けないし、日差しが強くて背中が焼ける。
海は見るだけがよいと納得した。 日々生活すると驚くことも色々。
肉は一斤(約600グラム)とか半斤の塊。
魚も知らないものがほとんど。パイナップルがとてもおいしく、よく食べた。
沖縄海洋博(1975〜76年)開催前で、町のあちこちが工事中で活気にあふれていた。
滞在3年半の間に息子が生まれ、本土に戻った。
息子は最近もかつて住んだ家に行って写真を撮ってきた。
沖縄はいつまでも気になる土地であり、見守っていきたい。
懐かしいウチナー(沖縄)である。 ゼレンスキー氏演説、未来へ示唆 無職 松本和博(長崎県 68)
23日、ウクライナのゼレンスキー大統領の国会演説は、訴えがわかりやすく、この戦争後のことについても多くの示唆を含んでいました。
とりわけ、安全保障理事会が機能しなかったとして国連改革の必要性に言及した点は、岸田文雄首相の問題意識と共通していると思いました。
国連は世界の平和を保とうとつくられましたが、殺人と破壊の侵略を妨げず、止めることもできずにいます。 異国で戦死、悲しさ古今変わらず 僧侶 伊藤良英(愛知県 83)
ロシア軍のウクライナへの攻撃で、何の罪もない民間人の死傷者が増え続けている。
一方、侵略するロシア軍兵士にも命を落とす人が多数いると報道されている。
私は、このロシア軍兵士の死に、太平洋戦争の日本の戦死者を重ね合わせている。
私の寺の墓地に、6人の戦死者の墓石がある。
同じ形の6基が並ぶ。 素晴らしき世界、戦争より笑顔を 魚屋 舩山和恵(長崎県 68)
3月10日朝、外から大音量の音楽が聞こえてきました。
ルイ・アームストロングの「この素晴らしき世界」。自宅近くの佐世保港。
修繕を終えた大型クルーズ船「飛鳥2」の船出でした。
2011年3月11日、東日本大震災。
弟に会うため、茨城県つくば市にいました。
突然、車がジャンプして、道路標識がゴムのように揺れました。 我ら高齢者の「文化」死守しよう フリーライター 三宅喜代子(神奈川県 82)
私は敗戦翌年に就学し、戦後民主主義の中、心躍る高揚感を味わいつつ成長した。
青春期には日米安保闘争があり、樺美智子さんの死に深い挫折感を味わった。
それでも、平和と生命、基本的人権の大切さを心に銘じ、仕事や社会活動、子育て、介護を担ってきた。
その間、技術革新と果てなき欲望の波が押し寄せ、人々は変容していった。 自分のこと諦める?もがく介護 パート 塩沢千登世(東京都 59)
94歳、要介護4の父と暮らしている。
3年前に退職し、いまは週1回4時間だけ働く。
就職サイトで、60代以上・短時間パート・シフト選択可・自宅から近い、にチェックを入れる。
クリックするところで、「尿瓶(しびん)でお小水とって」の父の声に立ち上がる。
お小水は出るけれど、ヒットする仕事は今日もない。 「焼きびん」の昼食、昔を思う 無職 石渡貴久(神奈川県 85)
77年前、横浜市の実家は田2反、畑1反。
米は供出させられ、手元に残せる自家消費分だけでは、一家7人三度の食事に足りない。
母は昼になると、小麦粉に水とサイの目に切ったサツマイモを混ぜて生地をつくり、広げて焼いた。
食用油も配給制だった。
当時、この料理を「焼きびん」と呼んでいた。 ☆名を変えりゃ受け取りやすいお小遣い(大阪府 首藤媾平)
海隔て隣はみんな怖い国(千葉県 山内活良)
ICBMSMBCまぎらわし(東京都 内田堂文)
戦争のニュース終わればまたグルメ(福島県 佐藤国喜)
コロナより選挙に効きそう四回目(埼玉県 西村健児)
ラジオでのサッカーテレビより疲れ(静岡県 増田謙一郎)
局アナが別れを告げる弥生末(埼玉県 渡辺梢) かたえくぼ
「戦争より平和」
「罪も罰も」
――ロシア文豪
(南伊勢・岡もっちゃん) 地域の鉄道維持、大胆な議論を 無職 鎌田正三(鹿児島県 73)
先日読んだ記事によると、熊本と鹿児島を結ぶ肥薩線の豪雨被害復旧費が235億円に上るとJR九州が明らかにしたという。
肥薩線はもともと赤字路線だったそうで、熊本県も復旧費の半分を国と自治体で負担することを想定しているという。
営業エリアに過疎地を多く抱える鉄道会社が路線を維持する負担は大きい。 ウクライナの詩で卒業生送る 無職 勝目徹哉(兵庫県 62)
3月、公立中学の校長を退任する前に、最後の卒業式を終えた。
巣立っていく生徒たちに何を伝えるか。何を伝えるべきか。
さまざまな話題を考えたが、悩んだ末に天声人語(2月12日)に載っていたウクライナの国民的詩人タラス・シェフチェンコとその作品を紹介した。
農奴の家に生まれ、流刑も経験した彼が生きた19世紀と今とを重ねながら、歴史の縦線と社会の横線の交点に私たちはいること。
今は過去を含み、未来をも含んでいること。
そして今の一歩が未来を創ることを伝えた。 一緒に歌える平和な日よ早く 無職 山村惠一(奈良県 76)
77年前、大阪大空襲で焼夷(しょうい)弾の直撃をうけ、2歳だった私の姉は、母に抱かれたまま亡くなりました。
母は生前、そんな悲しい経験を再びするくらいなら自ら先に死を選ぶとまで言っていました。
ウクライナ侵攻の報道で避難する母子の姿を見るたび、会うことができなかった姉が重なります。
首都キーウ近郊で、多数の民間人が遺体で見つかったことにも衝撃を受けました。 83歳堀江謙一さんの挑戦応援 無職 赤崎茂樹(東京都 77)
海洋冒険家の堀江謙一さんが、小型ヨットによる単独無寄港太平洋横断に挑戦するため、3月下旬、米サンフランシスコから兵庫県の西宮港に向けて出航した。
およそ8500キロの航海で約2カ月半かかり、83歳の堀江さんは世界最高齢の挑戦となるという。
20年前、堀江さんの講演に参加した。 注意した子から「ありがとう」 主婦 早川朝恵(愛知県 71)
素直さは何と人の心を爽やかにするのでしょう。
私は夫と小一時間ほどのウォーキングを楽しんでいますが、先日いつものコースを歩いていると、前の歩道で兄弟らしい2人の男の子が取っ組み合ってふざけているのを見かけました。
道幅の広くない一方通行の道路です。
後ろから車が気付いたので「危ないから気を付けてね」と声を掛けました。 (かたえくぼ)藤子不二雄(A)さん逝く
喪に服します
――せぇるすまん
(神奈川・夏炉庵) 我々を「ウソつき」呼ばわりするロシア(岡山県 中山敬子)
☆人間じゃない いいえ人間だから(愛知県 國木康裕)
動物はしない殺しの目的化(埼玉県 小島福節)
笑いたくなる世は続くとせぇるすまん(静岡県 増田謙一郎)
ワクチンでワクワクと聞き寒くなり(東京都 上田幸孝)
いい機会私服認めてしまやいい(奈良県 横井正弘)
見るだけで こちらも疲れる二刀流 (埼玉県 甲斐徹) 障害がある子もない子も、ともに学ぶインクルーシブ教育。
重い知的障害がある子が通った通常学級で起きた変化とは。
「本当に温かいクラスになった」豊中市立野畑小学校徳常志穂教諭。 (声)なお品薄の後発薬、薬剤師の苦労 薬剤師 海老根政美(広島県 42)
昨年から、何度、患者さんに怒られたことだろう。
「いつもお渡ししていたジェネリック医薬品(後発薬)の流通が悪く、入荷できていません。
他のメーカーの薬でご用意してもよろしいでしょうか?」と説明すると、
「なぜ変わるのだ!」とご納得いただけないことも多い。
一昨年の小林化工の不祥事は、すべての薬剤師にとって、空前絶後のショックな出来事だったと思う。 (声)「覚えているよ」被災地に伝えて 主婦 秦純子(東京都 62)
先月16日、福島県沖を震源とする最大震度6強の地震が起き、福島の沿岸部にも大きな被害が出ました。
私は東日本大震災後、ボランティアとして相馬郡新地町へ通いましたが、活動で知り合った地元の人たちに電話したところ、
「今回は心が折れそうだ」と話してくださいました。
昨年2月にも福島県沖を震源とする地震があり、その影響が残る中での被災だったからです。 (声)8回で交代、あっぱれ井口監督 小学校教員 小池遼太(神奈川県 34)
2試合連続完全試合という史上初の快挙達成が見えてきた試合で、プロ野球ロッテの井口資仁監督は佐々木朗希投手を八回で交代させた。
残念に思う一方、佐々木投手の体調と将来を見据えた判断に心から拍手を送りたい。
松坂大輔投手の引退試合が忘れられない。
かつての力強い投球がうそであるかのような痛々しい姿だった。 のたりとは詠めない春の海悲し(福島県 山口ちい子)
勇気にはストップとゴー二つある(兵庫県 渡辺敦子)
人間は蠅(はえ)じゃないですプーチンよ(福島県 遠藤剛)
☆この先のウィズロシアなる大迷路(神奈川県 丸山千登喜)
カ子(かね)さんもにんげんだもの旅に立つ(神奈川県 赤木不二男)
「若者たち」もいつしか八十路 兵庫県 安川修司
物価と円 上ル下ルは京だけに 京都府 小林茂雄 子どもの「抜け出し」防ぐ対策を 保育士 井浦秀真(東京都 29)
5歳児が保育園を抜け出し、川で亡くなるという痛ましい事故が16日に広島市内で起きた。
子どもを預かる身としてひとごとではなく、どこでも起こりうる事案だと思う。
報道によると、植え込みの隙間から1人で外に出た可能性が高いという。
子どもが「抜け出す」ことは、保育士が防ぎたい状況の一つだ。 言葉の暴力も人を傷つける 無職 マクナーニ真樹(神奈川県 51)
「愛の証し? やはり暴力はダメ」(5日)を色々な思いを抱きながら読みました。
暴力はいかなる理由があっても許されることではありませんが、「言葉の暴力」は許されてもよいのでしょうか。
欧米のエンターテインメント界では往々にして辛辣(しんらつ)なジョークで笑いを取ることが許されてきましたが、
米アカデミー賞授賞式で愛する妻を侮辱された俳優のウィル・スミス氏の心中はどれほど悲しく耐え難いものだったでしょう。
私は国際結婚をし、「ダブル」の子供を持つ母です。 スポーツも仲良く団結が強さに 会社員 浦千鶴子(東京都 49)
小学生のバレーボールで「監督が怒ってはいけない大会」を開いてきた元バレーボール女子日本代表の益子直美さんの記事(3月30日)を読んだ。
「そんなことで強くなれない」などと保護者からは批判を浴びながらも、怒らない代わりにどんな指導法があるのかを学び、実行してきたことに感動した。 若者が再び海外行けるように 無職 古川香(福岡県 62)
若者が再び海外の人と交流できるよう願う。
百聞は一見にしかずだから。
コロナ禍で海外への留学や旅行が自由にできず、交流がままならないことは、残念だ。
私自身は29歳の時にワーキングホリデー制度を利用してニュージーランドで1年暮らし、人生観が大きく変わった。
移民の多い国であるため、滞在中に招かれた家庭では様々な価値観に触れた。 お酒やめて1カ月、力みなぎる アルバイト 杉村宏(鳥取県 63)
我が家の一軒隣は造り酒屋さん。
子供の頃、冬になると、米を蒸したいい香りが漂ってくるのに気が付いた。
お酒なのか麹(こうじ)なのか、酒造倉庫の裏道を通ると香ってくる。
小学生の頃は板状の酒粕(さけかす)を焼いて食べていた。
中学生の頃は、地元の祭りの日だけ「公認」でお酒が飲めた。 コロナで結婚式延期、その分幸せ 会社員 白井琴音(愛知県 29)
2020年8月に婚姻届を出した。
しかし結婚式を挙げることができたのは今年3月のこと。
提出時にコロナが蔓延(まんえん)していたこともあり、1年後であれば大丈夫だろうと当初は昨秋を予定としていたが、緊急事態宣言が延長されてしまったのだ。
延期には随分と悩んだ。
「この間に子どもを授かるかもしれない。」 金持ちの手のひらに載るツイッター(愛知県 牛田正行)
表現の自由も金で買う気らし(東京都 新井文夫)
次々と孫子の小槌(こづち)まで使い(千葉県 加藤安博)
☆領収書隠す男の国家論(長野県 志波英利)
ルペン氏よ大阪ならば勝ったかも(鳥取県 木村一朗)
遠くなる茶摘み忘れて茶刈り音(埼玉県 吉沢泰而)
おーいお茶来客時だけ許されて(神奈川県 原田義昭) (かたえくぼ)スーパードライ値上げ
キレてます
――ビール党
(香川・カッチャン) 大統領演説、被害国の言い分大切 司法書士 松山洋(熊本県 72)
「大統領演説 国会に覚悟あったか」(1日)は、戦争当事国の一方の大統領演説を国会が開催したことへの疑問を呈していました。
ですが、私は反対の意見です。
誰もが平和が大切だと考えますが、観念的にそう叫ぶだけでは平和は維持できません。
平和を標榜(ひょうぼう)はするものの、侵略を拱手傍観する無責任な体質こそ改むべきでしょう。 ヤジ訴訟、民主主義守った判決 無職 小野寺祐次(北海道 69)
3年前の参院選の選挙演説中、首相にヤジを飛ばし北海道警に排除された男女2人が訴えた裁判で、
「表現の自由などが違法に侵害された」と道に賠償を命じた判決があった。
私は、この問題の根っこには当時の「安倍1強」を支えた周囲の異常なほどの「忖度(そんたく)」があり、
それが道警の過剰な警備につながったのではと考えている。 政府見解を検定基準にするな 大学院生 浦田薫(埼玉県 24)
「従軍慰安婦」を「慰安婦」へ――。
国が教科書の訂正勧告も示唆したことで、複数の教科書が記述を改めたという。
そもそも、教科書検定は児童生徒の学習権の保障という観点から認められるべきものだ。
客観的に明らかな誤りや、「大綱的基準」としての学習指導要領の枠内にあるのかどうか以上の検定は許されないはずだ。 死刑は犯罪を抑止しているか 専門学校教員 亀田尚(福岡県 58)
3月3日の本紙に「拡大自殺」についての特集が掲載された。
「拡大自殺」とは「自殺願望と復讐(ふくしゅう)願望を抱き、他人を道連れにしようとする行為」のことを言うらしい。
昨年12月に大阪市のクリニックで起きた放火殺人事件など、衝撃的で心を揺さぶられる事件が度々引き起こされている。 「男の子色」と言った自分 パート 中村知子(兵庫県 55)
歯科助手の仕事をしている。
女性の患者の歯ブラシ購入希望に対して、何色でもいいという意向を確認した私は、在庫がたくさんあった青と緑を手にして無意識にこう言った。「男の子色でもいいですか?」
自分の口から出たその言葉を認識した瞬間、全身に鳥肌が立ったような感覚に襲われた。 子どもは国家の責任で大事に 無職 堀川道子(愛知県 90)
40年ほど前、北欧へツアー旅行をした。
行き届いた福祉を目の当たりにしてまぶしかったが、中でも顕著に感じたのはフィンランドの子どもに対する考え方だった。
ガイドさんによれば、「子どもは国家の子どもとして考えられている」
「だから両親のいる子も片親の子も施設にいる子も、どの子も平等に保護育成が保障されている」という。 何げない当たり前の朝食に感謝 詩吟講師 井上寿美(大阪府 57)
実家に行くと、必ず父が朝食を作ってくれる。
麦入りのご飯におみそ汁。
具材は定番のカボチャ、玉ネギ、油揚げ。
何年になるだろうか。
「おみそ汁と、ご飯くらいは炊けるようになってよ」と母にリクエストされて続けている。
「あー、おいしい」と私の口から自然と出てくる。
お漬物もお手製で、ぬか床を毎日管理したキュウリのお漬物も最高。 仕事と家庭の両立に悩む 中学校教員 南洋徳(東京都 36)
30代になって悩むことが多くなり、子どもができてからは仕事と育児の両立でもっと悩むようになった。
自分がどう評価されているのかも気になりすぎて、具合が悪くなることもある。
私にとっては仕事も大切、家庭も大切。
なるべく勤務時間の中で仕事は終わらせ両立したい。 地球には愛想が尽きて応募する(東京都 塩田泰之)
ウソをつくまだまだ殺すつもりゆえ(大阪府 浜田竜哉)
妹が兄の牙研ぐ北朝鮮(千葉県 安延春彦)
☆いじってりゃ利子がついてく文通費(兵庫県 岸田万彩)
ラッキーな数字にゃならぬ第七波(福岡県 桑原正彦)
何の日と言われそうにも花祭り(京都府 近藤達)
春爛漫隣も年金下がる人(神奈川県 佐藤裕) ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています